ライレー
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ライレー (Riley) 社は 英国の自動車製造メーカー。1890年に自転車メーカーを買収しその名前が始まる。4人の息子たちが自動車および自動車部品を製造する複数の会社を経営したのち、1938年にナッフィールド (Nuffield Organisation) 傘下となる。その後ブリティシュ・レイランド (British Leyland Motor Corporation) と合併。今日そのブランドの商標権はBMWが所有している。
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[編集] ライレー自転車会社 (Riley Cycle Company) 1890年
英国コヴェントリーで "Bonnick Cycle Company" として創業していた会社を、1890年、ウィリアム・ライレー・ジュニアが買収し、ライレー・サイクル・カンパニー(ライレー自転車会社)と社名を変更。その後、自転車のギアを製造していた "Sturmey Archer" も買収。息子のパーシーがまだ10代だったが遊び半分で自動車を作り始める。最初の車は1898年16歳の時、父親の許可が下りないので内緒で作ったもので、のちに英国自動車産業の町として有名になったコヴェントリーでも最初の自動車だった。パーシーの製作は1899年にはオートバイから、四輪自転車 (Quadricycle) のプロトタイプになっていった。1900年には三輪自動車を販売するまでになった。ただし会社としてはまだ自動車会社とはいえなかった。
1903年、パーシー・ライレーは同じコヴェントリーでライレー・エンジン・カンパニー(ライレー自動車会社)を設立。最初はライレーのオートバイ用エンジンの製作だったが、ほどなくして四輪自動車のみに集中する。V型ツイン搭載のツアラーのプロトタイプを1905年に製作し、この車が一般には最初のライレー製自動車と認定されている。エンジン・カンパニーは翌年拡張し、一方、ライレー自転車は1907年には自動車に集中し、1911年には自転車生産は終了している。
1912年、ライレー自転車会社はライレー(コヴェントリー)会社と社名を変更、ウィリアム・ライレーは急速に発展している自動車産業でホイールサプライヤーとなることを決定。取り外し可能なホイールの先駆者となった。
[編集] ライレー・モーター・マニュファクチャリング (Riley Motor Manufacturing) 1913年
1913年の初頭、パーシーは3人の兄(ビクター、スタンレー、アラン)と共に自動車製造に乗り出す。ライレー・モーター・マニュファクチャリング・カンパニーはパーシーのライレー・エンジン・カンパニーの近くに設立した。最初のモデルは、17/30。ロンドンモーターショーに出品。次いで、スタンレー・ライレーがまた別の会社ネオ・エンジン・カンパニーを作り、彼自身の4気筒10hp(7.5kW) の自動車の生産をはじめる。ライレーは飛行機のエンジンも製造するようになり、第一次世界大戦ではすでに英国の主要な供給元となっていた。
戦争が終わったのちの1918年、ライレーの会社は再編される。ネロがライレー(コヴェントリー)に自動車のチーフプロデューサーとして参加。ライレー・モーター・マニュファクチャリングはアラン・ライレーの元にミッドランド・モーター・ボディとなり、ライレーのボディ製造をおこなうコーチビルダーとなる。ライレー・エンジン・カンパニーは引き続きパーシーの元でエンジン・サプライヤーとして継続していた。この頃、ライレーの『ブルー・ダイヤモンド』バッジがハリー・ラッシュにより作られている。社是は『As old as the industry, as modern as the hour - 自動車業界の歴史とともに歩み、時間とともに歩む』
ライレー1920年代から1930年代にかけて急速に成長する。ライレー・エンジンでは4気筒、6気筒、8気筒エンジンを生産、ミッドランドでは1ダース以上ものボディを生産していた。この時点でのライレーのモデルは
- サルーン: Adelphi, Deauville, Falcon, Kestrel, Mentone, Merlin, Monaco, Stelvio
- クーペ: Ascot, Lincock, Gamecock
- ツーリング: Alpine, Lynx
- スポーツ: Brooklands, Imp, MPH, Sprite
- リムジン: Edinburgh, Winchester
1920年代後半、ヒルクライムやルマンで活躍したワークス、プライベート・チームとしてライレー・ブルックランズがある。女性レーサー、カイ・ペトリーやドロシー・チャンプニーに車を提供した。このチームはパーシー・ライレーの作った画期的な小排気量高回転のライレー9エンジンを搭載し、何度もタイムを更新した。このエンジンの寿命の長さは第二次世界大戦後になって戦前のライリーのエンジンを積んで走ったスターリング・モスが詳しく解説している。
1936年頃には会社は拡大しすぎてモデルは数多くなり、しかも共通の部品はほとんどないという状況になっていた。同じコベントリーのジャガーが直接の脅威となってきた。ビクター・ライレーは新型の最高級車オートヴィア (Autovia) を企画する。V8サルーンとリムジンでロールス・ロイスと競合するモデルだった。ライレー(コヴェントリー)の子会社として同名の会社オートヴィアを設立し、オートヴィアはそこで製作された。一方、ライレー・エンジン・カンパニーはPRモータースと社名を変更。PRはパーシー・ライレーの頭文字である。そしてエンジンと部品を大量生産した。しかしながらPRモータース以外のライレーの会社はBMCに吸収されることになる。パーシーが1941年が亡くなる。その後、PRモータースはトランスミッション部品の製造も始め、ニューエイジ・トランスミッションズとして現在も操業をつづけている。
[編集] ナッフィールド (Nuffield Organisation) 1938年
1937年、ライレーは他社との提携を考えるようになる。1932年のモータースポーツでの成功のピークでワークスとしての活動を中止したが、ブルックランズ系のERAへのエンジン供給は続けた。ドイツ、ミュンヘンのBMWが英国で活動したいとの申し出を受けるが、ライレーは英国の会社に興味があった。同じコヴェントリーのトライアンフ・モーター・カンパニーが提携先として適切と思っていた。しかし、1938年2月、ライレー(コヴェントリー)とオートヴィアが管財人の手に委ねられ交渉は終了する。
ライレー(コヴェントリー)とオートヴィアはウィリアム・モーリス(初代ナッフィールド子爵)に143,000ポンドで買収されたが、ビクター・ライレーが引き続き社の運営を任される。これはすぐにウィリアム・モーリスの所有していたモーリス・モーター・カンパニーに1ポンドで売却され、以降モーリス・グループ企業群はナッフィールド・オーガニゼーションとよばれるようになる。
ナッフィールドは会社を早期に黒字化することを急いだ。オートヴィアは35台で打ち止めとなった。ライレーは4気筒エンジン市場で1.5Lとビッグフォー2.5Lが再び脚光を浴びた。数種類のボディしか生産されなかった。部品はコストの観点からモーリスと共通化された。
第二次世界大戦が終わると、ライレー・モータースを再興し、以前のエンジンを使って新しいモデルを作った。RMAでは1.5Lエンジンを、RMBではビッグフォーを使った。RMシリーズは『すてきなドライブ (Magnificent Motoring)』というキャッチコピーのもと、最高級車として販売された。フロントサスペンションが独立懸架でステアリングはシトロエンをもとにデザインされたものだった。Traction Avant
ビクター・ライレーは1947年にナッフィールドを去り、コヴェントリーの工場は生産を停止しMGの Abingdon に統合された。ナッフィールドのブランドはGM的に再構成され、モーリスがバリューライン(低マージン大量販売車)、MGがパフォーマンス(高マージンスポーティー車)、ウーズレーがラグジュアリー(高マージン高級車)という位置づけとなった。しかしバンデン・プラ (Vanden Plas)とライレーも最高級の位置づけだったため、混乱をきたした。
[編集] BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション) 1952年
1952年にはこの混乱は危機的となり、ナッフィールドとオースチン・モーター・カンパニーが合併しブリティッシュ・モーター・コーポレーション (BMC) となった。ライレーはMGとウーズレーの間に置かれ、ライレーモデルのほとんどはオースチン/モーリスで設計された車のバッジエンジニアリング、つまり姉妹車となってしまった。
BMCでのライレー車としては、ライレー・パスファインダーがあげられる。これはライレー2.5L4気筒エンジンを搭載し、ライレーRMシリーズの後継となっていた。これは、のちボディとエンジンが変更されウーズレー・6/90としても販売された。1958年にはライレーは6/90との違いもなくなってしまい(かすかに違ったけれども)ライレー・ 2.6(ツー・ポイント・シックス)という名前の姉妹車となった。これは大戦後唯一の6気筒ライレーではあったが、BMCのCシリーズエンジンでありそれ以前のライレーのビッグフォーほどもパワーがなかった。これがライレー最後の大型タイプだった。1959年5月にはこのモデルも終了しライレーは2L以下のセグメントとなっていく。
ライレー、ウーズレーは小型車となり1957年、ライレー・1.5(ワン・ポイント・ファイブ)とウーズレー・1500がモーリス・マイナーの姉妹車として登場。外見は共通だったがライレーはよりスポーティな車として宣伝された。
1959年4月でのライレーの最上級はライレー・4/68(シックスティ・エイト) サルーン。今回はMGマグネット・マークIII とウーズレー・15/60と姉妹車だった。1961年には全車共にモデルチェンジされ、ライレー・4/76(セブンティ・シックス)となる。
最後のライレーは1960年代、Miniベースで作られたライレー・エルフ (Elf) である。もちろんこれにもウーズレーモデルがありウーズレー・ホーネットといった。今回は外見が異なり中身が一緒となっていた。
[編集] 未来
ライレーの生産は1960年代に終了し、ブランドは停止状態である。最後のライレーとしてのバッジエンジニアリングカーは1969年だった。1994年、ローバーグループが BMW に買収されこれらのブランドにフォーカスがあたった。Mini が BMW/MINI となり、BMW がトライアンフとライレーのブランド商標権を保持することになったのである。ドイツの会社である BMW が MINI を BMW/MINI として復活させたように、来るべき将来にライレーの復活もあるかもしれない。
[編集] ライレー・モデル一覧
[編集] 第一次世界大戦以前
- 1907-1911 ライレー 9
- 1907-1907 ライレー 12
- 1909-1914 ライレー 10
- 1908-1914 ライレー 12/18
- 1915-1916 ライレー 10
[編集] 戦時中
- 1913-1922 ライレー 17/30
- 1919-1924 ライレー イレブン
- 1925-1928 ライレー トゥエルブ
- 1926-1937 ライレー ナイン
- 1927-1931 ライレー ブルックランズ
- 1928-1937 ライレー シックス
- 1929-1934 ライレー 14/6
- 1933-1935 ライレー 12/6
- 1934-1935 ライレー Imp
- 1934-1935 ライレー MPH
- 1935-1938 ライレー 15/6
- 1935-1938 ライレー 1.5
- 1936-1938 ライレー スプライト
- 1936-1938 ライレー 8/90
- 1937-1938 ライレー ビッグ・フォー
- 1939-1940 ライレー 12
- 1939-1940 ライレー 16
[編集] 戦後
- ロードスター
- ミッド・サイズ
- ラージ・サイズ
- ミニ
- 1961-1969 Elf (Mini)
- コンパクト
- 1965-1969 ライレー ケストレル/1300 (モーリス 1100)
[編集] トリビア
- 米国に「ライレー・テクノロジーズ」というレーシングカー製造メーカーがあるが、一切関係はない。
ブリティッシュ・レイランド の盛衰 - 自動車会社とブランド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ブランド | 1900 | 1910 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャガー | SSカーズ | ジャガー | ジャガー | BMH | ブリティッシュ・レイランド | ジャガー | フォード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
デイムラー | デイムラー | BSA | BSA | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ランチェスター | ランチェスター | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
MINI | BMC[1] | オースチン・ローバー | BAe | BMW | BMW/MINI | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ライレー | ライレー | ナッフィールド・オーガニゼーション | BMW | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
MG | モーリス・ガレージ (MG) | BMW | MGR | 南京汽車 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モーリス | モーリス | モーリス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウーズレー | ウーズレー[2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オースチン | オースチン | オースチン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バンデン・プラ | バンデン・プラ | フォード [3] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ローバー | ローバー | ローバー | ローバー | BMW/MGR | フォード [4] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ランドローバー | フォード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルビス | アルビス[5] | BAEシステムズ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スタンダード | スタンダード | スタンダード・トライアンフ | レイランド | BMW/トライアンフ[6] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トライアンフ | ドーソン | トライアンフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||