ペナン州
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州の標語: Bersatu dan Setia (United and Loyal) | |
州歌: Untuk Negeri Kita ("For Our State") | |
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州都 | ジョージタウン (マレーシア) |
与党 | Barisan Nasional |
面積 | 1,046.3 km² |
人口 | 1,470,000 |
人口密度 | 1404.9/km² |
国際電話番号 | 04 |
国際郵便番号 | 10000 - 19500 |
ナンバープレート | P |
公式サイト | [1] |
ペナン州或はプラウ・ピナン州(ラテン文字:PenangまたはPulau Pinang、ジャウィ文字:بينانج)はマレーシアの行政区画(州)の一つ。
南北24km東西15kmのペナン島と、東洋屈指の長大橋「ペナン・ブリッジ」で結ばれる、対岸のマレー半島部分「スブラン・プライ"Seberang Perai(マレー語)、Province Wellesley(英語)"」にて構成される。
プラウ・ピナン"Pulau Pinang"とは、マレー語で「ビンロウジュ(Pinang:ヤシ科の植物)の島(Pulau)」を意味する。 一般的に使用されるPenangはマレー語のPinangが転訛したものと思われる。ジャウィ文字ではبينانج、中国語では檳島または檳城とも表す。
目次 |
[編集] 地理
- 民族構成:福建や潮州出身をはじめとするの中国系住民が59%と最も多い。次にマレー系住民が32%、インド系住民が7%。
- 位置:北緯5度、東経100度付近に位置する。
- 気候:熱帯に位置するため、年間通じて高温多湿。
[編集] 歴史
- 16世紀頃:インドのゴアより、ポルトガル商人が香辛料を捜し求め、東へ航海する途中に発見され、その後寄航するようになる。
- 17世紀頃:マラッカ海峡の北側の玄関口として様々な国の船舶が通る。
- 1641年:ポルトガル、オランダの攻撃に敗れマラッカを手放す。
- 1786年:イギリス東インド会社のフランシス=ライトがクダ州(Kedah)のスルタンより割譲される。
(その頃、「プリンス・オブ・ウェールズ島」と改名、東インド会社の拠点として発展した)
- 1795年:イギリス、オランダからマラッカを奪取。
- 1819年:イギリス、シンガポールを獲得。
- 1824年:イギリス・オランダ両国にて、マレー半島(マラッカ海峡)を中心とする地区の勢力範囲を定めた英蘭協定を締結。
(イギリスはスマトラ島ベンクーレンとオランダのマラッカを交換し、ペナン、シンガポール・マラッカのいわゆる海峡植民地が完成。
- 19世紀終盤:イギリスによるマレー半島全土の植民地体制が整う。
- 1941年:第二次世界大戦勃発。程なく日本軍に制圧される。
- 1945年:第二次世界大戦終戦。
- 1957年:マラヤ連邦の独立。
- 1960年代:自由港の地位を失う。そのため地域経済が低迷し、失業者が街中にあふれる事となった。
- 1980年以降:東西交易の舞台から、工業地帯への変貌を遂げる。
- 1985年:ペナンブリッジ(長さ13.5km)開通。
[編集] 政治
ペナン州はスルタンを持たないため、かわりに、国王が州首相と協議して任命する任期四年の知事が置かれる。知事は儀礼的存在であり、州政府の長は州議会の多数会派(与党)から選ばれる州首相である。
[編集] 産業
ペナンは「東洋の真珠」や「インド洋のエメラルド」とも呼ばれ、マレーシアでも有数のリゾート島だが、対岸スブラン・プライのバタワースはポートクランと並ぶマレーシアでは屈指の港があり、バタワースや島の玄関口であるバヤンルパス空港周辺にはマレーシアの企業のみならず、外国資本の企業も数多く進出しており、マレーシア産業における重要な拠点の側面を持つ。
[編集] 交通
- 海上交通
- 陸上交通
- 航空交通
- ペナン島南部のバヤンルパス国際空港より国内外へ就航している。