マルハ
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | 〒100-0004 東京都千代田区大手町1-1-2 |
電話番号 | 03-3216-0821 |
設立 | 1943年3月31日 |
業種 | |
事業内容 | 漁業、水産物加工、食料品製造販売等 |
代表者 | 代表取締役社長 五十嵐勇二 |
資本金 | 150億円(2006年3月31日現在) |
売上高 | 2735億1100万円(2006年3月期) |
総資産 | 1638億2900万円(2006年3月31日現在) |
従業員数 | 768人(2005年3月31日現在) |
決算期 | 3月 |
主要株主 | マルハグループ本社100% |
関係する人物 | 中部幾次郎、中部謙吉 |
マルハ株式会社は、水産加工食品を製造販売する会社である。
目次 |
[編集] 概要
水産・食品関連企業グループのマルハグループの中核企業で、プロ野球球団の『横浜ベイスターズ(旧:大洋ホエールズ)』のオーナー企業であったことでも知られる。
2006年現在の事業は「水産セグメント」と「食品セグメント」に分類されており、「水産セグメント」では、漁業、エビ養殖、海外水産物の輸入等の事業を行っている。「食品セグメント」では、畜産事業、化成品事業等の他、一般向け食品としていわし、さば、ツナ等の海産物の缶詰、焼き魚や丼物のレトルト食品、魚肉ソーセージ、ちくわ、フルーツゼリーなどを製造販売している。
[編集] 沿革
1880年(明治13年)、数え年15歳の中部幾次郎(なかべいくじろう)が播磨(現在の兵庫県)で家業の鮮魚仲買運搬業を受け継いだものが「マルハ」の源流である。1904年(明治37年)に山口県下関市に拠点を移し[1]、捕鯨業・トロール漁業に進出。1924年(大正13年)には林兼商店を設立し、これが法人組織としての創立となる。
1936年(昭和11年)に大洋捕鯨株式会社を設立し南氷洋捕鯨を開始、戦時下の水産統制令により1943年(昭和18年)には内地水産部門と大洋捕鯨株式会社等を合併し西太平洋漁業統制株式会社に改称。戦局悪化と共に漁業用船舶を徴用され大打撃を受けた。
戦後は大洋漁業株式会社と改称し、1946年(昭和20年)には捕鯨を再開。1951年(昭和26年)には母船式北洋サケ・マス漁業を再開、1958年(昭和33年)には西アフリカ海域でのトロール漁業開始など、まさに世界中の海で遠洋漁業事業を展開し、漁業以外でも食品加工、冷蔵、運送、貿易商社などに進出した。
遠洋漁業は戦後の食糧難の時期から高度成長期にかけて日本の貴重なタンパク源であったが、1973年(昭和48年)のオイルショック、さらに1977年(昭和52年)に排他的経済水域が設定されたことにより、その規模は縮小せざるを得なくなった。大洋漁業も、日本国内からの遠洋漁業事業は縮小しつつ、海外における漁業事業、水産物の輸入、食品加工等を行う総合食品会社に事業を変化させることとなった。
1980年代後半のバブル期には不動産投資やゴルフ場経営など、多角化を推し進めるも、不採算となる事業も発生している。2002年(平成14年)には長年のイメージリーダー的存在であった球団を売却、2004年(平成16年)には日本国内・国外のグループ168社を持株会社であるマルハグループ本社を中心に再編するなどリストラに取り組み、2006年(平成18年)現在は経営は大きく改善し、電子レンジ加熱食品事業に乗り出すなど総合食品会社へと転換を図りそれ以外にもマグロの養殖、健康志向からDHA需要の高まりを受けてDHA入りソーセージの発売や、魚肉加工品の卸売りなど、様々な事業を行っている。
[編集] 商標の「マルハ」の由来
創業者の中部家が明石郡林村の出身であることから、屋号が「林屋」となり、途中の代から林家兼松と名乗り、屋号を「林兼」とした。この当時から屋号の略称として「は」の字を用いており、林兼商店となった後も丸枠の中に「は」の字を入れた商標を用いていたことに由来する。また、航海中『荒波(は)を丸く収める』という意味も掛けられていた。この1921年(大正10年)に商標登録された「マルハ印」は、1993年(平成5年)に新たな商標に変更されている。
[編集] 略年表
- 1880年(明治13年) 中部幾次郎が家業を継ぐ。(マルハ社史では創業とされる)
- 1904年(明治37年) 事業の本拠地を兵庫県明石から山口県下関へ移転。
- 1922年(大正11年) 土佐捕鯨を買収し捕鯨業に進出。
- 1924年(大正13年) 株式会社林兼商店を設立。
- 1936年(昭和11年) 南氷洋捕鯨に初出漁。
- 1943年(昭和18年)3月 水産統制令により株式会社林兼商店の内地水産部門と、大洋捕鯨株式会社、遠洋捕鯨株式会社を合併し、西大洋漁業統制株式会社を設立。
- 1945年(昭和20年)12月 水産統制令が廃止。西大洋漁業統制株式会社が西大洋漁業株式会社と改称。同月に大洋漁業株式会社と再び改称。
- 1946年(昭和21年)12月 戦後初の南氷洋捕鯨に第一日新丸が出漁。
- 1949年(昭和24年)11月 プロ野球球団大洋ホエールズを結成し、セントラル・リーグに加盟(以下の球団の歴史は横浜ベイスターズを参照。球団は2002年1月まで保有していた)。
- 1950年(昭和25年)7月 大洋漁業株式会社が株式会社林兼商店を合併。
- 1951年(昭和26年) 海外事業(インド他)に先鞭 母船式北洋サケマス漁業再開。
- 1953年(昭和28年) 魚肉ハム・ソーセージ発売、養殖事業を開始。
- 1958年(昭和33年) 西アフリカ海域にトロール漁業で進出。
- 1960年(昭和35年) 飼料畜産など陸上部門に進出。
- 1964年(昭和39年) 塩水港精糖株式会社に資本参加し製糖事業に進出。
- 1973年(昭和48年)6月 株式会社千代田を合併。
- 1977年(昭和52年) 新領海法が施行。排他的経済水域の設定により遠洋漁業は衰退へ向かう。
- 1993年(平成5年)9月 マルハ株式会社と商号変更。
- 1995年(平成7年) 中華人民共和国に合弁会社を設立。
- 1996年(平成8年)4月 株式会社大洋シーフーズを合併。
- 1999年(平成11年) 砂糖事業を分離し別会社化。
- 2001年(平成13年) マルハペットフード株式会社をMBO手法により独立
- 2002年(平成14年) トロール漁業事業、冷蔵事業を分社化。
- 2003年(平成15年) 大阪魚市場株式会社と包括的業務提携を行う。
- 2004年(平成16年)4月 マルハグループを持株会社方式により再編。株式移転により株式会社マルハグループ本社を設立し、その完全子会社となる。
- 2005年(平成17年)3月 子会社パールエールを通じて保有していた塩水港精糖株式50.18%を、内24%を三菱商事に30億円弱で譲渡し、パールエース株式全部を塩水港精糖に売却し、製糖事業から撤退。
- 2007年(平成19年)10月 ニチロとの経営統合により、統合持株会社マルハニチロホールディングスを設立予定。
[編集] 主な商品
- ちくわ
- ソーセージ(リサーラなど)
- 缶詰シリーズ各種
- パッ缶シリーズ
- レトルト食品シリーズ各種(牛丼、中華丼など)
- 金のどんぶりシリーズ
- ピクルスシリーズ
- 組み合わせ米飯シリーズ
- やわらかシリーズ
- ぞうすいシリーズ
- おかゆシリーズ
- ピュアシリーズ各種
- 冷凍食品シリーズ
- デザートシリーズ
- 今日のくだものシリーズ
- ペットフードシリーズ(アイシア(旧:マルハペットフード)より発売)
[編集] テレビCM
過去には小林亜星がCMソングを作曲した商品が多く見られた。
- レンジで煮魚
- サラフレッシュ
- 牛丼・中華丼
- マルハのちくわ
- マルハのパッ缶
[編集] 関係会社
JNN系列局である長崎放送の15.50%の株を保有する筆頭株主(2006年3月31日現在)である(JNNのキー局は、かつて所有していたベイスターズの現在の親会社のTBS)。
創業家を同じくする親類企業として、大東通商(マルハグループ本社の筆頭株主。主に商社部門と石油関連部門を持つ)や林兼産業(兄弟会社。食肉加工業務を主力事業としており、”キリシマハム”ブランドでハム・ソーセージ類を製造販売している)等がある。
かつて子会社であったパールエースとその上場子会社塩水港精糖は2005年に三菱商事に売却された。
なお、大火災を起こした熊本県熊本市の大洋デパートとは無関係。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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