リュドヴィク・ジュリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
リュドヴィク・ジュリ(Ludovic Giuly、1976年7月10日 - )は、フランス・リヨン出身のリーガ・エスパニョーラ・バルセロナ所属のサッカー選手(フォワード)。
目次 |
[編集] プレースタイル
右サイドウィングを本職とするが、トップ下、セカンドトップとしてもプレー可能で、スピードと得点感覚に秀でたアタッカー。身長164cm、体重62kgと言うサッカー選手としては不利とも思える体格を逆に生かした高い機動力、マッチアップする相手に削られるより先に身体を上手く相手に当てて突破を図る勇敢さとしたたかさが持ち味。相手DFラインぎりぎりで裏をつく飛び出しも秀逸。クロスの精度はあまり高くは無い。
[編集] 経歴
1990年にリヨンの育成機関に入団。1994年にはトップチームへ昇格を果たし、当時のジャン・ティガナ監督から絶大な信頼を得るが、監督の退任、自らの怪我もあり出場機会を減らす。1998年にティガナがモナコの監督に就任したのを機に移籍し、ダビド・トレゼゲ、ティエリ・アンリらをサポートする右サイドハーフで活躍する。その後クラブでキャプテンを務めるようになり、03-04シーズンのチャンピオンズリーグ準優勝などチームの得点源、かつ精神的支柱として大いに活躍し、バロンドールにもノミネートされた。その後2004年にバルセロナへ移籍、同シーズンの優勝に貢献するもリオネル・メッシの台頭によりレギュラーの座を脅かされつつあったが、2005/2006年のUEFAチャンピオンズリーグ1回戦のチェルシー戦(ホーム)でメッシが負傷し長期離脱をしたために定位置を確保する。準決勝のACミラン戦(アウェー)では貴重な決勝ゴールを決めるなどチームには欠かせない存在になり、決勝のアーセナル戦では先発フル出場し、バルセロナの14年ぶりの欧州王者獲得に貢献した。
代表チームでの初出場は2000年3月のスコットランド戦。フランス代表の攻撃的MFはジダン、ピレス、ヴィルトールと層が厚くなかなか出場機会を得られないでいたが、FIFAコンフェデレーションズカップ2003では欠場したジダンに代わって10番を背負い、中心選手として活躍した。しかしその後はメンバー入り確実と見られたEURO2004では直前に負傷、ドイツW杯ではレイモン・ドメネク監督の構想外となり落選するなど、代表でのビッグトーナメントには未だに縁が無い。
性格は至って陽気。
[編集] エピソード
- バルセロナのチームメイトであるエジミウソンとは生年月日が同じ。ジュリの方が2時間ほど早く産まれた。(バルサTV)
- 05/06シーズン、CLで優勝したら髭を剃らないと宣言、見事優勝した後は06/07シーズン開始時には剃ってしまったものの宣言通りに髭を伸ばし、一時的に同僚オレゲールの如くヒゲモジャのジュリを見る事が出来た。
- 陽気な人物であり、練習中でもチームメイトにいたずらをするなど微笑ましい一面をもっている。
[編集] 所属チーム
- オリンピック・リヨン(フランス) 1994-1998
- モナコ(フランス) 1998-2004
- バルセロナ(スペイン) 2004-
FCバルセロナ - 2006-2007 |
---|
1 バルデス | 2 ベレッチ | 3 モッタ | 4 マルケス | 5 プジョル | 6 シャビ | 7 グジョンセン | 8 ジュリ | 9 エトオ | 10 ロナウジーニョ | 11 ザンブロッタ | 12 ファン・ブロンクホルスト | 15 エジミウソン | 16 シウビーニョ | 18 エスケーロ | 19 メッシ | 20 デコ | 21 テュラム | 22 サビオラ | 23 オレゲール | 24 イニエスタ | 25 ホルケラ | 28 ルーベン | 32 クロサス | 33 ジェフレン | 監督: ライカールト |
カテゴリ: フランスのサッカー選手 | リヨンの選手 | モナコの選手 | FCバルセロナの選手 | 1976年生