ラリー・パリッシュ
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ラリー・パリッシュ(Larry Alton Parrish , 1953年11月10日 - )は、ヤクルトスワローズ(1989年)・阪神タイガース(1990年)でプレーしたプロ野球選手。アメリカ合衆国フロリダ州出身。
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[編集] 来歴・人物
メジャーリーグ通算256本塁打とパワーの面で期待され、1989年にヤクルトに入団。
1年目、打率.268と低かったものの期待通りにホームランを量産し42HRをマークした。しかし三振も多く、池山隆寛(現・東北楽天ゴールデンイーグルスコーチ)、広沢克己(現・阪神コーチ)と3人揃って「100三振トリオ」と呼ばれるほどだった。しかし、それだけ豪快ともいえる本塁打を量産していた証拠でもある。来日1年目で本塁打王に輝き、ベストナインも受賞した。1990年も残留が有力視されていたが、この年ヤクルトの監督に就任した野村克也(現・楽天監督)が、三振の多さに難色を示したため解雇された。
その後、セシル・フィルダーが契約でもめた末に退団し、大砲不在で悩んでいた阪神がすぐさま獲得。入団したパリッシュは、序盤から前年の本塁打王の貫禄を見せ付け、本塁打を量産。同年にはオールスターゲームにも出場した。ところが、8月に古傷の膝が悪化してしまい帰国、そのままシーズン終了と共に現役引退。
その後アメリカへ戻り、デトロイト・タイガース傘下3Aトレド・マッドヘンズなどの監督を経て、1998年にデトロイト・タイガースの監督に就任した。2003年から再び3Aトレドの監督となり、2005年・2006年にはチームを2年連続でリーグ優勝に導いた。
[編集] エピソード
- 会見で好きな食べ物を聞かれて、フロリダでは普通に食べるワニの肉だと答え、ワニを食べる男として話題になった。結局探し回って都内に1軒だけワニ肉を食べさせる店がありスタミナを付けた。
- 当時の読売ジャイアンツのエースだった斎藤雅樹(現・巨人コーチ)を大の苦手としており、2年間で彼からはホームランを1本も打てず、阪神時代にはホームランはおろか、ヒット自体を打てずに終わった。池山曰く、斎藤が先発と聞くと「いやだ、いやだ」と顔をしかめていたくらい苦手意識を持っており、実際に斎藤が出る試合で欠場したことがある(池山が著書でコメント)。さらに阪神移籍後の某日の対巨人戦においては強行出場を命じられ、4打席4三振を喰らう等、散々であった。
[編集] 日本での通算成績
- 235試合 874打数 227安打 打率.260 70本塁打 183打点 227三振
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
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