チャンプカー
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チャンプカー(Champ Car)は正式名称をブリヂストン・プレゼンツ・ザ・チャンプ・カー・ワールド・シリーズ・パワード・バイ・フォード(Bridgestone Presents the Champ Car World Series Powered by Ford)とよぶ自動車レースの1カテゴリーである。フォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースであり、F1に似たカテゴリーでアメリカ合衆国を中心として開催される独自のフォーミュラカーレース。2003年に、経営破綻したCART(カート、Championship Auto Racing Teams )を引き継ぐ形で始まった。
1イベントで20万人もの観客を集めることもあり人気が高い。日本でも2003年までSKY PerfecTV!の日テレG+で放送されていた。 現在では日本でのTV放送はされていないが、公式サイトで年間契約の課金登録をする事により、英語放送のストリーミング中継や、2001年シーズン以降のアーカイブ映像を視聴する事が可能である。
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[編集] 沿革
1979年より、CART(Championship Auto Racing Teams)として、インディカーによるチャンピオンシップシリーズが運営される。CARTの主催により国際化路線を進め、北米以外でもオーストラリア、中南米、ヨーロッパ、そして日本でシリーズ戦が開催され、1990年代前半には世界的にも一時期F1と肩を並べる勢いをもった。その中でF1からCART、CARTからF1へとドライバーの移籍交流が起こったりもした。
だたこの国際化路線により、CARTに参戦するアメリカ人ドライバーの減少とアメリカ国内のレース数の減少、何よりアメリカンレーシングそのものであるオーバルレースの減少にインディ500主催者であるインディアナポリス・モーター・スピードウェイ(IMS)が不満を持ち、1994年にはIMSが1996年より新しいカテゴリーを発足させる旨の発表をするに至る。その後1995年までにCARTとIMSとの間で何度か交渉が持たれたが話がまとまらず、1996年から2つのシリーズに分裂することになった。
CART側はインディ500をシリーズカレンダーから除き、それまでのレギュレーションのレースを維持する一方で、IMS側は新たにインディ・レーシング・リーグ (IRL) を設立し、インディ500を中心としたオーバルレース専門のレースを運営開催することになった。また「インディ」はIMSが持つ商標であるため、今までインディ・カーとよばれていたCART用のマシンがチャンプ・カー(Champ Car)と呼ぶように変更された。(チャンプ・カーとは1909年から続いているアメリカ国内チャンピオンシップを走るマシン、即ちチャンプ・カー)ちなみにインディ・カーはIRL側のマシンの呼称となった。
分裂後もメーカーの参戦、ドライバーレベルの高さ、レースの面白さもあって2001年まで盛り上がりを見せたCARTだったが、名門ペンスキーの離脱やエンジン規定を巡るいざこざ(*)でシリーズ自体の存続が危ぶまれるようになり、2002年をもってトヨタ、ホンダが撤退。両社は2003年にIRLへ移籍した。またそれまでの参戦チーム、ドライバーも多数IRLへと移籍したため、その影響をうけてCARTは破産となる。
CARTは2004年にOWRS(Open Wheel Racing Series)に全ての資産を売却し、運営団体、名称としてのCARTは消滅。現在はチャンプカー・ワールドシリーズ(CCWS)として再生を図っている。
*:CARTは2001年シーズン末に突如、2003年シーズンからそれまでの2650ccターボエンジンから、3500ccNAエンジンへエンジン規定を変更すると発表した。当時参戦していたエンジンサプライヤー達への合議がなされない状態での突然の発表だった為、ホンダは新エンジンには最低2年の開発期間が必要だとして反発(CARTのルール上も2年の猶予期間を持って発表を行うのが通例だった)。トヨタは規定変更の発表以前に、2003年以降はNAエンジンの開発に一本化すると表明していたが、結局はホンダ・トヨタは共に2002年末をもってCARTから撤退した。フォードも規定変更に反対し2003年シーズンへのエンジン供給停止(=撤退)を表明していたが、2002年中盤にCART側が再びそれまでの発表を覆す形で、2003年以降も2650ccターボエンジンを継続使用する事を発表した為、シリーズに残留する事となった。なお、このエンジン規定を巡るCARTとサプライヤー間のトラブルについてはエンジン規定変更の発表以前、2001年シーズン中盤にCART側が過給圧を制御する為のポップオフバルブの規定変更を発表した頃から既に始まっていたと言われている。
2007年1月26日に同年のシリーズ開幕を前にタイトルスポンサーであるフォードはスポンサーシップが経営目標に合致していないことを理由にタイトルスポンサー契約の打ち切りを決めた。
[編集] 概要
レースの特徴は、サーキット(ロード)、公道(ストリート)、オーバルの3種類のコースで行われ、満遍なくどのコースでも速さを求められるカテゴリーとなっている(しかしIRLの台頭や、NASCARを初めとする他カテゴリー統括団体によるオーバルトラック買収の影響により、オーバルレースは減少を余儀なくされ、またロードレースでも独立資本のサーキットが減少している事情などもあり、近年では他団体や特定メーカーの干渉を受けにくいストリートレースが、シリーズの中心を占めるようになっている状況である)。
エンジンは2.65リッターのシングルターボで、燃料としてガソリンではなく、インディカー同様メタノールを使用するのが特徴。また、F1などで禁止されているウイングカー構造のシャシを使用する。マシン、エンジン、タイヤに関してはレギュレーション上基本的にはどのメーカーでも参戦できるのだが、2002年の騒動により2003年よりエンジンはフォード(コスワース)、タイヤはブリヂストンの独占供給が決定している。マシンは以前はレイナード、ローラが供給していたが、2002年のレイナード倒産により、2005年現在ではローラの独占状態となっている。なお、2007年からはパノスが新シャーシを独占供給する事がアナウンスされているが、車幅の切り詰めなど思い切った改正が行われている事から、旧来のCARTファンの間では新シャーシの導入には賛否が分かれている状況である。
2005年シーズンからは、レース中合計60秒間だけエンジンパワーを増大させることができる「Push-to-Pass」ボタンや、本気のアタック時に使用するサイドウォール部分が赤く塗られたソフトタイヤ(通称「レッドタイヤ」)などの新機軸が導入されている。
またステップアップカテゴリーとして、過去にF3000に近いインディ・ライツ、F3に近いフォーミュラ・トヨタ・アトランティックの2カテゴリーによってCARTのフォーミュラピラミッドが形成されていたが、インディ・ライツは2001年を持って廃止され、現在はフォーミュラ・トヨタ・アトランティックのみ運営されている。なお、フォーミュラ・トヨタ・アトランティックは2006年よりタイヤが横浜ゴム、エンジンがマツダ・コスワースの供給となり、「ヨコハマ・プレゼンツ・チャンプカー・アトランティック・パワード・バイ・マツダ」として再出発が図られている。バッジネームのみという形ではあるが、マツダにとっては久々にレース活動に復帰を果たした事になる。
2001年にはCARTを舞台としたシルベスター・スタローンの映画「ドリヴン」が制作されたが、本物のCARTドライバーやマシンが多数登場する一方で、ストーリーにおいて実際のCARTでは起こりえない事態が描かれている部分が多いことから(CARTで使用するメタノール燃料は容易に水で消火・分解が可能なため、映画の後半で起きるような雨の中での燃料漏れによる爆発は考えにくい、雨が降っているのにオーバルコースでレースを行っているなど)、CARTファンの間では賛否両論である。これは、当初「ドリヴン」がF1をテーマとして企画された映画だったため、CARTを舞台とすることに変更された後も当初の脚本の設定が残っていたことが原因ではないかと、一部の関係者は指摘している。
日本では2007年以降、北海道・小樽市が市街地コースを利用して小樽GPの誘致活動を行っている。小樽グランプリ推進協議会
[編集] 歴代チャンピオン
年 | チャンピオン | 国籍 |
---|---|---|
1979年 | リック・メアーズ | アメリカ合衆国 |
1980年 | ジョニー・ラザフォード | アメリカ合衆国 |
1981年 | リック・メアーズ | アメリカ合衆国 |
1982年 | リック・メアーズ | アメリカ合衆国 |
1983年 | アル・アンサーSr. | アメリカ合衆国 |
1984年 | マリオ・アンドレッティ | アメリカ合衆国 |
1985年 | アル・アンサーSr. | アメリカ合衆国 |
1986年 | ボビー・レイホール | アメリカ合衆国 |
1987年 | ボビー・レイホール | アメリカ合衆国 |
1988年 | ダニー・サリバン | アメリカ合衆国 |
1989年 | エマーソン・フィッティパルディ | ブラジル |
1990年 | アル・アンサーJr. | アメリカ合衆国 |
1991年 | マイケル・アンドレッティ | アメリカ合衆国 |
1992年 | ボビー・レイホール | アメリカ合衆国 |
1993年 | ナイジェル・マンセル | イギリス |
1994年 | アル・アンサーJr. | アメリカ合衆国 |
1995年 | ジャック・ヴィルヌーヴ | カナダ |
1996年 | ジミー・バッサー | アメリカ合衆国 |
1997年 | アレックス・ザナルディ | イタリア |
1998年 | アレックス・ザナルディ | イタリア |
1999年 | ファン・パブロ・モントーヤ | コロンビア |
2000年 | ジル・ド・フェラン | ブラジル |
2001年 | ジル・ド・フェラン | ブラジル |
2002年 | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ブラジル |
2003年 | ポール・トレーシー | カナダ |
2004年 | セバスチャン・ブーデ | フランス |
2005年 | セバスチャン・ブーデ | フランス |
2006年 | セバスチャン・ブーデ | フランス |
[編集] イベント
[編集] 2006年シーズンのチャンプカー イベント
※イベント、開催州、決勝日(日付は現地時間)
- ロングビーチ(カリフォルニア州)4/9
- ヒューストン(テキサス州)5/13
- モンテレー(メキシコ)5/21
- ミルウォーキー(ウィスコンシン州)6/4
- ポートランド(オレゴン州)6/18
- クリーブランド(オハイオ州)6/25
- トロント(カナダ・オンタリオ州)7/9
- エドモントン(カナダ・アルバータ州)7/23
- サンノゼ(カリフォルニア州)7/30
- デンバー(コロラド州)8/13
- モントリオール(カナダ・ケベック州)8/27
- エルクハートレイク(ウィスコンシン州)9/24
- ゴールドコースト(オーストラリア・クイーンズランド州)10/22
- メキシコシティ(メキシコ)11/5
[編集] 2007年シーズンのチャンプカー イベント
※イベント、開催州、決勝日(日付は現地時間)
- ラスベガス(ネバダ州)4/8
- ロングビーチ(カリフォルニア州)4/15
- ヒューストン(テキサス州)4/22
- 珠海(中華人民共和国・広東省)5/20
- ポートランド(オレゴン州)6/10
- クリーブランド(オハイオ州)6/24
- モントランブラン(カナダ・ケベック州)7/1
- トロント(カナダ・オンタリオ州)7/8
- エドモントン(カナダ・アルバータ州)7/22
- サンノゼ(カリフォルニア州)7/29
- エルクハートレイク(ウィスコンシン州)8/12
- ゾルダー(ベルギー・リンブルグ州)8/26
- アッセン(オランダ・ドレンテ州)9/2
- ゴールドコースト(オーストラリア・クイーンズランド州)10/21
- メキシコシティ(メキシコ)11/11
- フェニックス(アリゾナ州)12/2