マルチェロ・マストロヤンニ
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マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni、1924年9月28日-1996年12月19日)は、20世紀のイタリアを代表する映画俳優。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
1924年9月28日にイタリア北部の小都市、フォンタナ・リーリの家具職人の家に生まれたマストロヤンニは、イタリアの首都・ローマと北部の工業都市トリノで育ち、その後第二次世界大戦にイタリア軍兵士として参戦。1943年9月8日にイタリアが連合軍に降伏し、その後、北部がドイツ軍の占領下に入るとドイツ軍の捕虜収容所に入れられたものの、からくも脱出し、その後1945年までの間イタリア北部のヴェネチアで隠遁生活を送る。
[編集] 映画デビュー
第二次世界大戦が終結した1945年に演劇の世界に入り、ローマで映画の制作スタッフとして働くとともにローマ大学の演劇センターで俳優のレッスンを受け始める。その後イタリアを代表する巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督に才能を認められ、1947年に公開された「ル・ミゼラブル」(原題:「Il Miserabili」)で俳優としてのキャリアをスタートさせる。
[編集] 世界的スター
その後は「バストで勝負」(1955年)や「男と女」(1957年)、 ルキノ・ヴィスコンティ監督の「白夜」(1957年)などに出演し、1959年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の名作「甘い生活」(原題:「La Dolce vita」)で、ローマの上流階級を舞台に退廃的な生活を送るゴシップ記者を演じ、世界的な名声を得る。
その後もフェリーニ作品に頻繁に出演し、「8 1/2」(1963年)や「女の都」(1980年)、ローマにある巨大な映画撮影所「チネチッタ」のオープン50周年記念作品の「インテルビスタ」(1987年)など、多くの名作を残した。また、同じく多くの映画で典型的なイタリア美女を演じている女優、ソフィア・ローレンとの共演も多く、前述の「バストで勝負」やヴィットリオ・デ・シーカ監督のコメディ「昨日・今日・明日」(1963年)、「ひまわり」(1970年)、ロバート・アルトマン監督の「プレタポルテ」(1994年)など多数の映画で共演している。
[編集] 死去
1996年12月19日にフランス、パリの自宅ですい臓ガンで死去した。享年72。遺作はポルトガルの巨匠、マノエル・デ・オリヴェイラ監督の「世界の始まりへの旅」(1997年)であった。葬儀はローマの教会で国葬扱いで行われ、多くの共演者やファンが世界中から駆けつけた。
[編集] 受賞歴
「甘い生活」の新聞記者役に代表されるような、典型的な「イタリア人プレイボーイ」的な役を演じさせたら右に出るものはいないと言われたものの、2枚目ながら3枚目的な雰囲気を漂わせた、人間味溢れる演技が光る性格俳優としても評価が高く、「イタリア式離婚狂想曲」(1963年)で初のアカデミー主演男優賞にノミネートされ、その後も「特別な一日」(1978年)で同じく主演男優賞にノミネートされた。
「黒い瞳」(1988年)では同賞とカンヌ映画祭主演男優賞の両方にノミネートされ、アカデミー賞は惜しくも逃したものの「ジェラシー」(1970年)に次いで2度目のカンヌ映画祭主演男優賞を受賞した。他にもゴールデングローブ賞各賞を2回、ヴェネチア国際映画祭各賞を3回受賞している。
[編集] 主な出演作
生涯で約170作に出演し、その多くがルキノ・ヴィスコンティやフェデリコ・フェリーニ、テオ・アンゲロプロス、ヴィットリオ・デ・シーカ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジュゼッペ・トルナトーレ、ニキータ・ミハルコフなどの名監督による作品である。また、長年の俳優活動において「低迷期」と評される期間がまったくないという、映画スターとして稀有な存在であった。
- 「世界の始まりへの旅」(1997年)
- 「プレタポルテ」(1994年)
- 「こうのとり、たちずさんで」(1991年)
- 「みんな元気」(1990年)
- 「インテルビスタ」(1987年)
- 「黒い瞳」(1987年)
- 「ジンジャーとフレッド」(1985年)
- 「マカロニ」(1985年)
- 「女の都」(1980年)
- 「フェリーニの都」(1980年)
- 「特別な一日」(1977年)
- 「悦楽の闇」(1975年)
- 「最後の晩餐」(1973年)
- 「フェリーニ / サテリコン日誌」(1972年)
- 「ジェラシー」(1970年)
- 「ひまわり」(1970年)
- 「恋人たちの場所」(1969年)
- 「女と男と金」(1968年)
- 「あゝ結婚」(1964年)
- 「昨日・今日・明日」(1963年)
- 「8 1/2」(1963年)
- 「イタリア式離婚狂想曲」(1962年)
- 「甘い生活」(1960年)
- 「みんなが恋してる」(1958年)
- 「女と男」(1957年)
- 「白夜」(1957年)
- 「バストで勝負」(1955年)
[編集] 私生活
[編集] 結婚
若いときからアニタ・エクバーグ、ソフィア・ローレン、フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの女優などと浮名を流したが、結婚は生涯で1回、1948年にイタリア人女優のフローラ・カラベッラと結婚したのみであった。しかし後年マストロヤンニはマスコミのインタビューで、「本当に自分が心底愛した女はエクバーグとドヌーブの二人だけだった。」と語った。
[編集] 子供
妻のフローラとの間に一女をもうけたほか、長年の愛人でフランス人女優のカトリーヌ・ドヌーヴとの間にも一女(女優のキアラ・マストロヤンニ)をもうけている。なお、「プレタポルテ」(1994年)など複数の作品でキアラと共演を行っていたし、ドヌーブ・キアラ母子は晩年のマストロヤンニの看護も行い・臨終にも立会っている。