ウーズレー
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ウーズレー(Wolseley)は、1905年創業の自動車会社。また、1895年から1976年まで製作された自動車のブランド名でもある。
1895年にウーズレー・エンジニアリング社でハーバート・オースチンが自動車製作を開始。1905年に自動車会社として独立、1935年以降は自動車会社傘下の子会社として企業活動をした。吸収合併により親会社が何度も変わるが1952年のBMC傘下からは独自色が薄くなり、ウーズレー独自開発車は1956年の4/44(フォー・フォーティ・フォー)で終了する。以降、BMC傘下においてバッジエンジニアリングのためのブランド名となり、オースチン、モーリス、ライレーと姉妹車となる。1976年にブランドとしてのウーズレーも使用が中止される。2006年7月時点では、中国の南京汽車にはブランドがわたっておらず、破産管財人管轄のMGローバーが保持している(#現在のウーズレー・ブランドを参照)。
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[編集] ウーズレー羊毛刈込機械会社(1887-現在)
1887年、フレデリック・ヨーク・ウーズレーがウーズレー羊毛刈込機械会社(Wolseley Sheep Shearing Machine Company Limited)をオーストラリア・シドニーで創業する。羊毛刈込機械の製造でも初期のことであった。
英国、バーミンガムに移り、ウーズレー・エンジニアリング・リミテッドを設立。特許をベースに羊毛刈込機械をさらに伸ばし、また農業用機械なども生産し、据置型エンジンもそのひとつだった。ここでハーバート・オースチンが工場長となり、自動車を製作することになる。
当時の英国は、まだ赤旗法(1856-1896:自動車条令ともいわれる。路上を走る自動車は、人が歩いて先導しなければならない。日中は赤い旗をふりながら。夜はランタンをもって。英国での自動車産業の進歩を止めた31年)の時代で、翌年の1896になりようやく廃止となる。このため、産業革命で世界の先端を走っていた英国において、自動車産業だけは育成されず、フランスやドイツに先を越されてしまっていた。
[編集] ハーバート・オースチン時代(1895-1905)
[編集] 会社名:ウーズレー・エンジニアリング社
ウーズレー・エンジニアリング社の工場長だった30歳のハーバート・オースチンは「インターナル・コンバスチョン・エンジン(内燃機関)」と自動車に興味があった。以前パリでみたことのあったレオン・ボレの設計を改良した車を1895年の冬から96年にかけて製作した。のちレオン・ボレの設計はすでに他の英国の会社に購入されしまいハーバート・オースチンに選択の余地はなく自分自身の設計でつくらざるを得なくなった。ウーズレー・オートカー第1号となったくるまは、前輪一輪後輪二輪の三輪車で独立懸架リアサスペンション、エンジンはシート下に置かれた。大人2人が背中合わせで乗車できた。110ポンドで販売されたが売れなかった。車の購入希望者は4人乗車を好んだのだ。
1899年、会社の創業者であるウーズレーが亡くなる。このころウーズレー社の自動車部門ではオースチン設計の4座の自動車を作るようになっていた。水平単気筒エンジン、ラップアラウンド・ラジエター・チューブ、後輪車軸をチェーンで駆動した。この車は1900年の春におこなわれた1000マイル・トライアル・レースに出場し、同クラスで優勝。このレプリカが270ポンドで市販されウーズレー初の生産車となった。
[編集] 会社名:ウーズレー・ツール&モーターカー・カンパニー
[編集] ブランド名:ウーズレー
1901年にウーズレー社自動車部門はビッカーズ・エンジニアリング(Vickers Engineering)とハイラム・マキシム(Hiram Maxim)に12,400ポンドでの自動車製造部門が売却され、新会社ウーズレー・ツール&モーターカー・カンパニーとして独立する。会社はバーミンガムのアダレイ・パークに置かれた。新会社ではオースチンは特許の見返りとして株主にも加わり、また新会社においても工場長を勤めた。この時期、オースチンは、新会社の仕事をしながらも、旧のウーズレー羊毛刈込機械会社の仕事もパートタイムでこなしていた。ハーバートは自動車を作りながらも、1911年から1933年までウーズレー羊毛刈込機械会社の会長(取締役会議長)も勤めている。(自動車部を売却したウーズレー・エンジニアリング社のその後は#現在のウーズレー社(Wolseley plc)を参照)
新ウーズレーはレースに積極的に参加し、1903年には年800台まで成長し収益も好調だった。アレクサンドラ女王がパトロンとなっていたが収益を出すまでに5年を要していた。
[編集] J.D.シドレー時代(1905-1909)
[編集] 会社名:ウーズレー・ツール&モーターカー・カンパニー
[編集] ブランド名:ウーズレー=シドレー
ハーバート・オースチンは1905年に会社を去り自身の会社オースチン(the Austin Motor Company)を設立する。ウーズレーはジョン・ダベンポート・シドレー(John Davenport Siddeley)が創業したシドレー・オートカー・カンパニー(Siddeley Autocar Company)を買収しオースチンの後任にJ.D.シドレーを指名した。(シドレーはのちにアームストロング=シドレー(Armstrong-Siddeley)を設立、また彼はのちケニルワース男爵(Baron Kenilworth)を授けられている。)
1905年、シドレーが最初におこなったのは、旧式な水平エンジンと費用のかかるレースをやめることだった。これにより新式のシドレーデザインが適用され、このときより車は『ウーズレー=シドレー』として販売された。
[編集] (1909-1926)
[編集] ブランド名:ウーズレー
1909年シドレーもウーズレーを去りディージー・モーター・カンパニー(Deasy Motor Company)に移る。シドレー=ディージー車(のちアームストロング=ウィットワース(Armstrong-Whitworth)と合併しアームストロング=シドレー)(Armstrong-Siddeley))となる。これと混同されないように1911年後半にはシドレーという名前も終了する。
この時期にはウーズレーから興味深い製品が出ている。1910年のエンジン付きスレー(そり)で、スコット南極探検隊とドイツ南極探検隊で使用された。この使用はスコット隊がアムンゼンに配した理由の一因ともされている(ロバート・スコット#南極到達レースの敗因分析) 。1912年には珍しい車、二輪ジャイロカー(コマ)がロシアの王室メンバーであり法律家であった公爵ペーター・シロフスキー(Count Peter P Schilovski)の援助で作られた。これはシロフスキー・ジャイロカー(Schilovski Gyrocar)とよばれる。このような奇妙な車も作ったウーズレー社だったが、二階建てバス、タクシーキャブ、ローリー(トラック)、パワーボート用エンジンなども作っていた。
1913年にはウーズレーは英国の最大メーカーとなっていた。従業員5500人で年間5000台程を生産した。
[編集] 会社名:ウーズレー・モーター・カンパニー
1914年、第一次世界大戦の直前にウーズレー・モーター・カンパニー(Wolseley Motor Company)と社名を変更。カナダではウーズレー・モータース・リミテッド(Wolseley Motors Ltd)という社名でモントリオールとトロントに支社を置いた。このカナダ支社は第一次世界大戦後のBritish and American Motorsとなる。
第一次世界大戦中のウーズレーは主に飛行機エンジン、飛行機完成品、飛行機パーツを生産していた。他には、トラック生産はわずかだったが、武器や軍需用品は大量に生産していた。
休戦となってからは(英国人は第一次大戦から第二次大戦までの間をこう呼ぶ)13,000人の作業員で年間20,000台の生産をすべく準備にいそしむ。170万株を発行して資金を調達し、工場の機械類を購入したり、販売店を世界各地にオープンさせた。ウーズレーはより上級志向の車作りをすすめ、ショールームも設けた。これは「ウーズレー・ハウス」とよばれ、ピカデリーのリッツホテル脇に作られた。(現在ここはザ・ウーズレー(The Wolseley)という名前のレストランとなっている。)
12,000台を販売し英国一の自動車製造業者となったのだが、目標の20,000台には届かなかった。戦後求められた車は高価なウーズレーばかりではなかったのである。人気のあったのはモーリス・カウリーやフォードT型だった。
[編集] 日本のウーズレー車
1918年(大正7年)にウーズレーは東京で東京石川島造船所株式会社と合弁事業を始めた。石川島は東洋における販売権と製造権を手に入れた。1922年(大正11年)からはウーズレーA9型乗用車を販売。これを日本では国産化といった。しかしながら、部品の素材自体からして劣悪な品質だったため、その品質は本国製には到底およばなかった。1924(大正13)年にはウーズレーCP型1.5トン積みトラックで軍用保護自動車の資格を得る。1927年(昭和2年)、東京石川島造船所はすでにモーリス傘下となっていたウーズレー社との提携を解消し、車名はウーズレーから「スミダ」に改められる。しかし車はウーズレーのコピーのままだった。1929(昭和4)年自動車部が分離し株式会社石川島自動車製造所となり、第二次世界大戦直前、「石川島自動車製作所」と「東京瓦斯電気工業」が合併し「ディーゼル自動車工業」となる。これが戦後、いすゞ自動車となる。
[編集] 破産
ウーズレー社は1925年まで年140,000ポンドもの利息に悪戦苦闘する。1926年10月に会社は2,000,000(二百万)ポンドの負債を抱え破産宣告を受け管財人に委託される。これは自動車の歴史上でも有数の大倒産劇となった。
[編集] モーリス(ナッフィールド)傘下(1926-1952)
[編集] 会社名:ウーズレー・モータース
1926年、ウィリアム・モーリスがハーバート・オースチンやゼネラル・モータースに競り勝ち730,000ポンドで会社を購入。社名をウーズレー・モータース(Wolseley Motors)とし、生産施設はバーミンガムのウォード・エンドに集約した。
ウーズレーのOHCエンジン、そしてウーズレーの工場のエンジニアのエンジンに対する経験の深さがその購入動機だったという。ウーズレーのエンジニアはモーリスの車両をいまよりも上級車に仕立てる仕事を求められた。6気筒エンジンは4気筒、6気筒、8気筒のバリエーションとなり、これがのちのOHC版MGエンジンの源となる。モーリスの仕事をさせられる一方、ウーズレー社はある一定範囲で自由に活動する裁量権も持つことができた。そのため、モーリス用ボディ鉄板をプレスしながらも、一風変わったウーズレー自動車を生産し続けることができた。
1930年には名高いウーズレー・ホーネットを市場に投入。1932年にはイルミネーションで光り輝くラジエターバッジが登場する。1975年に生産を終了するまでウーズレー自動車にはこのイルミネーションするマークが必ずつけられていた。
[編集] ナッフィールド・オーガニゼーション時代(1938-1952)
1935年、ウィリアム・モーリス(初代ナッフィールド子爵)の所有するモーリス・モーター・カンパニーの子会社となる。ウーズレー車はこの時点から独自色を薄めていき、モーリス社の設計ベースの車へと変わっていく。1938年にライレー社とその子会社のオートヴィア社がモーリス傘下となってからは、この企業群はナッフィールド・オーガニゼーションとよばれることになる。
1945年、戦争の惨禍がようやく終わり、生産施設はカウレー(Cowley)に集約され、ここでバッジエンジニアリングが引き続きおこなわれる。戦争前のデザインで10hpのシリーズIIIが生産されはじめる。一方、モーリス・シリーズEの上級版としてウーズレー 8という新モデルも投入される。このウーズレー 8はモダンなナッフィールド車のボディデザインにウーズレーのフロントとトリムをつけたものだった。
1948年にはウーズレー 4/50および6/80がモノコック構造でデザインされた。しかしこれはモーリス・オックスフォードMOを大きくしたものだった。4/50と6/80では新型のOHC4気筒そして6気筒エンジンを搭載していた。このエンジンは他にはモリース・シックスにしか使われていない。この時期は戦後の耐乏生活期であり、戦前の豪華仕様ウーズレー風室内デザインは時代にそぐわないものだった。
1948年10月にはウォード・エンドで99 4/50や19 6/80の生産が開始され、モーリス・シックスも5台を生産したが、1949年1月には、カウリーのナッフィールド工場に移転することになる。
[編集] BMC時代(1952-1968)
BMCでも引き続きバッジエンジニアリングがおこなわれる。 1952年、4/44が登場する。ジェラルド・パーマーデザインのなめらかなボディをもつこの車は、贅沢仕様のウーズレーの再来だった。エンジンはMG TDでも使われた1250cc XPナッフィールド・エンジンで、1952年のモーリスとオースチンというライバル同士の合併によるBMC設立によるものであり、このようなオースチンエンジンを利用した合理化はこの後BMCのすべての車両に対しておこなわれた。
1954年にはジェラルド・パーマーのデザインのプレステージ、つまり高価で権威付けられたモデルとして6/90が登場する。6/90はナッフィールド・ウーズレー最後のモデルといえるもので、ボディスタイルがライレーのパスファインダーと共通であるのみでオースチンとはまったく関係していない。6/90は新型2639ccのBMC Cシリーズ・エンジンを搭載したはじめての車でもある。
1956年に4/44がナッフィールド・ウーズレーの車として生産を終了し、外見は似ているがエンジンがBシリーズとなった15/50で置き換えられた。
1957年4月にはモーリス・マイナーの後継車としてウーズレー1500が投入される。これにもBシリーズエンジンが使われた。このボディはライレー 1.5と共有されている。ライレーと比較した性能では、1500は高級感をもち低コストの50年代GTiであった。
1958年にBMCはピニンファリーナをつかって新たなスタイルを模索していた。これには合併後いまだ覚めやらぬオースチンとモーリスのそれぞれの設計チームの軋轢を抑えようという意図もあった。
BMCファリーナの最初の作品はA40となった。しかしこれはウーズレーブランドでの姉妹車とはならなかった。この車のすぐあと、ピニンファリーナデザインでより大きなミッドサイズ車ウーズレー 15/60サルーンが発売される。これはパーマーの曲線美デザインの15/50の角型版だった。これはウーズレーだけでなく、MG、ライレー、モーリス、オースチンで発売された。このシリーズはバッジエンジニアリングの極端な一例であり、フロントグリルとボンネットのノーズ部分の違いと、車内のトリムレベルがブランドそれぞれの位置づけを反映したものというだけだった。
1959年にウーズレー 6/90の後継ウーズレー 6/99となる。6/99はオースチン A95と主要コンポーネントを共有しており、これはナッフィールド・ウーズレーの終焉となった。
6/99はA95よりも大きめに設計されていて、エンジンもよりパワーのあるCシリーズが使われていた。これはビッグ・ファリーナと呼ばれていた。小型4気筒エンジン版の15/60とはボディもコンポーネントも共有していなかった。
ビッグ・ファリーナは当初、オースチン、ウーズレーの2ブランド、そしてのちにバンデン・プラが加わり計3ブランドで発売された。バンデン・プラではプリンセス3リッターエンジンを搭載し、のちにはロールス・ロイス製4リッターエンジンをも搭載した。しかしながらいずれのモデルもその外観は同様だった。この3種のプレステージモデルは、4気筒エンジンの小型のファリーナよりも大きく、その形はボンネット、フロントフェンダー、リアフェンダー、フロントグリル、フロントパネル、ヘッドライト、トリムに及んでいる。
1961年ミニベースのホーネットとなる。拡大されたボディ、リアにはちいさなウイングフィンがつき、フロントグリルは伝統的なウーズレー顔とされた。ウーズレー・ホーネットおよび姉妹車のライレー・エルフは最小型車市場の上級クラスを狙い、よりよいミニとして化粧直しされたものだった。
1962年、BMC 1100/1300シリーズがアレック・イシゴニス(Alec Issigonis)によりデザインされた。アレックはモーリスマイナーそしてミニの設計者だ。しかしこのウーズレー姉妹車は1965年になってやっと登場する。これは1500の後継だった。
1967年にはウーズレー 18/85が登場、オースチン1800をちょっと化粧よくしただけと評された。
1968年にはビッグ・ファリーナと6/110MK IIが終了する。6/110 MK IIは1958年の6/99直系モデルの最終版で、ホイルベースが2インチ、エンジンが10bhp拡大され、室内も洗練されたものだった。これらに後継モデルはなく、ウーズレーとしての大型プレステージモデルは歴史となった。小型モデルではウーズレー 16/60がピニンファリーナのスタイルをもってがんばっていた。
1972年から1975年にかけてウーズレー・シックスが製作されたがわずかだった。
[編集] ブリティッシュ・レイランド時代(1968-1976)
1968年には英国政府の要請によりBMCとレイランドが合併しブリティッシュ・レイランドとなる。
70年代はウーズレー・ブランドの需要が落ち込み、ブリティッシュ・レイランドは他のブランドへの集中をはじめる。ウーズレーモデルとしてはウーズレー・シックスとウーズレー・ウェッジ 18/22の2モデルが発売されたのみだった。 ウーズレー・シックスは18/85の後継でオースチン・マキシ(Austin Maxi)の2.2リッターOHC6気筒エンジンを18/85に押し込めたものだった。この時期モデルが次々と終了していった。
ウーズレー・ホーネットはミニベースでボディはライレー・エルフと共有されていた。その後、オースチン1800も1967年にはウーズレー18/85として発売された。ライレー・ブランドは長らくウーズレーと姉妹車とされていたが、1969年にブランドとしてライレーが終了する。一方、ウーズレーは規模が縮小されながらも生産は継続され、6気筒オースチン1800のバリエーションだったオースチン2200の姉妹車として1972年版ウーズレー・シックスが作られた。しかしこれも3年で終了。今度はレイランド・プリンセスとなっていた18-22シリーズをベースとしてウーズレー 18-22サルーンと一般によばれている車が作られる。しかし正式には「ウーズレー」としか名のっていなかった。「ウーズレー」として販売された期間はほんの7ヶ月で、その後車名は「プリンセス」と変更された。
1969年、ホーネットが生産終了。1971年、15/60 ファリーナが生産終了。1972年、ウーズレー・シックス6気筒版が終了し18/95が後継となる。1973年、1100/1300シリーズが終了。1975年、ウーズレー・シックスが終了。最後にウーズレーの名は、1975年にオースチンとモーリスの姉妹車でウェッジとよばれた18/22に短い間使われた。
1976年に、全車「レイランドのプリンセスブランド」となり、ウーズレーの名前が消えた。
[編集] 現在のウーズレー・ブランド
ブランドとしてのウーズレーは2004年にMGローバーグループの資産の一部として上海汽車に譲渡されると報じられていたが、2005年になり、交渉が決裂し、経営破綻、倒産状態となった。その後、南京汽車(Nanjing Automobile Group)がこれを買い入れ保有することとなった。
[編集] 現在のウーズレー社(Wolseley plc)
1901年に自動車部門を売却した創業始祖である「ウーズレー・エンジニアリング・リミテッド」はその後も操業を続けており、現在では社名Wolseley plc[1]として欧米各国の多くのブランドを傘下企業に抱え、建築資材、電気、空調設備などの分野で活動している。
(注:現在のウーズレー社の社史ではハーバート・オースチンはオースチン・モーター・カンパニー設立までウーズレーにとどまっていたと記されている[2]。)
[編集] リスト:1920年代 1930年代のウーズレー車
- 4気筒エンジン
- 1920-1924 Wolseley 10
- 1920-1927 Wolseley 15
- 1934-1935 Wolseley Nine
- 1935-1936 Wolseley Wasp
- 1936-1937 Wolseley 10/40
- 1936-1939 Wolseley 12/48
- 1939-1939 Wolseley Ten
- 6気筒エンジン
- 1920-1924 Wolseley 20
- 1930-1936 Wolseley Hornet
- 1927-1932 Wolseley Viper
- 1930-1935 Wolseley 21/60
- 1933-1935 Wolseley Sixteen
- 1935-1936 Wolseley Fourteen
- 1935-1935 Wolseley Eighteen
- 1936-1938 Wolseley 14/56
- 1937-1938 Wolseley 18/80
- 1935-1937 Wolseley Super Six 16HP, 21HP, 25HP
- 1938-1939 Wolseley 14/60
- 1938-1939 Wolseley 16/65
- 1938-1939 Wolseley 18/85
- 1937-1939 Wolseley 16HP, 21HP, 25HP
- 8気筒エンジン
- 1928-1931 Wolseley 21/60 Straight Eight
[編集] リスト:戦後のウーズレー車
[編集] 14/60の意味
ウーズレー車は長い間2桁の番号をモデル名として使用していた。1948年までは、エンジンのサイズを意味していた。それは英国での課税馬力での単位で、これは英国王立自動車協会(RAC:en:Royal Automobile Club)が定義していたものである。14/60とはRAC定義の課税目的での14hpとしてランクされたが実際のパワーは60hp(45kW)であるという意味である。その後、最初の番号は気筒数を示すことになり、さらに1956年以後の4気筒エンジン車では排気量をあらわすことになった。15/60とは1.5リットルエンジンで60hp(45kW)を出力するという意味である。最終的にこの表示方法は廃止された。
[編集] リスト
- 4気筒エンジン
- 1939-1948 en:Wolseley Ten (en:Morris Ten)
- 1937-1948 en:Wolseley 12/48 (戦後製作された車両はシリーズIII)
- 1946-1948 en:Wolseley Eight (Morris Eight Series E)
- 1947-1955 en:Wolseley Oxford Taxi (Morris Commercial design)
- 1948-1953 en:Wolseley 4/50 (Morris Oxford MO)
- 1952-1956 en:Wolseley 4/44 (MG Magnette ZA/ZB)
- 1956-1958 en:Wolseley 15/50 (MG Magnette ZB)
- 1957-1965 en:Wolseley 1500 (ライレー1.5(One-Point-Five)に近似:モーリス・マイナー(en:Morris Minor))
- 1958-1961 en:Wolseley 15/60 ( A55 (mark 2) Cambridge)
- 1961-1969 en:Wolseley Hornet (ライレー・エルフに近似:ミニベース)
- 1961-1971 en:Wolseley 16/60 (Austin A60 Cambridge)
- 1965-1974 en:Wolseley 1100/1300 (Morris 1100)
- 1967-1971 en:Wolseley 18/85 (en:Austin 1800)
- 6気筒エンジン
- 1938-1948 en:Wolseley 14/60 (戦後製作された車両はシリーズIII)
- 1938-1948 en:Wolseley 18/85 (戦後製作された車両はシリーズIII)
- 1938-1948 en:Wolseley 25 (戦後製作された車両はシリーズIII)
- 1948-1954 en:Wolseley 6/80 (Morris Oxford MO)
- 1954-1959 en:Wolseley 6/90 (en:ライレー・パスファインダー)
- 1959-1961 en:Wolseley 6/99 (オースチンA99ウエストミンスター(Austin A99 Westminster))
- 1961-1968 en:Wolseley 6/110 (オースチンA110ウエストミンスター(Austin A110 Westminster))
- 1972-1975 en:Wolseley Six (オースチン1800(en:Austin 1800))
- March-October 1975 en:Wolseley (18-22 series saloon) (レイランド・プリンセス(en:Leyland Princess))
- その他の製造車 (時期不明):
- en:Wolseley 4/60 (オランダ版 16/60)
- en:Wolseley 24/80 (オーストラリア版 15/60 および 16/60、4気筒でなく6気筒エンジンを搭載。オースチン・フリーウェイ(Austin Freeway)の姉妹車)
- en:Wolseley 300 (デンマーク版 6/99 および 6/110)
ブリティッシュ・レイランド の盛衰 - 自動車会社とブランド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ブランド | 1900 | 1910 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャガー | SSカーズ | ジャガー | ジャガー | BMH | ブリティッシュ・レイランド | ジャガー | フォード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
デイムラー | デイムラー | BSA | BSA | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ランチェスター | ランチェスター | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
MINI | BMC[1] | オースチン・ローバー | BAe | BMW | BMW/MINI | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ライレー | ライレー | ナッフィールド・オーガニゼーション | BMW | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
MG | モーリス・ガレージ (MG) | BMW | MGR | 南京汽車 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モーリス | モーリス | モーリス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウーズレー | ウーズレー[2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オースチン | オースチン | オースチン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バンデン・プラ | バンデン・プラ | フォード [3] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ローバー | ローバー | ローバー | ローバー | BMW/MGR | フォード [4] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ランドローバー | フォード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルビス | アルビス[5] | BAEシステムズ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スタンダード | スタンダード | スタンダード・トライアンフ | レイランド | BMW/トライアンフ[6] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トライアンフ | ドーソン | トライアンフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||