フォルクスワーゲン
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フォルクスワーゲンとは、ドイツ・ニーダーザクセン州のヴォルフスブルクに本社を置く自動車メーカーであるフォルクスワーゲン株式会社(Volkswagen AG)及び同社が製造する自動車ブランドの一つ。さらに狭義では同社の最初の生産車であり長期にわたり全世界に多数のユーザーを得た車種『タイプ1』を指す場合もある。
同社は8つの自動車ブランド、19ヶ国に44工場を所有する。また、サービス拠点、販売拠点を多数維持するほか金融部門も運営する。ルノーやフィアットと並び、ヨーロッパを代表する大手自動車メーカーであり世界の自動車産業のリーディング・カンパニーの一社である。
フォルクスワーゲン社(Volkswagen AG)の乗用車ビジネスはフォルクスワーゲン・ブランドおよびアウディ・ブランドの2ブランド制をとっており、フォルクスワーゲン・ブランドにはフォルクスワーゲン乗用車部門(Volkswagen)、シュコダ(Skoda)、ベントレー(Bentley)、ブガッティ(Bugatti)が含まれ、アウディ・ブランドにはアウディ(Audi)、セアト(SEAT)、ランボルギーニ(Lamborghini)が含まれる。それぞれのブランドは市場で独自のアイデンティティを持ち、また独立した企業運営がなされている。また商用車ビジネスには別途のブランドとして商用車部門(Volkswagen Nutzfahrzeuge)が設けられ、トラック、バス、バン、キャンピングカーを含む。8つのブランド全体を指す場合、ドイツ語でVolkswagen-Konzern(フォルクスヴァーゲン・コンツェルン)、英語でThe Volkswagen Group(フォルクスワーゲン・グループ)という表現をフォルクスワーゲン社自らがよく使用している。
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[編集] 概要
フォルクスワーゲン(Volkswagen)は、ドイツ語で「国民車」または「ドイツ民族のための乗用車」の意 (英語への直訳"People's car")。"Volkswagen"のドイツ語発音は 「フォルクスヴァーゲン」、英語発音は 「ヴォルクスワグン」 であり、日本では"Volks"部分をドイツ語読み、"wagen"部分をローマ字読みした、「ヤナセ」考案の「フォルクスワーゲン」という呼び方が慣例的に用いられていた。独フォルクスワーゲン社の日本法人が1983年7月に『フォルクスワーゲン 株式会社』として設立されたことによりドイツ語と日本語の混合名称は公式に追認された形である。現在はフォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社に改名している。
日本では『フォルクスワーゲン』およびその短縮形の『ワーゲン』は長い間、同社の車種『タイプ1(独:Typ 1の英語読み)』を指す愛称として用いられてきた。本国ドイツではこれを『甲虫(ケーファー、Käfer)』と呼び、英国では『甲虫(ビートル、Beetle)』と呼び(右上写真)、米国で単に『虫(バグ、Bug)』と愛称され、バグは日本でもエンスー(マニア)のあいだで用いられている。(VWビートル)
旧フォルクスワーゲン製造会社は第二次世界大戦前にナチス政権の国策企業として設立された。現在のフォルクスワーゲン社は、戦後のイギリス軍占領下で復活したが、戦前から引き継がれたのはポルシェのデザインのみである。フォルクスワーゲン社の年表は1937年設立となっているが、会社としては第二次世界大戦後にイギリス流の考え方がかなり反映された会社で、精神は全く別の会社である。その後西ドイツへ譲渡され、1960年までは国営。そのため「フォルクスワーゲン法」という特別な法律が制定された。この法律により、投資家はどんなに株を買っても議決権の20%までしか保有できないようになっているほか、筆頭株主がニーダーザクセン州であるなど、通常の一般企業とは異なる面をもつ。
なお、フォルクスワーゲン法は欧州委員会から欧州連合の法令に違反していると指摘されたために、廃止される方向である。このため、安定株主を確保する必要に迫られたフォルクスワーゲン社は、歴史的に繋がりが深く、業務提携関係にあるポルシェに株式提携を要請。2005年9月、ポルシェは フォルクスワーゲン社の株式の20%を取得し、筆頭株主になると発表した。
グループ企業にアウディ、セアトなどがあり、世界でのグループの販売台数はGM、トヨタ、フォード、ルノー・日産アライアンスに次ぎ第5位の規模を持つ。前述4グループとダイムラー・クライスラーグループと共に世界6大グループの一角。詳細はフォルクスワーゲングループの項を参照のこと。現在グループ会長は元フォルクスワーゲン社長のフェルディナント・ピエヒ、経営の実質的トップは前アウディ社長のマーティン・ヴィンターコーンCEO。
[編集] 沿革
ヒトラーが1934年のベルリンモーターショウで提唱したフォルクスワーゲン(国民車)計画によって、フェルディナント・ポルシェの設計で進歩的な流線型のリアエンジン小型車が開発された。英語版Wikipedia(en)では『ヒトラーは当時のタトラ社ハンス・レドヴィンカのデザインにインスパイアされ、その開発をフェルディナンド・ポルシェに託した』と記している。一方、レドヴィンカとポルシェは同時期にタトラ社に在籍していたこともあり、『ともかくも「ポルシェがレドヴィンカから剽窃を行った」という疑惑は、21世紀初頭現在でも肯定説・否定説が錯綜している。』とも記されている。
当初ヒトラーは「フォルクスワーゲン(国民車)」と名づけるとしていたが、最終的に1938年「歓喜力行団の車 (de)」と命名した。KdFとは「喜びを通じて力を」(en)の略語である。これは、ドイツ労働戦線の一部局で労働者の余暇活動を活性化させるための組織を指す。国民車構想も結局はナチス人気取りのための方便であった。生産のために1937年5月28日Gesellschaft zur Vorbereitung des Deutschen Volkswagens GmbH(フォルクスワーゲン準備会社)が創立され、1938年9月16日Volkswagenwerk GmbH(フォルクスワーゲン製造会社)と名称変更。そして生産のための新しい街「歓喜力行団の車市(Stadt des KdF-Wagens)」が建設された。この国民車を購入するために労働者は余暇活動組織KdFを通じて事前に割賦払いをしていたが、実際の納車はなされなかった。1939年9月第二次世界大戦が始まると、フォルクスワーゲン製造会社は軍需生産に移行、KdF-Wagenをベースにしたキューベルワーゲン等の軍用車両が生産され、民需の国民車は生産されることはなかった。ヒトラーは国民車よりも軍需生産を優先した。また戦時中の生産にはポーランド、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、イスラエル、オランダ、フランス、オーストリアなど近隣諸国からの約2万人もの(フォルクスワーゲン社史より)強制労働者、戦争捕虜、のちにはアウシュヴィッツ収容所の収容者が製造ラインに充てられ、日々死に直面しながら過酷な労働を強いられていた。(そして実際に死に至る人も多かった。)ポルシェもキューベルワーゲン、シュビムワーゲン以外にティーガー戦車を含めた兵器開発に従事していた。現在のフォルクスワーゲン社は当時とはまったく別の会社ではあるが、1998年に、ドイツ政府とは別に会社として戦争補償プログラムをはじめた。この時期のフォルクスワーゲンについては光と影の両面を理解する必要がある。
第二次世界大戦後、ナチス降伏によりドイツは連合軍の占領下におかれ、ソ連に接収され、やがて撤去されようとしていたKdF-Wagen工場だったが、重要性に気づいた英軍が最終的に管理下においた。KdF-Wagen市の名前も近くにある城の名前に因んでヴォルフスブルク(狼の城)(de)と改名された。廃墟同然の工場から英軍のアイバン・ハースト少佐のリーダーシップの下でイギリス軍の支援とドイツ人労働者の力により復活する。ヒトラーの国民車ではなくあたらしい民主主義の気風を受けてあらたなフォルクスワーゲン社となり「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更して生産を再開、程なく輸出も開始した。英軍から1948年1月、ノルトホフがフォルクスワーゲン社長に任命されたとき、彼は工場の労働者に自身の信念を語っている。『未来は過去と決別するときに始まる』「タイプ1」はその耐久性と経済性、そして優れたアフターサービス体制で世界の市場から圧倒的な支持を得ることに成功、ビートルの愛称で広く親しまれた。アメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献、2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに2,152万台以上を生産した。モデルチェンジなしでの1車種としては未曾有の量産記録である。
だがビートルの余りに大きすぎた成功が後継モデル開発の妨げともなり、決定打を欠く低迷期が続いた。
1965年、Auto Union GmbHを買収。今日のアウディAG。
1974年に至り、スペース効率に優れた前輪駆動のハッチバック車ゴルフを開発し、その機能性が市場に受け容れられてベストセラーとなった。以来、その延長線上に各種の機能的な小型車を多数送り出し、ヨーロッパを代表する大衆車メーカーとしての地位を確立した。
1984年、上海汽車(Shanghai Automotive Industry Corporation)で中国市場へ参入。
1991年チェコのシュコダ社(Skoda)、1996年スペインのセアト社(SEAT S.A.)を傘下に入れる。
2002年から、グループの乗用車ビジネスはフォルクスワーゲンブランドおよびアウディブランドの2ブランド制。
2006年現在では、本国ドイツの他、メキシコ・ブラジル・中国などに生産拠点を置き、VWと同格位置づけの会社としてアウディが存在するほか、フォルクスワーゲン傘下のグループ企業として・シュコダ(チェコ)・セアト(スペイン)・ベントレー(イギリス)、及びアウディ傘下のランボルギーニなどのブランドを抱える多国籍企業である。
また近年では高級SUVであるトゥアレグや高級セダンフェートンなどを発売し、社名そのものの大衆車メーカーから、高級車も手がけるブランドへと変貌を図っている。
2004年度の段階で、フォルクスワーゲンは日本において最も売上台数の多い輸入車ブランドとなっている。
2005年9月、創業時から関係の深いポルシェがフォルクスワーゲンAGの株式を買収、筆頭株主となった。
[編集] 年表
- 1945年:ナチス降伏によりドイツは連合軍の管理下におかれる。強制労働がなされたKdF市は「ヴォルフスブルク」市と改名。アイバン・ハーストをリーダーとするイギリス軍の管理下で新生フォルクスワーゲン工場として、はじめてフォルクスワーゲン(KdF車)を生産する。イギリス占領軍政府から2万台のワーゲン生産を受注、この年にはキューベルワーゲンも生産された。KdF車は「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更する。
- 1948年1月:イギリス軍からハインリッヒ・ノルトホフがフォルクスワーゲン社長に任命される。
- 1949年:カルマン社よりカブリオレがデビュー。
- 1950年:初の商用車、タイプ2(初代トランスポーター)がデビュー。タイプ1が10万台目のラインオフ。
- 1952年:ハインリッヒ・ノルトホフ フォルクスワーゲン製造会社社長が米国経由で来日、4台のタイプ1が持ちこまれる。記録に残る日本最古のフォルクスワーゲン。
- 1953年:ヤナセが108台のフォルクスワーゲンを輸入、翌年輸入販売権を獲得。日本への本格的なフォルクスワーゲン輸入がはじまる。
- 1955年:カルマンギアがデビュー。
- 1957年:タイプ1、200万台目のラインオフ。
- 1961年:タイプ3デビュー。
- 1960年:独フォルクスワーゲン社、有限会社(Volkswagenwerk GmbH)から株式会社(Volkswagen AG)に変更。
- 1966年:タイプ3ファストバックデビュー。
- 1968年:タイプ2モデルチェンジ、2代目となる。通称レイトバス。タイプ4(411)デビュー。
- 1969年:初の水冷モデル、NSUより開発されたK70を新工場、ザルツギッター工場で生産開始。
- 1970年:VW181デビュー。
- 1972年:1500万7034台目のタイプ1がラインオフ、T型フォードの記録を更新。
- 1973年:初代パサートデビュー。タイプ4がモデルチェンジ、412に。
- 1974年:初代ゴルフデビュー。カルマン社生産により初代シロッコがデビュー。カルマンギア生産中止(累計44万5295台)。
- 1976年:生産開始から31ヶ月目で100万台目のゴルフがラインオフ。
- 1977年:ダービー(ポロの2ドアセダン)デビュー。
- 1978年:欧州でのタイプ1生産中止。白と黒のみの最終生産型はヤナセでは「グローリー・ビートル」と名付け、船上で完売。そのまま納車されたので店頭に並ぶことはなかった。
- 1979年:ジェッタ(初代)デビュー。3代目カラベル(乗用)/トランスポーター(商用)(北米名Vanagon)。
- 1981年:パサート、シロッコ(共に2代目)デビュー。
- 1982年:2代目ポロ、デビュー。
- 1983年:2代目ゴルフ、デビュー。
- 同年7月:フォルクスワーゲンWerk AGの出先機関としてフォルクスワーゲン株式会社設立。
- 1984年:2代目ジェッタ、デビュー。日産自動車と提携、サンタナ(2代目パサート)生産開始。
- 1988年:コラードデビュー。
- 1989年:3代目パサート、デビュー。
- 同年:欧州版トヨタハイラックスOEMでVW TARO発表
- 同年8月:フォルクスワーゲン アウディ 日本株式会社(略称:VAN)設立
- 1990年:欧州でVWバスの4代目カラベル/トランスポーター発表
- 1991年:3代目ゴルフとヴェント、デビュー。日本や欧州ではジェッタ一旦廃止
- 1992年:トヨタがVW・Audi車販売店鋪DUOをオープン
- 1993年:北米仕様カラベルとしてユーロバンEuroVan発表
- 1994年:日本仕様カラベルとしてヴァナゴンVanagon発表
- 1995年:3代目ポロ、デビュー。
- 1996年:4代目パサート、デビュー。
- 1997年:4代目ゴルフとボーラ、デビュー。ヴェント廃止
- 1998年:ニュービートル北米デビュー。翌年にヨーロッパでも発売される。
- 同年9月:第二次大戦中の強制労働に対する補償を開始。
- 1999年:北米で起こったニュービートルフィーバーが日本にも飛び火。
- 2002年:4代目ポロ、デビュー。
- 2003年:ドレスデン新工場からフェートン、デビュー。ポルシェとの共同開発SUVトゥアレグ、デビュー。トランスポーター、5代目に。ニュービートルにカブリオレ追加。アウディを含むVGJ累計輸入台数が50万台を突破。
- 2004年:5代目ゴルフとニュービートルカブリオレ、デビュー。アラブ首長国連邦アブダビ首長国が同社株式の13%を取得。ゴルフ・ゴルフ トゥーランがCOTYインポート=カー=オブ=ザ=イヤー受賞。
- 2005年:ジェッタ・ゴルフプラス・5代目パサート、デビュー。ポルシェが同社株式の20%取得。フェートン、北米地域での販売中止を決定。エオス(Eos)をフランクフルトIAAショーで発表。エコレーサーを東京モーターショーで発表。日本での単独ブランド累計輸入100万台突破。記念式典が豊橋インポートセンターで開催。
[編集] 日本での事業展開
- 1953年よりヤナセにより輸入が行われたが、当初から右ハンドル仕様を導入するなど、日本の法規にローカライズしたモデルを輸入したことにより、輸入車のトップシェアを維持していった。1983年にフォルクスワーゲン社の直接の子会社フォルクスワーゲン株式会社が設立され、1989年にはフォルクスワーゲン アウディ 日本 株式会社となり系列の販売店をオープンしより直接的な販売にも乗り出す。しかも1991年にトヨタがVW車の販売を始めると表明すると、ヤナセとの関係が悪化し、ヤナセは『値引き合戦が激しくなり、ブランドイメージが保てなくなる』として1992年12月をもってVWの輸入、販売を取りやめた。
- その後は地場資本の「ファーレン店」とトヨタ系の「DUO店」で販売を行い、2005年にはかつてVWのインポーターであったヤナセも2005年に「ヤナセヴィークルワールド」を立ち上げ、VW車の販売を再開した。
- 詳細はフォルクスワーゲン グループ ジャパンを参照
[編集] 中国での事業展開
中国では、業界1、2位を争う大手の上海汽車、第一汽車双方と生産・販売協定を行っている。フォルクスワーゲンは中国において国外の自動車メーカーで最初に合弁企業を設立した会社である。また部品工場も保有する。ちなみに中国での商標は、「フォルクスワーゲン=人々の車」の意を表現し、(もはやVWは大衆車ではないにもかかわらず)「大衆」で、中国語で表記すると「大众」となる。また、「众(衆)」の字はVWのロゴマークとよく似ている。
なお、2008年開催予定の北京オリンピックの(中国国内でのみ権利のある)ローカルスポンサー(公式パートナー)となっている。
[編集] 主なモデル
[編集] 現在、日本国内で販売されているフォルクスワーゲン車
フォルクスワーゲングループ・ジャパンが総輸入元となり、国内販売ディーラーにはフォルクスワーゲングループ・ジャパンが展開している「Volkswagen」店「ファーレン」店と、販売提携先のトヨタ自動車のディーラーが手がけている「DUO」店がある。取り扱い車種に違いはない。
- トゥアレグ
- パサート
- パサート ワゴン
- パサート ヴァリアント
- ジェッタ - ゴルフをベースとする4ドアセダン。
- ニュービートル
- ニュービートル カブリオレ ニュービートルをベースとするオープンカー。
- ゴルフ
- ゴルフ プラス ゴルフをベースとするトールワゴン。
- ゴルフ トゥーラン ゴルフをベースとするミニバン。
- ゴルフ ワゴン ゴルフをベースとするステーションワゴン。
- イオス
- ポロ
- クロスポロ(ポロをベースとしたアウトドア仕様)
[編集] 日本未投入モデル
- Golf Citi
- Brazilia
- Gol
- Fox
- Parati
- Kombi
- Rabbit Picup
- Saveiro
- Caddy Life
- Multivan
- Taro
- Phaeton
- SP2
- Tiguan
[編集] かつて日本で販売されたモデル
- TYPE-1(ビートル)
- TYPE-2(マイクロバス・コンビ・バン・ピックアップ)
- TYPE-3
- 411
- 412
- K70
- サンタナ - 技術協力契約により日産自動車が部品供給を受け生産していた。
- シロッコ - ゴルフI、IIをベースとするクーペ。2008年頃に、この後継車が再び生産される。
- コラード - ゴルフIIIをベースとするクーペ。事実上シロッコの後継車である。
- シャラン - ヨーロッパフォードと共同開発したミニバン。
- ヴァナゴン
- カラベル
- ボーラ - ゴルフIVをベースとするセダン。
- ヴェント - ゴルフIIIをベースとするセダン。
- カルマン・ギア
- ルポ
[編集] 関連項目
- KdF-Wagen(ドイツ語)
- キューベルワーゲン
- フォルクスワーゲングループ
- VfLヴォルフスブルク
- ユーロNCAP
- 狭角V型エンジン
- バーデン大賞
- ポルシェ
- ナチス
- W型エンジン
- DSG
- ドイツ車
- ヤナセ
- フォルクスワーゲン グループ ジャパン
[編集] 外部リンク
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