エイドゥル・グジョンセン
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エイドゥル・グジョンセン(Eidur Smári Gudjohnsen、Eiður Smári Guðjohnsen、1978年9月15日 - )は、アイスランド、レイキャヴィーク出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラのバルセロナ所属。ポジションはFW、MF。 17歳で代表入りしたアイスランドのエースでキャプテンである。 現在はでプレーしている。父はアイスランドの名FWだったアルノール・グジョンセン。身長183cm、体重80kg。
[編集] 経歴
1995年、17歳の時にバルル・レイキャヴィークでプロデビュー。すぐにPSVアイントホーフェンからオファーが届き移籍する。2年間在籍するものの、ポジション争いの相手がロナウドであったため出場機会は多くなく、怪我もあり母国に戻った後、1998年に入団したイングランド・ボルトンで活躍の場を得る。そして2000年にチェルシーに引き抜かれ、ジャンフランコ・ゾラやジミー・フロイド・ハッセルバインクらと魅力的な攻撃陣を形成した。その後2003年に、チームのオーナーに就任したロマン・アブラモヴィッチの資金力により続々世界的なアタッカーが入団し、一時は放出候補に名前があがったが、出場すれば高いパフォーマンスをみせ、他のフォワードが不振に陥ったこともあり、グジョンセンの評価は益々高まった。
ギャンブルに金をつぎ込んだり、飲酒運転で警察沙汰になるなど悪童としても知られるが、難易度の高いシュートも難なく決める、「シュートテクニック」の非常に高い選手でパスセンスも高く、献身的なポストプレーでチームへの貢献度は抜群である。フィリップ・トルシエ監督のアシスタントだったフローラン・ダバディーは「グジョンセンは両足を使えるFWで世界一」と評したことがある。スピードにも優れ、センターフォワード、セカンドトップどちらとしてもプレーできるが、2004年からチェルシーの監督に就任したジョゼ・モウリーニョの下ではセンターMFとしても起用されることが多くなった。フランク・ランパードと組む中盤は得点能力、運動量ともに高く相手チームの脅威の的であった。
チームが更にシェフチェンコ・バラックなどの大型補強を行うに当たって、2006年6月、前シーズンを以てバルセロナを退団したラーションの後釜として同チームに移籍。センターフォワードとしての起用だけでなく中盤での組み立てにも参加している。
[編集] エピソード
父、アルノール・グジョンセンと代表で一緒だったことがある。アルノールからエイドゥルに途中交替したこともある(ただし直後にアルノールが怪我で引退したため、親子で同じピッチに立つという夢は叶わなかった)。
[編集] 所属クラブ
- バルル・レイキャヴィーク(アイスランド)1994-95
- PSVアイントホーフェン(オランダ)1995-97
- KRレイキャヴィーク(アイスランド)1997-98
- ボルトン(イングランド)1998-00
- チェルシー(イングランド)2000-06
- バルセロナ (スペイン) 2006-
FCバルセロナ - 2006-2007 |
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