ダミアン浜田
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ダミアン浜田(だみあん はまだ 別名・サタン45世)は、聖飢魔IIの創始者にしてギタリスト。聖飢魔IIの設定によれば地獄皇太子であると自称している。早稲田大学教育学部卒業。
英語表記はHis Majesty Damian Hamada。
普段は日本語で殿下と呼ばれているが、2000年1月1日に大魔王位を継いだため、英語表記はHis Highness(殿下)ではなく、His Majesty(陛下)である。一人称は「私(わたし)」。
名前の由来はホラー映画オーメンに登場する悪魔の子、ダミアンからと思われる。
以降、ダミアン浜田について、「悪魔としての設定」はそう断り書きの上で述べ、以外は客観的事実を述べる。
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[編集] 来歴
大学在学時に、早稲田大学のフォークソング同好会に集う学生と共に、自らをリーダーとする「は、は、は、浜田さんバンド」を結成。その際、複数人にボーカルのオファーを行ったが、断られ、後輩のデーモン小暮閣下の「私では駄目でしょうか?」という一言でデーモンの加入を決定する。
その後、ダミアン作曲の悪魔組曲の設定に合わせ、バンド名を聖飢魔IIに改称。現在までの聖飢魔IIの設定の基礎を作り上げる。
CBS/ソニーのオーディションへ前述の悪魔組曲を提出するも、聖飢魔IIはその後解散状態となる。しかしながら既に解散していた聖飢魔IIへソニーから合格とデビューのオファーがあり、急遽デビュー用にメンバーへ再編して結成し直すが、すでに大学卒業後の進路が決定していたダミアンはバンドに参加せず、地元の高等学校で教諭の道を歩む事を選ぶ。
尚、聖飢魔IIの公式設定としては「魔世復古の大号令を発し、地球征服を目的とした『宗教団体』として聖飢魔IIを結成。しかし、いよいよ地球デビューという時に、実父であるサタン44世大魔王陛下が病に倒れ、最早寿命幾許も無いという程の危篤となられたため、全てをデーモン小暮閣下に託し、地獄に帰還した。」という事になっている。が、実際には「プロとしてやっていく実力も気持ちもない」と自己判断した為と言われている。
以降は県立の高等学校で数学教師の職に就いており、聖飢魔IIのデビュー以後、長らく信者たちの間では伝説的な存在となっていたが、1995年8月、東京日比谷野外音楽堂で行われた聖飢魔IIのデビュー10周年記念ライブにて初めてその姿を現し、自身がバンドを離れた後の10年余をプロとして活躍してきた他のギタリスト3名(エース、ジェイル、ルーク)と共に、堂々としたギタープレイを披露する。
1996年、ソロアルバム「照魔鏡」をリリース。初期聖飢魔IIテイストの強い楽曲とデーモンら現役メンバーらの参加もあり、古くからの信者を喜ばせたが、大半の曲で自身がボーカルを担当しており、声量、歌唱力ともデーモンのそれには遠く及ばない素人レベルのものであったため、結果としてボーカルが楽曲の良さをぶち壊しているという批判も多々あった。
14年間勤務した山口県立長府高等学校では、軽音楽部の顧問を14年に渡って務め、自らがプロデュースする軽音楽部のCDをインディーズでリリースする。ダミアン自身のプロデュースだけあって、初期聖飢魔IIを思わせるような展開の楽曲も一部存在した。
1999年の解散3Daysライブ、『THE SATAN ALLSTAR'S DAY』の二日目に登場し、再び初期の代表曲を演奏した。しかし、聖飢魔II解散後の2005年6月~12月にかけて行われた期間限定の再結集ライブツアーではその姿を現すことはなかった。
[編集] 人物
聖飢魔IIの創始者であり、聖飢魔IIの設定の基礎はデビュー後において整合性を取るために新たに追加された設定や、改変されたものを除き、殆どダミアンによって作られた。バンド創始者がメジャーデビュー直前にバンドを去るというのは非常に珍しいケースであるにも拘らず、リーダーの座を託されたデーモンの律儀かつ責任感の強い性格、そして強力なリーダーシップにより、ダミアンが設定したバンドとしての聖飢魔IIのコンセプトは長らく保たれた。
初期の代表曲である蝋人形の館、Jack the Ripper、悪魔組曲等はダミアンの作であり、ヘヴィメタル然とした陰鬱とした音ながら耳に残るキャッチーなリフ、タメの効いたドラマチックな曲展開などに彼の非凡な才能を見ることが出来る。特にファンでない者が聖飢魔IIと聞いて思い浮かべる楽曲はこれらダミアン作のものが多く、音楽性が初期のヘヴィメタルから大きく変化したプロ活動後期にもついて回るそのイメージは、現役メンバー達の悩みの種でもあった。
余談ではあるが、Yahoo!オークションに活動当時や解散時に使用していたギターや機材の多くをダミアン自ら出品するというショッキングな出来事が起こった。多くは落札されたが、結成時より使用しているギターについてはファンと見られる複数のヤフオク利用者から「思い出のギターを売らないで欲しい」「そのギターはあなたが持っているべきだ」「手放さないで」等の意見がQ&Aで展開され、それが決め手になったかどうかは不明であるが「ある関係者方面から止められた為、出品は取り消します」と答え、そのギターについては出品を取り消し、手元に残した。
容姿は他の構成員(メンバー)と異なり、非常に人間に近い。肌の色も白いが、人間の白人程度であり、ソフト・ヴィジュアル系のロックバンドメンバーに近い。長らくの間この他の構成員との外見的差異の理由は不明であったが、「魔界の皇族は元々は神々を裏切ったルシファー(後の大魔王サタン1世)がその祖であり、最初から悪魔として生を受けたデーモンを始めとした他の悪魔達とは血脈的に異なる。従って、皇家に限っては神々の血統を継いでいる為に容姿もまた神々の容姿なのである」という説明が前述のYahoo!オークションのQ&Aにて回答している。デビュー前に脱退している元構成員の魔女RYO子もダミアン同様に人間に酷似した容姿であるが、設定上皇族との関係は不明である。また、「天地共通の凶皇・雷神陛下の息子」という設定のライデン湯沢もまた、「悪魔と協力関係にある神族であり、正確には悪魔ではない」との事であるが、彼はデーモン小暮閣下ら、他のデーモン系悪魔達と酷似した容姿である為、設定に一部整合性がとれていないととれる事もある。とはいえ、ライデンは一時期はジード飯島に似た容姿だった事もあり、「雷神族はデーモン系悪魔以上に多彩な変身能力を持っている」との説明で解決させている。実際のところは、バンド創始者であるダミアンと他のメンバーの差別化を図る為であろう。
1995年、聖飢魔IIのミサビデオ作品『オール悪魔総進撃! THE SATAN ALL STARS』内のデーモンとの対談において、サタン45世という別の名を持っている事が語られているが、どうやら当時はまだ大魔王の位を継いだ訳ではないようで、「地獄の皇太子」と呼ばれていた。
結成当時のドラムは後のギタリスト、エース清水(現Ace)であるが、この時点で既にエース清水はプロのギタリストとしての活動を開始しており、サークルのお遊びのようなバンド(当時)のドラムを自分の先輩とはいえ、プロギタリストにオファーするというのはある意味勇気がある、もしくは無茶な事をする人物であるともいえる。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] 聖飢魔II
- 聖飢魔II~悪魔が来たりてヘヴィメタる (1985年)
- THE END OF THE CENTURY (1986年)
- 地獄より愛をこめて (1986年)
- メフィストフェレスの肖像 (1996年)
※ 全て楽曲提供のみ
[編集] ソロ
- 照魔鏡 (1996年)
[編集] プロデュース
- 輝きを求めて(1999年)
- CHEER UP!(2003年)
※ 以前顧問を務めていた山口県立長府高等学校軽音楽部の作品。