タイの華人
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タイの華人は、タイ国内にすむ中国系住民である。混血が激しいため、極端な意見ではタイ人で華人の血が流れていない人を捜すのが難しいとも言われる。混乱を避けるためここでは、「統計上に上り、華人を自称するタイ国籍保有者」を扱う。なお、タイ北部には陸伝いで渡来したイスラーム化したホー族と言われる華人がいるが、ホー族は華人ではなく北部少数民族として扱われることが多いため、ここではふれない。さらに、同タイ北部に中国共産化によって難民化した「国民党(クオミンタン)」と呼ばれる華人が存在するが、これもここではカウントしない。タイ華人の形質としては、華南地方の華人の血を引いているので、目は大きく、鼻が低く、華北地方の華人と比べて、彫りが深いとされるが、タイ人ほどではない。肌は一般に土着のタイ人より白いが、ある程度形質の変化が進み多少は黒くなっている場合もあり、あるいは元々黒い肌の中国系もいる。
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[編集] 民族
タイ華人は国内に700万人いるとされる。華南地方出身が多く、潮州人の子孫が圧倒的に多い(56%)、その他客家(はっか)(16%)、海南系(11%)、広東系(7%)、福建系(7%)、その他が(12%)など。
[編集] 潮州系
潮州人(Teochew/Chaozhou、แต้จิ๋ว)は独特の潮州語という一種類の閩南語を持ち、数百年前福建省から広東省東北部に移民してきた。後述するように、「王室華人(Royal Chinese、จีนหลวง)」と呼ばれもてなされたため、政界や公務員に多くの人材を輩出したほか、金融業、米取引、薬剤業に人材が多いとされる。
[編集] 客家系
客家系は特に福建省付近からの移民が多いとされる。19世紀より前に移住したグループと、19世紀以降に移住したグループに分けられ、前者は、皮革業、衣服仕立業が多いとされる。後者は鉱山労働者や行商人になり低所得者層を形成した。ちなみに、東南アジア最大の銀行、バンコク銀行のチン・ソーパンパニット(陳弼臣)や、タイ南部都市のハートヤイ(ハジャイとも)の開拓者も客家系である。
[編集] 海南系
中国の海南島からの移民で、これも19世紀以前に移住したグループと、その後に移住したグループに分けられ、前者は飲食店、機械業で活躍したが、後者は低所得者層を形成した。
[編集] 福建系
輸入業で活躍した。
[編集] 混血化
最初は官吏と商人の政略結婚を通じて通婚が広まったが、その後はタイ人の持っている権利を求めて、一般の華人商人と一般のタイ人の通婚が増えた。現在では、ほとんどのタイ人に華人の血が混じっているとされる。タイ華人問題は東南アジアでは珍しく、大きな原住民と華人(あるいは移住者)の対立も見ずに、スムーズに融合していった珍しいケースであり、隣国のマレーシアの華人政策と、しばし対比される。
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[編集] 歴史
[編集] スコータイ時代
タイでは古くスコータイ王朝以前から、華人の商人が渡来していたという、中には焼き物技術を持ち込んで、スワンカロークで宋胡禄を14世紀に開発した。日本にも輸出され、戦国時代の茶人に愛用された。
[編集] アユタヤ時代
アユタヤ王朝時代にも華人の商人が渡来していた。17世紀に福建系の華人がタイランド湾の利権を握ると、華南からの移民が増えた。タイ華人は華南からということになったのも、このときからである。中には官位を持つものがあり、華人であるトンブリー王朝のタークシン王もアユタヤー時代には、ターク県の知事をしていた。
[編集] トンブリー時代
アユタヤー王朝がビルマによって破壊されたあと、華人勢力のタークシン(中国名:鄭昭)が新たに王朝を建てたが、これ以降、華人のタイ国内での商売が奨励され、タークシン両親の故郷である潮州を中心に大量の華人がタイ国内に流れ込んだ。
[編集] チャックリー時代
この後チャックリー王朝が成立し、ラーマ1世が即位した。この王朝は国内ではアユタヤー王家の末裔を強調したため、 華人的側面がタークシン王よりも弱かったが、清朝政府に対しては、タークシンと同じ「鄭」姓を名乗り、朝貢貿易を行った。国内でもタークシンに引き続き、華人商人の奨励がなされた。しかし、ラーマ5世時代1910年に人頭税が上げられると、華人がゼネストを起こした事件がおこり、華人の権利の巨大化が表面化したため、この事件の数ヶ月後即位したラーマ6世により、『東洋のユダヤ人』という論文が著され、華人が批判された。一方では、華人の帰化を奨励し、タイで生まれた華人に自動的にタイ国籍を与える属地主義を導入した。これにより華人が徐々にタイに同化した。また戦後中華人民共和国が成立すると、華人の本国とのつながりは薄れ、さらに同化が促進された。現在ではタイ人の血を引いていなくとも(中国系の)タイ人を自称する人もいるほどである。
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[編集] 宗教
日本人が元来的には仏教徒で八百万の神をも信仰していたのと同じく、華人も宗教面では、タイに移住した後も、道教を信仰したが、同時に大乗仏教とも上座部仏教ともつかぬ仏教も信仰した。タイ社会と密接に関連しつつも独自の形態を持つ華人の宗教ではあるが、近年では、若年層を中心に道教や観音信仰などから離れてきており、全体に上座部仏教よりになってきている。また、華人はタイではリベラルな一面を持ち、西洋との交流も深いことから、キリスト教徒もタイ人信者に比べ多い。南タイではムスリムとの通婚も珍しくなく、ムスリムの華人も若干いる。しかしながら、墓の作りや葬儀の方法など、未だに色濃く中国的な方法を残している面もある。
[編集] 観音信仰
具体的には、観音信仰色が強いとされ、生き物に対する慈愛が協調される。タイのマハーニカーイの寺院で華人居住者の多いところには観音が祭ってあることが多い。この観音信仰により華人の間には、一年のある一定の間、菜食(斎、เจ, แจ)を食べる週間がある。これを「菜食週間」あるいは「テーサカーン・キンジェー(เทศกาลกินเจ)」という。プーケット県では、この信仰がヒンドゥー教の菜食主義と融合し、さらに自己犠牲を伴う功徳にまで極端化され、体の至る所に鉄パイプ、茨の茎、など太く堅いものをピアスする血みどろの祭典が菜食週間に行われることで知られる。
[編集] 宗教結社
また、道教と、観音信仰、上座部仏教の思想が融合した徳教と呼ばれる集団があり、ボランティアで身よりのない死体を回収し葬儀を行ったり、低所得者の医療支援などをおこなっている。これらの団体には、日本では死体写真発行で有名な「報徳義社」などがある。
[編集] 道教
なお、道教はタイ各地に数え切れないほどの、道観があるが、タイ華人は商人が多いため、商いの神である『三国志演義』で有名な「関公(関羽)」が主神としてまつられていることが多い。
[編集] ヒンドゥー教
基本的にはタイの仏教がヒンドゥー教の神々を吸収していることから、華人にも信仰される。バンコク世界貿易センター前のガネーシャ神、エーラワンそごうデパート前の梵天(ブラフマン神)、シヴァ派寺院のワット・ケークシーロムは非常に華人にも人気である。
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[編集] 言語
タイ華人には元々北京出身が少なかったことや、移住してきた人も字が読めなかったりしたことなどがあり、また、タイ語と華語諸言語が非常に似通った文法構造を持つため、言語面でのタイへの同化は比較的早かった。
[編集] 華字新聞
現在、タイには日刊の華字紙が6つあるが、基本的にはタイ語が読み書きできない華人で、華語に興味を持っている華人や華語を読むことができる老華人が主に購読している。華人社会全体に対する大きな影響力はない。しかし、中国の経済力や近代化をきっかけにして、どんどん影響がタイの華人社会に広まりつつある。
[編集] 華人学校
タイには華人学校もあるが、華語教育が小学4年生までしかできない上、児童のほとんどが二世、三世であり、タイ語を母語としている児童が多いため華語の授業以外はタイ語で行っているのが現状であり、タイ華人は言語面ではもはや華人ではないといえる。華人同士で喋るときでも、方言同士では意志疎通が困難なため、タイ語で喋ることも行われた、そのため華人のタイ語が生じ今でも老華人同士でこの中国的なタイ語を喋っていることもある。この中国的なタイ語は華語諸言語の語彙を多く含むが、この中で一般のタイ語語彙に入っていったものも少なくない。
[編集] 国際化
タイに未だ言語的な同化ができない華人の中には、タイ語教育に見切りを付けて英語を教授言語とするインターナショナル・スクールへ通っている家庭も多く、家族内では英語を中心に喋っていることもある。現ソムキット・チャートシリピタック副首相兼財務相もそれで、彼はタイ語よりも華語・英語の方が得意とされる。
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[編集] 文化
文化面では、宗教面、言語面で同化が進んでいるだけあって、こちらも非常に同化しているとされる。華人でも華語名を持っていることはわりと少なく、持っていても書けない場合が非常に多い。京劇鑑賞などの文化も老人では残っているが、若年層ではあくまで中国文化としての親しみしかないとされる。チャイナドレスなどの服装も華人に限らずファッションとして着用する。また華人は独特の料理があるが、ラーメン(粿條、粿は潮州語や閩南語の方言字、ก๋วยเตี๋ยว)、海南チキン・ライス(ข้าวมันไก่)、饅頭(ซาลาเปา)などの中国食文化もすでに華人、タイ人問わず広く食べられている上、華人もタイの伝統的な料理も食べるため、食文化も同化したといえる。
[編集] タイ国中華総商会
「幇(パン)」と呼ばれる同族のつながりが強く、同姓・同郷出身者を中心にいくつかの組織があり、これらの組織や、商業組合、宗教結社などの組織を束ねるタイ国中華総商会があるが、基本的に財閥などの大企業はあまり参加してないため存在感は薄い。若年層においては商会離れも起きている。
[編集] 華人によるタイ文化
華人文化がタイ社会に及ぼした影響は大きい。今挙げた食文化や、長屋(Long House)建築、宋胡禄・セラドン焼き・ベンジャロン焼きなどの焼き物、茶、絹織物、など華人が持ち込んでタイ文化として知られているものは非常に大きい。
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[編集] 経済
経済面では、中国本国との結びつきが非常に薄く、逆にタイ国内や欧米・日本系企業との結びつきが強いとされる。
[編集] 財閥
民間銀行が軒並み華人財閥で、携帯電話のシン・コーポレーション・グループ、大手ゼネコン企業イタリアンタイ・デベロップメント・グループ、バンコク銀行グループ、CPグループのようなマンモス企業はもとより、スタミナ・ドリンク大手から、遊園地経営まで、「大手」と名の付くものは華人財閥であることが多い。これら財閥は、アジア通貨危機により、軒並み経営難に陥り、同族支配を廃してプロ化へのプロセスを進むことになったが、未だにタイ経済への影響力は強く、外資系企業との経済開発で大きな役割を果たしている。
[編集] その他
市場や屋台以外の、問屋・小売業も華人が多い。一般にタイでは華人は金持ちとされるが、タイ華人はすでにタイ人化しているため、タイ人からの反発は少ない。このように華人の職業としては自営業・企業などの側面が特に強調されがちだが、華人の中にも公務員はおり、大量の資金調達が必要で、かつお金のかかる大学卒業資格を取得していることが条件である政界にも華人が多い。また、華人は元々、日雇い労働者として移住してきて、企業家精神を存分に発揮し、出世していったケースが多く、その過程で「負け組」として低所得者になるケースも出てきた。タイの社会構造上、低所得者がのし上がることが非常に難しいため、低所得者になった華人がそのまま何代も低所得者であることも少なくない。華人が必ずしもお金持ちと言うわけではない。
[編集] 経済の中心
昔はヤオワラート通りが経済の中心であったが手狭で渋滞が激しく大きなビルを建てることができないため、今ではビルを建てることのできるシーロム通りを中心に広がっている。
[編集] まとめ
現在タイ華人は、タイ人であると言う意識の方が強く、華人に対してもあまり目立った友好を示すわけではない。逆にタイ人でありながらタイ人の伝統に厳しくないことに加え、タイに国際化の波が押し寄せたため、華人はタイの伝統意識にとらわれることなく、西洋の感覚を身につけ、近年ではリベラルな一面を見せるようになった。ある程度の財力を持ち、リベラルな感覚も持つタイ人としての華人は、今後のタイの発展の舵取りになるであろう。