フォッサマグナ
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フォッサマグナは、日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目とされる地帯。
西端は糸魚川静岡構造線(糸静線)、東端は新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線とされる、広い範囲にわたる地帯。中央地溝帯とも呼ばれる。語源はラテン語の“Fossa Magna”で、「大きな窪み」を意味する。
しばしば糸静線と同一視されるが、糸静線はフォッサマグナの西端であって、「フォッサマグナ=糸静線」とするのは誤りである。つまり、地図上においては、糸静線は「線」であるが、フォッサマグナは「面」である。
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[編集] 概要
日本最大規模の地溝帯である。主に基盤岩は西南日本の中古生界からなり、第三紀の火山岩と堆積岩によって埋積されている。フォッサマグナ北部では第三紀層の褶曲によって生じた丘陵地形が際立って目立っている(頸城丘陵、魚沼丘陵など)。一方、南部ではフィリピン海プレートによって運ばれ、日本列島に衝突した地塊が含まれる(丹沢山地、伊豆半島など)。 ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが発見し、1893年のナウマンの論文で初めて発表された。彼が南アルプス山系から八ヶ岳や関東山地を眺望した際、巨大な地溝帯の存在を思いついたとされる。 フォッサマグナ内部の地層が褶曲していることはアルフレッド・ウェゲナーの「大陸と海洋の起源」において、陸地の分裂・衝突の証拠として紹介された。プレートテクトニクスではフォッサマグナは北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当するとされる。
[編集] フォッサマグナの誕生
この地域は数百万年前は海だったとされる。原始の日本列島は、現在よりも南北に直線的に存在したと思われるが、数百万年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、列島が現在のように中央で折り曲げられた。この時、折れ目にできた海に、新生代に砂や泥などが堆積してできた物が、現在の地層だと考えられている。
[編集] 火山・温泉
フォッサマグナの「面」に属する火山や温泉を挙げると、北(日本海側)から南(太平洋側)へ順に、妙高山、湯田中温泉、浅間山、八ヶ岳、富士山、伊豆長岡温泉、湯ヶ島温泉、稲取温泉の温泉街などが列んでいる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- フォッサマグナミュージアム(糸魚川市博物館)
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