フランス革命暦
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フランス革命暦(フランスかくめいれき, French Revolutionary Calendar, またはフランス共和暦または共和暦)は、フランス革命直後にフランスのみで使われた暦法。グレゴリオ暦1793年11月24日からグレゴリオ暦1805年12月31日まで、12年間余りしか使用されなかった。1871年のパリ・コミューンではごく短期間復活している。
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[編集] 概要
1793年、フランス革命政府は、カトリック色の強いグレゴリオ暦を廃止して新たな暦法を制定した。この暦法では、1年は365日で、革命政府が指定した年が別に閏年となった。1年は12か月、すべての月は30日で、あまった5日(閏年は6日)は年の終わりに置いて休日とした。さらに1か月を10日ずつ3つの週(旬)に分け、七曜を廃止した。さらに問題を生じたのは、年数を共和制宣言の行われた1792年9月22日から数え、さらに年初もこの日(グレゴリオ暦で9月22日に相当する日)にしたことである。
この暦法が大失敗に終わった理由として必ず挙げられることに、暦だけでなく時間の単位も変更したことがある。フランス革命暦では、1週は10日、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒とすべて十進法が使われた。合理性を追求したためだが(実際、同時期に考案されたメートル法は十進法を採用して大成功している)、これまでの生活習慣と大きく異なるものであった。
この暦は大変に不評で、特に七曜に慣れた国民にとって苦痛であったため、1802年3月31日より七曜が復活した。さらにナポレオンが皇帝となった2年後、共和暦14年Nivôse10日の翌日を1806年1月1日として革命暦は廃止され、元のグレゴリオ暦に戻った。これにはカトリック教会との和解という目的もあった。
[編集] 月名
フランス革命暦の各月には、詩人ファーブル・デグランティーヌによって創案された文学的な月名が付けられている。
秋は -aire, 冬は -ôse, 春は -al, 夏は -idor と三か月ずつ脚韻を踏んでいる。
- 秋
- Vendémiaire ヴァンデミエール(葡萄月):9月22,23,24日
- Brumaire ブリュメール(霧月):10月22,23,24日
- Frimaire フリメール(霜月):11月21,22,23日
- 冬
- Nivôse ニヴォーズ(雪月):12月21,22,23日
- Pluviôse プリュヴィオーズ(雨月):1月20,21,22日
- Ventôse ヴァントーズ(風月):2月19,20,21日
- 春
- Germinal ジェルミナル(芽月):3月20,21日
- Floréal フロレアル(花月):4月20,21日
- Prairial プレリアル(牧草月):5月20,21日
- 夏
- Messidor メスィドール(収穫月):6月19,20日
- Thermidor テルミドール(熱月):7月19,20日
- Fructidor フリュクティドール(果実月):8月18,19日
末尾は、該当月1日のグレゴリオ暦でのおおよその日付を示している。葡萄月1日は、グレゴリオ暦では9月22日か23日か24日にあたる。
[編集] 各日の名称
フランス革命暦では、すべての日付に名がついていた。各日につけられた名称は、植物の名にちなむ。
[編集] 秋
Vendémiaire(葡萄月)
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Brumaire(霧月)
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Frimaire(霜月)
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[編集] 冬
Nivôse(雪月)
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Pluviôse(雨月)
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Ventôse(風月)
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[編集] 春
Germinal(芽月)
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Floréal(花月)
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Prairial(牧草月)
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[編集] 夏
Messidor(収穫月)
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Thermidor(熱月)
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Fructidor(果実月)
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[編集] 年末の休日名
果実月30日と葡萄月1日の間に入れられた各日の名は次のとおり。
- La Fête de la Vertu - 美徳の日 - 9月17,18日
- La Fête du Génie - 才能の日 - 9月18,19日
- La Fête du Travail - 労働者の日 - 9月19,20日
- La Fête de l'Opinion - 意見の日 - 9月20,21日
- La Fête des Récompenses - 報酬の日 - 9月21,22日
- La Fête de la Révolution - 革命の日 - 9月22,23日 (閏年のみ)
日付はそれぞれ、グレゴリオ暦でその日に相当する日付である。これらの日は総称して「サン・キュロットの休日」(Les Sans-Culottides)と名付けられ、III年(1795年)からあとはles jours complémentairesと呼ばれた。
革命当時、貴族はキュロットズボンを履いていたため、市民は「キュロットをはかない人」(サン・キュロッティード Sans-Culottides)と名付けられた。それに因み、国民の休日は市民階級を指すサン・キュロッティードと呼ばれたのである。今日では、サン・キュロッティードとは共和派の意味をも持つ。
[編集] 曜日名
- primidi - 一曜日 毎月1,11,21日
- duodi - 二曜日 毎月2,12,22日
- tridi - 三曜日 毎月3,13,23日
- quartidi - 四曜日 毎月4,14,24日
- quintidi - 五曜日 毎月5,15,25日
- sextidi - 六曜日 毎月6,16,26日
- septidi - 七曜日 毎月7,17,27日
- octidi - 八曜日 毎月8,18,28日
- nonidi - 九曜日 毎月9,19,29日
- décadi - 十曜日 毎月10,20,30日
[編集] 表記の方法
表記の方法は少し変わっていた。年をローマ数字で書くようになっていたのである。
- 10 Nivôse, an XIV - フランス革命暦14年雪月10日
[編集] 閏年
閏年の挿入方法は未定義だった。革命政府が指定していたと思われる。III年、VII年、XI年、XV年、XX年が、指定された閏年である。もちろん、XV年とXX年は永遠にやってくることはなかった。閏年に関する規則が未定義のため、XXI年以降の暦を作成することは不可能である。
[編集] 他の暦法への換算
日付を修正ユリウス日に換算することにより、グレゴリオ暦などその他の暦法との日付の換算が可能になる。これには次の式を使う。
フランス革命暦暦y年m月d日午前0時(パリではなく、グリニッジ標準時)の修正ユリウス日は、x 以下の整数の中で最大のものをで表すと
ただし、Vendémiaire(葡萄月)を1月、以後、Fructidor(果実月)を12月と数える。年末の休日は、便宜上、12月31日~12月35日(閏年は12月36日まで)と数える。
例えば、14年雪月10日は y = 14、 m = 4、 d = 10 なので、
= 5113 + 120 + 10 − 24557 = − 16314
となり -16314 が修正ユリウス日となる。
この換算は、フランス革命暦19年末日まで有効である。
[編集] 世界史用語としてのフランス革命暦
世界史の用語にもしばしば革命暦は登場する。ロベスピエールを失脚せしめたテルミドール(熱月)反動、ナポレオン一世が軍事力で総裁政府を倒し権力を掌握したブリュメール(霧月)18日のクーデターなどがそれである。
また、プレリアール22日法など、革命期の法律の名にも用いられた。