ジョン・サーティース
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F1での経歴 | |
国籍 | ![]() ![]() |
活動年数 | 1960 - 1972 |
所属チーム | ロータス, クーパー, ローラ, フェラーリ, ホンダ, BRM, マクラーレン, サーティース |
出走回数 | 111 |
タイトル | 1 (1964) |
優勝回数 | 6 |
通算獲得ポイント | 180 |
表彰台(3位以内)回数 | 24 |
ポールポジション | 8 |
ファステストラップ | 11 |
F1デビュー戦 | 1960年モナコGP |
初勝利 | 1963年ドイツGP |
最終勝利 | 1967年イタリアGP |
最終戦 | 1972年アメリカGP |
ジョン・サーティース(John Surtees MBE, 1934年2月11日 - )はイギリスのレーサー。2輪(モーターサイクル)のロードレース世界選手権(WGP)と、4輪のF1GPの両方で世界チャンピオンになった唯一のレーサーである。「ビッグ・ジョン」、「怖いもの無しのジョン」の異名を取る。
目次 |
[編集] 2輪での経歴
サーティースは2輪のレースで7つのタイトルを獲得した。350ccクラスで1958年から1960年まで、500ccクラスで1956年と1958年から1960年までチャンピオンになった。2003年にはMotoGP殿堂入りを果たした。
[編集] 4輪での経歴
4輪に転向し、1960年からはロータスでF1にレギュラー参戦。1963年にフェラーリ入りし、ドイツGPで初勝利を挙げる(チームにとって1年半ぶりの勝利でもあった)。1964年には同郷のジム・クラーク、グラハム・ヒルと激しいチャンピオン争いを繰り広げ、最終戦の最終ラップでクラークがマシントラブルに見舞われるという幸運で、劇的なワールドチャンピオンとなった(2位ヒルとのポイント差は僅か1点)。勇敢なサーティースは総帥エンツォ・フェラーリに気に入られたが、チーム内のイタリア国粋勢力に疎まれ孤立。1966年のベルギーGPで勝利した直後ル・マン24時間レースに参加したが、予選前にチーム監督と衝突し、そのままフェラーリを去ることになった。
1967年からはホンダF1のドライバーとなる。マシンの戦闘力が低いため、かつて在籍したローラとの仲介役になり、ホンダとローラの共同開発マシン(通称「ホンドーラ」)を熟成。イタリアGPでホンダ第1期活動の最後となる1勝を挙げた。 その後、1970年に自分のF1チームサーティースを立ち上げオーナードライバーとして参戦したが、戦闘力は低く、自らのキャリアに傷を付ける結果となった。
[編集] 戦績
- 1952年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング18位(ノートン)
- 1955年 - ロードレース世界選手権GP350ランキング6位(ノートン)
- ロードレース世界選手権GP250ランキング7位(NSU)
- 1956年 - ロードレース世界選手権GP350ランキング4位(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- 1957年 - ロードレース世界選手権GP350ランキング10位(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500ランキング3位(MVアグスタ)
- 1958年 - ロードレース世界選手権GP350チャンピオン(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- 1959年 - ロードレース世界選手権GP350チャンピオン(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- 1960年 - ロードレース世界選手権GP350チャンピオン(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- フォーミュラー1世界選手権ランキング12位(ロータス・クライマックス)
- 1961年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング12位(ヨーマン・クライマックス)
- 1962年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング4位(ヨーマン・クライマックス)
- 1963年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング4位(フェラーリ)
- 1964年 - フォーミュラー1世界選手権チャンピオン(フェラーリ)
- 1965年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング5位(フェラーリ)
- 1966年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング2位(フェラーリ、クーパー・マセラティ)
- 1967年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング5位(ホンダ)
- 1968年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング7位(ホンダ)
- 1969年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング11位(BRM)
- 1970年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング18(サーティース・フォード)
- 1971年 - フォーミュラー1世界選手権ランキング18位(サーティース・フォード)
- 1972年 - フォーミュラー1世界選手権ノーポイント(サーティース・フォード)
※ロードレース世界選手権通算優勝38回(500-22回、350-15回、250-1回)、通算表彰台45回(500-24回、350-20回、250-1回)。