インディアナ (戦艦)
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艦歴 | |
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起工 | 1939年 11月20日 |
進水 | 1941年 11月21日 |
就役 | 1942年 4月30日 |
退役 | 1947年 9月11日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:35,000トン、満載:44,374トン |
全長 | 207.36m |
全幅 | 32.95m |
吃水 | 10.35m |
最大速 | 27.8ノット |
乗員 | 士官:115名 兵員:1,678名 |
兵装 | 45口径40.6cm砲:9門 38口径12.7cm砲:20門 56口径40mm対空砲:24門 70口径20mm対空砲:16門 |
インディアナ (USS Indiana, BB-58) はアメリカ海軍の戦艦。サウスダコタ級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国19番目の州に因む。その名を持つ艦としては4隻目。
インディアナは1939年11月20日にバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工し、1941年11月21日にルイス・C・ロビンズ(インディアナ州知事ヘンリー・F・シュリッカーの娘)によって命名、進水し、1942年4月30日に初代艦長A・A・メリル大佐の指揮下就役した。
メイン州カスコ湾での整調に続いて、インディアナはパナマ運河を通過し太平洋艦隊に合流、前線に赴く。インディアナはウィリス・A・リー少将率いる空母機動部隊に護衛として1942年11月28日に加わる。続く11ヶ月間、インディアナは空母エンタープライズ、サラトガの護衛を行い、その後ソロモン諸島侵攻の支援を行う。
1943年10月21日には真珠湾へ向かい、11月11日に真珠湾からギルバート諸島侵攻部隊の支援のため出航する。タラワの戦いでは激戦を繰り広げた海兵隊への航空支援を行う空母の護衛任務に従事した。その後1944年1月後半に、2月1日のマーシャル諸島上陸に先立ちクェゼリン環礁への砲撃を8日間行う。2月1日の夜、駆逐艦への燃料補給作業中にワシントンと衝突し右舷を損傷する。インディアナはマジュロ環礁で仮補修を受け、2月13日に真珠湾に到着、本格的な修理を受けた。
インディアナは第58任務部隊に合流し、4月29日、30日のトラック島攻撃および5月1日のポナペ島砲撃に参加する。6月にはマリアナ諸島攻略に参加する。6月13日、14日にはサイパン島へ砲撃を行い、15日には敵機数機を撃墜している。19日、20日に行われたマリアナ沖海戦ではリー少将の指揮下に入る。日本軍は四波に分かれてアメリカ軍空母に接近したが、パイロットの多くが経験不足であり、空母艦載機および護衛艦艇は名百機もの日本軍機を撃墜し、後に「マリアナの射的遊び The Marianas Turkey Shoot.」と語られた。潜水艦からの効果的な支援もあり、ミッチャー中将は空母大鳳、翔鶴を沈めることができた。
インディアナは敵機数機を撃墜し、魚雷2発の至近弾を受け足止めされたが、問題が解決すると空母護衛任務を継続し、マリアナ海域で64日間の支援砲撃を行った。
8月には第38.3任務群の一部としてパラオ、続いてフィリピンへの砲撃を行う。続いてレイテ島侵攻の支援として9月12日から30日まで艦砲射撃を行う。その後ワシントン州ブレマートンへ向かい、10月23日に到着した。
12月12日に真珠湾に到着し、インディアナは直ちに訓練の準備を行う。1945年1月10日に出航し、1月24日には戦艦巡洋艦部隊と共に硫黄島への砲撃を開始する。その後、インディアナはウルシー環礁で第58任務部隊に加わり、2月10日に硫黄島侵攻部隊へ配属される。インディアナは硫黄島への砲撃任務を中断し2月17日と25日に東京へ空襲を行う空母部隊の護衛任務に従事する。3月5日にウルシー泊地へ帰還し、沖縄進攻の準備として補給を受ける。
インディアナは沖縄侵攻のためウルシー泊地を3月14日に出航し、6月まで沖縄及び日本本土に対する空母部隊の作戦に護衛艦として加わった。この時期日本軍は特攻機による激しい反撃を行ったが、インディアナは大きな被害を受けることはなかった。6月前半に到来した巨大台風を乗り切り、インディアナは6月13日にフィリピンのサンペドロ湾に向かった。
第38.1任務部隊の一員としてインディアナは7月1日から8月15日まで日本本土への空襲支援と、沿岸の目標に対する艦砲射撃を継続した。7月14日には岩手県釜石を砲撃し、7月29日、30日には静岡県浜松、8月9日には再び釜石を砲撃している。東京湾には9月5日に到着し、9日後にサンフランシスコに向けて出航、9月29日に到着する。その後1946年9月11日にブレマートンで予備役となり、一年後の1947年9月11日に退役、太平洋予備役艦隊に置かれる。1962年6月1日に除籍されスクラップとして売却される。インディアナのマストはブルーミントンにあるインディアナ大学で記念碑として保存される。また、錨はフォート・ウェインに展示される。その他様々な遺物がインディアナ州各地の博物館や学校で展示されている。
インディアナは第二次世界大戦の戦功により9個の従軍星章を受章した。