スティーヴィー・ワンダー
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スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder, 1950年5月13日 - )は、モータウンレーベルに所属するミュージシャン。
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[編集] プロフィール
アメリカ合衆国ミシガン州サギノー生まれ。本名:スティーヴランド・モーリス。保育器内での過量酸素(未熟児網膜症)が原因で生まれてすぐに目が見えなくなる。
11歳の時、モータウン社長の前で歌と演奏を披露しレーベルに契約、2年後に初アルバム「フィンガーティップス」を発売。(当初は「リトル・スティーヴィー・ワンダー」名義。)全米でNo.1シングルとなり、一躍有名になる。わずか12歳でデビューしたためビートルズのメンバーとは年齢が離れているにもかかわらず、ほぼ同等のキャリアを持っている。(後年、スティーヴィーはポール・マッカートニーと「エボニー&アイボリー」で共演。)
1970年に、モータウンから自作のプロデュース権を獲得し、音楽出版会社「タウラス・プロダクション」を設立。自身の新たな音楽を模索していたある時、ロバート・マーゴレフとマルコム・セシルの二人のエンジニアによるユニット「トントズ・エクスパンディング・ヘッド・バンド」のアルバム「ゼロ・タイム」を聴き、全編に使われていた、当時開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーに感銘を受ける。以後、スティーヴィーはシンセサイザーを駆使し、殆どの楽器を自分で演奏するアルバム作りのスタイルを確立してゆく。
1973年、従兄弟の運転する車に同乗中、交通事故に遭う。この事故の後遺症で、味覚、嗅覚を失うが、その後のリハビリが功を奏し、ほぼ完全に回復。この体験より、慈善活動や平和活動に目覚め、南アフリカのアパルトヘイト政策に反対する歌、公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング牧師に対し、敬意をはらう歌を発表する。
主に、クラビネット等をプレイしながら歌うことがステージでは多いが、シンセ・ベースを含めたシンセサイザー、ピアノなどキーボード一般と、ドラム、ハーモニカなどもスタジオ録音、ライヴにかかわらずこなし、かつてはギターもプレイするなどのマルチプレイヤーとしても有名。
彼の非凡な音楽センスは、物心つく前から目が見えない代わりに神が与えたと称される。単なるブラック・ミュージックの枠を越え、さまざまなジャンルの音楽を違和感無く自身の音楽に消化してしまうことから、異ジャンルの音楽家からも尊敬を集めている。また、視覚障害や音楽的素養などの共通点があることから、しばしばレイ・チャールズと対比される。
[編集] 主なアルバム作品
- フィンガーティップス(Fingertips - 1963年)
- わが心に歌えば (With A Song In My Heart - 1963年)
- アップタイト(Uptight - 1966年)
- 太陽のあたる場所(Down To Earth -1966年)
- 愛するあの娘に(I Was Made To Love Her - 1967年)
- 想い出のクリスマス (Someday At Christmas - 1967年)
- フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ (For Once In My Life - 1968年)
- アルフィー (Alfie - 1968年)
- マイ・シェリー・アモール(My Cherie Amour - 1969年)
- 涙をとどけて(Signed, Sealed And Delivered - 1970年)
- 青春の軌跡 (Where I'm Coming From - 1971年)
- 心の詞(Music Of My Mind - 1972年)
- トーキング・ブック(Talking Book - 1972年)
- インナーヴィジョンズ(Innervisions - 1973年)
- ファースト・フィナーレ(Fulfillingness First Finale - 1974年)
- キー・オブ・ライフ(Songs In The Key Of Life - 1976年)
- シークレット・ライフ(Journey Through The Secret Life of Prants - 1979年)
- ホッター・ザン・ジュライ(Hotter Than July - 1980年)
- ミュージックエイリアム (Stevie Wonder Original Musiqarium I - 1982年)
- ウーマン・イン・レッド(Woman In Red - 1984年)
- イン・スクエア・サークル(In Square Circle - 1985年)
- キャラクターズ(Characters - 1987年)
- ジャングル・フィーバー(Jungle Fever - 1991年)
- カンバセーション・ピース(Conversation Peace - 1995年)
- タイム・トゥ・ラヴ(A Time To Love - 2005年)
[編集] 日本公演
- 3月31日,4月1日 日本武道館
- 10月28日 福岡国際センター、29日 愛知県体育館、31日,11月1日,2日 大阪フェスティバルホール、4日,5日 日本武道館、6日 横浜文化体育館、8日 宮城県スポーツセンター、9日 郡山市総合体育館
- 10月23日,24日,25日 大阪城ホール、27日 福岡国際センター、29日,30日,31日 国立代々木競技場第一体育館、11月2日,3日 後楽園球場、5日 仙台市体育館、7日,8日 道立産業共進会場
- 4月12日 福岡国際センター、13日 広島サンプラザ、15日,16日,17日 大阪城ホール、19日,20日 名古屋レインボーホール、21日 静岡草薙体育館、23日,24日 横浜スタジアム、25日,26日,27日 日本武道館、29日 仙台市体育館
- 12月13日,15日,16日 大阪城ホール、19日 名古屋レインボーホール、23日,24日 東京ドーム
- 9月18日 横浜アリーナ、18日,19日,20日 日本武道館、21日 横田基地、23日 マリンメッセ福岡、24日 大阪城ホール、25日 名古屋レインボーホール、27日 石川産業展示館、29日 盛岡岩手産業センター
- 8月27日,28日 東京国際フォーラムホールA
- 12月27日,28日 さいたまスーパーアリーナ、30日 マリンメッセ福岡
- 1月4日 名古屋レインボーホール、6日,7日 大阪城ホール
- 2月17日,18日 さいたまスーパーアリーナ、20日 名古屋レインボーホール、24日 仙台グランディ21、27日,28日 大阪市中央体育館
[編集] 共演したミュージシャン
- マイケル・ジャクソン 「Get It」,「Just Good Friends」
- ポール・マッカートニー 「エボニー・アンド・アイボリー」,「What's That You're Doing?」
- エルトン・ジョン 「I Guess That's Why They Call It The Blues」(ハーモニカを担当)
- クインシー・ジョーンズ「The Dude」(キーボードを担当)
- チャカ・カーン「I Feel For You」(ハーモニカを担当)
- ユーリズミックス「There Must Be an Angel」(ハーモニカを担当)
- ミニー・リパートン「Perfect Angel」(演奏サポートとアルバム・プロデュースを担当)
- シリータ (前夫人) 「If You Really Love Me」
- ディジー・ガレスピー「Do I Do」
- セルジオ・メンデス 「Berimbau/Consolacao」
- アンドレア・ボチェッリ 「Canzoni Stonate」
- 中島みゆき 「つめたい別れ」(ハーモニカを担当),「あたいの夏休み」(シンセサイザーを担当)
ほか多数に及び、参加作品を全部リストアップすると欧米のミュージシャン一覧表が出来るといって差し支えない。
[編集] カヴァーしたJ-POPアーティスト
- 山本領平
- 横山輝一
- 平井堅
- 河口恭吾
- 西城秀樹
- 佐藤竹善 (Sing Like Talking)
- 黒沢薫 (ゴスペラーズ)
- 浜田金吾 - Liveでは"Lately"をレパートリーにしていた。
- TRICERATOPS-"Sir Duke"を2003年のライブツアーでカバーした。また同じくライブにて、スガシカオと共に"Superstition"や"Overjoyed"をカヴァーしたこともある。
- 広瀬香美
- ブレッド&バター
- より子・松田亮治 - 2006年のライブではデュエットで"Overjoyed"をカバーした。
ホンダ・ロゴのCMにイズント・シー・ラブリー(Isn't She Lovely)、トヨタ・ノアのCMに愛するデューク(SIr Duke)、オンワード・23区のCMにオーヴァージョイド(Overjoyed)、TDKのCMに心の愛(I Just Called to Say I Love You)、キリン・FIREのCMにフィール・ザ・ファイア(To Feel the Fire)などが使われた。
[編集] 豆知識
- 多作家として知られるスティーヴィーだが、作品の質に厳しいことでも有名で、今までお蔵入りした曲は数千曲にのぼるという。アルバム制作の際は、収録予定の曲数のほぼ10倍を作曲すると言われており、1976年発表の「キー・オブ・ライフ」は、1974年から1976年までに作曲された約1000曲から選ばれた。このことから、スティーヴィーは「天才」というよりも、人の何倍も曲を作り、視覚障害を乗り越えた「努力の人」という称号が相応しいと言えるかも知れない。
- スティーヴィーはCMのための歌は決して作らないことで有名で、当初キリン・FIREのCMソング制作が依頼された時も断り続けていた。しかしキリンビバレッジの社員から「今の日本は大変不景気だ。どうかあなたの歌で日本人の心に火を点けてください」といった趣旨の手紙を受け取ると、急遽CMソング作りを快諾したという。しかし当初スティーヴィーが作ってきた歌は素晴らしい出来だったものの、15秒のCMに使えるサビがなかったためキリン側が書き直しを要求したところ、スティーヴィーは怒り、契約破棄寸前にまでなってしまったという。
- スティーヴィーは自身が尊敬するアーティストとしてデューク・エリントンとナット・キング・コールを挙げており、1975年2月のグラミー賞授賞式では、最優秀アルバム賞受賞後のスピーチで、賞を前年に亡くなったデューク・エリントンに捧げると発言している。
- スティーヴィーに一曲の歌を作ってもらう値段はおよそ10億円とも言われている(ブロードキャスター放送の際に明らかになった)。
- 「MUSIC STATION」(テレビ朝日系)で自分の娘と一緒に歌った。
- ベック・ボガート & アピスに提供した「迷信(Superstition)」は彼らがリリースするより先にスティーヴィー自身のヴァージョンが全米No.1になってしまい、彼らは割り切れない気持ちになったといわれる。
- 「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」は、もともとは親交のあった日本の男性デュオであるブレッド&バターの為に書き下ろされたものであったが、スティーヴィーのヴァージョンが先に大ヒット。なお、ブレッド&バターも「特別な気持ちで」のタイトルでシングルをリリース。ちなみにこの曲の日本語詞は呉田軽穂(松任谷由実)が書いている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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