コラソン・アキノ
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コラソン・アキノ(Corazón Aquino, 1933年1月25日 - )は、フィリピン共和国第11代大統領(在職1986年 - 1992年)。元上院議長の夫ベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺後、フェルディナンド・マルコス大統領に対抗した。通称コリー。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
コラソン・アキノは1933年、フィリピンタルラック州(Tarlac)の富裕な華人の家に生まれた。祖先は福建籍の客家である。結婚前の正式名は María Corazón Sumulong Cojuanco。1953年に、アメリカのニューヨーク州のマウント・セント・ビンセント大学を卒業。(フランス語専攻)
[編集] ベニグノ・アキノの妻に
1955年、22歳にしてタルラック州コンセプション市長であったベニグノ・アキノ・ジュニアと結婚した。夫ベニグノ・アキノ・ジュニアはその後、州知事から上院議員となったが、マルコス大統領と対立し、1980年、アメリカ・ニューヨークに亡命した。1983年、マルコス独裁打倒のため帰国したところマニラ国際空港で暗殺され、妻のコラソン・アキノが急速に反マルコス独裁の象徴となっていった。
[編集] 大統領
1986年2月に行われた繰上げ大統領選挙に出馬し、マルコスもアキノも勝利宣言をする。この時、エンリレ国防相やラモス副参謀長ら国軍改革派が決起し、100万の市民がこれを支持して通りを埋め尽くしたため、マルコスは権力を失い、コラソン・アキノが大統領就任を宣言、マルコス夫妻はハワイへの亡命に追い込まれた。(これをエドゥサ革命、またはピープル・パワー people power と呼ぶ。)
大統領在職中はしばしば国軍のクーデター未遂事件が起こった。1991年にピナトゥボ火山が大爆発し、被害は中部ルソン一帯に広がった。同年アメリカ軍のフィリピンからの撤退も決まった。
[編集] 現在
1992年任期切れで職を去り、1986年の革命で国軍改革派として活躍したフィデル・ラモスが後継となった。その後、日本の三洋電機の社外取締役をしたことがあり、その後は最高顧問を務めたが同社の経営不振のあおりを受けて2007年3月末日で辞任した。
[編集] 家族
娘にはフィリピンの人気女優のクリス・アキノ(Kris Aquino)がいる。
[編集] 関連項目
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