マリー・フランソワ・サディ・カルノー
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マリー・フランソワ・サディ・カルノー(Marie François Sadi Carnot、1837年8月11日 リモージュ - 1894年6月24日 リヨン)はフランスの政治家で、第三共和政第4代大統領である。在職中に暗殺された。
政治家イッポリート・カルノーの息子として生まれた。はじめエコール・ポリテクニクとENPC(ポンゼショセ)で技術者教育を受け、官僚となった。1871年セーヌ=アンフェリウール(現セーヌ=マリティム)県知事となり、まもなく国民議会議員となった。1880年には公共事業大臣となった。
1887年、大統領に選ばれ、就任早々、政界を震撼させたブーランジェ事件を乗り切った。その後在職中にはフランス革命百年祭、パリ万国博(1889年)などの祝賀行事があったが、1892年にはまた政治スキャンダル・パナマ事件が持ち上がり、アナーキストによるテロも激化した。
1894年、リヨンで演説後にイタリア人アナーキスト、サンテ=ジェロニモ・カゼリオに刺され死亡した。パリのパンテオンに埋葬されている。
前大統領: ジュール・グレヴィー |
フランス大統領 1887 - 1894 |
次大統領: ジャン・カジミール=ペリエ |