クダ州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
州の標語: - | |
州歌: Allah Selamatkan Sultan Mahkota | |
![]() |
|
州都 | アロースター |
与党 | Barisan Nasional |
面積 | 9,426 km² |
人口 | 1,778,188(2003) |
人口密度 | 188.7/km² |
国際電話番号 | 04 |
国際郵便番号 | 02xxx, 05xxx ~ 09xxx |
ナンバープレート | K, KV(ランカウイ島) |
公式サイト | [1] |
クダ州(ラテン文字: Kedah、ジャウィ: قدح )は、マレーシアの行政区画(州)の一つである。半島部マレーシアの北部西岸に位置しており、タイ南端と国境を接している。州都はアロースター(Alor Setar)。なお、日本語では「ケダ州」と表記・呼称されることもある。
水田が一面に広がる、国内有数の穀倉地帯である。近年は、政府主導による工業団地建設や、自然豊かな観光資源を活用した観光開発がすすめられており、今日、一大リゾートアイランドとなったランカウイ島(Pulau Langkawi)もこのクダ州に含まれる。
なお、初代首相のラーマンやマハティール前首相の出身地としても知られる。
[編集] 地理
クダ州の面積は9,428km²で、稲作に適する平野部がそのほとんどを占めている。
州都アロースターは2003年11月28日に町から市へ昇格した。他にも大きな町として、半島部にスンガイペタニ(Sungai Petani)とクリム(Kulim)があり、ランカウイ島にクアー(Kuah)がある。
クダ州を構成するのは、以下の11県(district)である。
- Baling、Bandar Baharu、Kota Setar、Kuala Muda、Kubang Pasu、Kulim、Pulau Langkawi、Padang Terap、Pendang、Sik、Yan
クダ州の人口は、2003年のデータでは、1,778,188人。その内訳は、マレー系が1,336,352人、中国系が252,987人、インド系が122,911人、外国人が35,293人、その他の民族27,532人となっている。
[編集] 歴史
マレー半島で最も長い歴史を持ち、クダ州は、4世紀から、ブジャング盆地(Bujang Valley)を中心とした、ヒンドゥー・仏教王国が存在した。現在の王族の血統もそこに辿っていけば、血が繋がっているそうである。
7世紀から8世紀に渡って、クダ州はスリビジャヤ(Srivijaya)、そしてシャム(現在のタイ)に統治された。
15世紀に、マラッカ王朝の発展により、マラッカに統治された。
17世紀に、マラッカを倒したポルトガルに次いで、アチェ(Acheh)にも、攻撃を受けて、敗戦した。
18世紀末、タイの攻撃を恐れて、イギリスにペナン島を譲渡し、その庇護を求めたが、1821年、クダはタイに征服され、1909年のアングロ・シャミーズ条約(Anglo-Siamese Treaty)によってイギリスに移譲されるまで、シャムの統治下にあった。
第二次世界大戦のとき、クランタン州とほとんど同時、最初に、日本軍による攻撃を受けたマラヤの地域の一つであった。日本軍はクダ州をシャムに移譲し、シブリ(Syburi)と名づけられた。
戦後にはイギリスに返還され、1948年、マラヤ連邦(Federation of Malaya)に加入した。
[編集] 経済
クダ州は昔から農業が盛んでいて、マレーシアの米の3割を生産し、マレーシア有数の穀倉地帯である。そのほか、ゴム、アブラヤシとタバコの生産地でもある。
近年では観光業の発展も著しく、特に、ランカウイ島は有数の観光地となっている。ランカウィ全体は免税地域となっているので、品物は格安である。
1996年、クリム県に、クリム・ハイテック・パークができて、富士電機グループ、濱田重工、HOYAなどの日本企業、インテル等の海外企業がプラントを設けた。海外からの投資を呼び込むための各種設備・制度が完備しており、かつ国際空港のあるペナン島とは橋と高速道路によって接続しているため、海外の進出企業にとっても魅力は大きい。