ゲアハルト・シュレーダー
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ゲアハルト・フリッツ・クルト・シュレーダー(Gerhard Fritz Kurt Schröder, 1944年4月7日 - )は、ドイツ連邦共和国の政治家。第7代首相(1998年 - 2005年)。ドイツ社会民主党(SPD)の党首(1999年 - 2004年)。
注)ペーパーシュレッダーについてはシュレッダーを参照。
注2)ゲアハルト・シュレーダー元ドイツ連邦共和国内務大臣(1953年–1969年、キリスト教民主同盟)とは別人である。
[編集] 略歴
- 1944年 - 労働者階級の一家に生まれる。父フリッツは、ゲアハルトが生まれたこの年にルーマニアでソ連軍との戦闘中に戦死した。ゲアハルトには父親の記憶が無い。
- 1958年 - 小学校(de)の義務教育を終える。1961年までレンゴ(Lemgo)の町の金物商で小売商人資格の取れる見習修行(Lehre)を受けた。
- 1961年 - ゲッティンゲンで建設労働者および商店従業員として働いた。戦死者の一人息子として兵役義務から免除される。シュレーダーは、1962年から1964年にかけて、ビーレフェルトの夜間学校で中等教育修了資格(de)取得、1964年から1966年に高校修了資格(アビトゥーア)を取得した。
- 1963年 - ドイツ社会民主党に入党。
- 1966年 - ゲッティンゲン大学に入学し、1971年まで在学。専攻は法学。
- 1976年 - 弁護士資格を取得。
- 1980年 - ドイツ連邦議会議員に当選。
- 1986年 - ニーダーザクセン州の州議会議員に転じ、1990年まで、社会民主党のニーダーザクセン州議会議員団長、および野党代表を務める。
- 1990年 - 州議会選挙で社会民主党が勝利し、ニーダーザクセン州の州首相となる。同年フォルクスワーゲンの監査役にも就任(-1998年)
- 1993年 - 社会民主党の党首選挙に出馬するが、ルドルフ・シャーピング(後にシュレーダー政権の国防相となる)に敗北。
- 1994年 - 緑の党(Grüne/B90)と連立を組み、州首相に再任。
- 1997年 - 各州政府の代表からなる連邦参議院の議長となる。
- 1998年 - 社会民主党の首相候補として連邦議会選挙に再出馬して当選。この選挙で社会民主党が勝利したため、ドイツ連邦共和国第7代首相に就任。
- 1999年 - 政策的に対立していた党内左派のオスカー・ラフォンテーヌ党首に代わって、社会民主党党首となる。
- 2002年 - 連邦議会選挙でドイツの道を提唱し、イラクへの派兵反対を訴えて辛勝。首相に再任。サミット終了後、サッカーワールドカップ決勝戦を観戦するために、日本の政府専用機に搭乗し、日本を訪問。
- 2004年 - 政権への不満から社会民主党の支持率が低下したことを受け、党首を辞任。
- 2005年 - 7月、内閣信任案を与党に否決させ、連邦議会を解散(注)。これによって9月18日に総選挙の投票が実施される。SPDは圧倒的に不利という事前の予想を覆して善戦したが、野党キリスト教民主同盟側に4議席及ばず議会第二党へ転落。これによって首相の座を退くこととなった。
- 2006年11月現在,ロシア国営の天然ガス会社ガスプロムの役員を務めている.
注)ドイツではこの方法以外での連邦議会の解散はできない。詳しくはドイツの政治を参照すること。
[編集] 外部リンク・動画
- シュレーダー首相の紹介 ドイツ連邦首相府のサイトより(ドイツ語)
- ZDF.de / ヨハンネス・B・ケルナー / 2004年5月4日放送: Modem/ISDN向け, ブロードバンド向け (Realplayer, 50分)
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