フランク・ライカールト
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フランク・ライカールト(Frank Rijkaard、1962年9月30日-)は、オランダ・アムステルダム出身の元サッカー選手。現在はサッカー指導者としてFCバルセロナ監督を務める。スリナム系オランダ人。
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[編集] 経歴
1980年、17歳でプロデビュー。この頃からすでにヨハン・クライフにその実力を認められていた。現役時代は主に守備的ミッドフィールダーとして、オランダ代表とイタリアセリエA・ACミランの中心選手として活躍。ルート・フリット、マルコ・ファン・バステンと共に、1980年代末から続いたACミランの黄金期を支えた「オランダトリオ」のひとりである。
1995年に現役を引退。1998年にオランダ代表監督として指導者としてのキャリアをスタートさせた。2003年、当時低迷していたFCバルセロナの監督に就任。巧みな人心掌握術でバルセロナを再建し、2004年-2005年、2005年-2006年シーズンのリーガ・エスパニョーラ優勝、さらに2005年-2006年シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝へと導いている。
[編集] プレイスタイル
ブラックスワンと呼ばれたオランダトータルフットボール第2世代の申し子。抜群の身体能力と守備センスで敵の攻撃の芽を摘むプレーはボランチの鏡とも言える(ただしオランダ代表ではディフェンスラインの中央の位置でもプレー)。FWの理想形と呼ばれる同僚ファン・バステンと同じく、サッカーの教科書の教材としてふさわしい存在である。また、長身の割にボールコントロールも正確で、セットプレーからの得点も多かった。中盤で我慢するプレーは実にチームメイトからは心強かったと思われる。
1990年のイタリアW杯、対ドイツ戦において2枚のイエローカードを貰い退場。オランダ敗退の戦犯となってしまった(ドイツ代表のルディ・フェラーに人種差別的な暴言を吐かれた事に対し、感情をあらわにした為。後に本人は謝罪した)。
[編集] 所属クラブ
[編集] 監督キャリア
- オランダ代表 1998-2000
- スパルタ・ロッテルダム 2001-2002
- FCバルセロナ 2003-
[編集] 獲得タイトル
[編集] 選手として
[編集] クラブ
- 欧州カップウィナーズカップ 1回(86-87シーズン)
- 欧州チャンピオンズカップ 3回(88-89、89-90、94-95シーズン)
- トヨタカップ 2回(1989、1990年;1990年大会は大会優秀選手)
[編集] 代表
- 欧州選手権 優勝(1988年)
※代表キャップ数73、通算10ゴール
[編集] 監督として
[編集] クラブ
- リーガ・エスパニョーラ 2回(04-05、05-06シーズン)
- 欧州チャンピオンズカップ 1回(05-06シーズン)
FCバルセロナ - 2006-2007 |
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1 バルデス | 2 ベレッチ | 3 モッタ | 4 マルケス | 5 プジョル | 6 シャビ | 7 グジョンセン | 8 ジュリ | 9 エトオ | 10 ロナウジーニョ | 11 ザンブロッタ | 12 ファン・ブロンクホルスト | 15 エジミウソン | 16 シウビーニョ | 18 エスケーロ | 19 メッシ | 20 デコ | 21 テュラム | 22 サビオラ | 23 オレゲール | 24 イニエスタ | 25 ホルケラ | 28 ルーベン | 32 クロサス | 33 ジェフレン | 監督: ライカールト |
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オランダ代表 - サッカー欧州選手権1988 優勝メンバー (初) | ![]() |
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1 ファン・ブロイケレン | 2 ファン・ティヘレン | 3 トルースト | 4 R.クーマン | 5 ヴィンター | 6 ファン・エーレ | 7 ファネンブルク | 8 ミューレン | 9 ボスマン | 10 フリット | 11 ファント・シップ | 12 ファン・バステン | 13 E.クーマン | 14 キーフト | 15 クーフェルマンス | 16 ヒーレ | 17 ライカールト | 18 スフリーン | 19 クルーゼン | 20 ヴォウタース | 監督: ミケルス |
カテゴリ: オランダのサッカー選手 | アヤックス・アムステルダムの選手 | サラゴサの選手 | ACミランの選手 | オランダのサッカー指導者 | FIFA100 | 1962年生