クルト・ヴァルトハイム
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クルト・ヨーゼフ・ヴァルトハイム(Kurt Josef Waldheim, 1918年12月21日 - )は、オーストリア出身の第4代国連事務総長(任期1972年1月 - 1981年12月)、元オーストリア大統領(任期1986年 - 1992年)。
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[編集] プロフィール
[編集] ナチス突撃隊
ヴァルトハイムは、ウィーン近郊のザンクト・アンドレー=ヴェルデルン St. Andrä-Wördernで生まれた。第二次世界大戦前にヒトラーユーゲントを経てナチス突撃隊の将校を務める。
[編集] 外交官
ウィーン大学卒業後、1945年にオーストリアの外務省に勤務。1948年からパリの公使館の長官を務め、1951年からウィーンで外務大臣を務めた。1956年から1960年までカナダ駐在大使を務め、1964年には国連のオーストリア代表に就任した。
1968年から1970年に国連に戻るまで、オーストリア人民党に所属し連邦外務大臣を務めた。1971年にはオーストリア大統領選挙に落選したが、1972年にはウ・タントを継いで国連事務総長となり、1976年には再選された。1981年の三期目は常任理事国の中華人民共和国の拒否によって落選した。デ・クエヤルが彼の後任となった。
[編集] 大統領
ヴァルトハイムは1971年の大統領選挙に落選したが、1986年6月8日の二度目の挑戦では、第二次世界大戦前にヒトラーユーゲントを経てナチス突撃隊の将校となったという事実が判明したにもかかわらず、大統領に当選した。調査によって彼は大戦中の1943年にユーゴスラビアで残虐行為を働いた部隊に於いて通訳を務め、戦争犯罪には無関係であったとされたが、1992年の再選に立候補しなかった。
その大統領任期にもかかわらず、彼は「ペルソナ・ノン・グラータ」とされ6年間の内ほとんど外国の公式訪問を行わなかった。1987年にはアメリカ合衆国の「要注意リスト」に挙げられた(アメリカはナチ党員及び関係者の入国を拒否している)。僅かの例外は第二次世界大戦中にナチスと親密であったバチカン市国であった。彼は任期中にバチカンを二度訪問した。
[編集] 関連項目
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カテゴリ: 国際連合事務総長 | オーストリアの政治家 | 1918年生