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エルヴィス・プレスリー - Wikipedia Wikipedia (2007) - wikipedia2007.classicistranieri.com

エルヴィス・プレスリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エルヴィス・プレスリー(1970年)
エルヴィス・プレスリー(1970年)

エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aron Presley, 1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカのロックンロールミュージシャン。血液型はO型。ミドルネームは墓石にはAaronと綴られているが、サイン、公文書共にAronである。『キング・オブ・ロックンロール』(または単に『キング』)として知られる。ギネス・ワールド・レコーズでは最も成功したソロ・アーティストとして認定されている。

目次

[編集] プロフィール

チャック・ベリー、リトル・リチャードらと共にロックンロールを世界に広めた。その影響を受けたビートルズ、レッド・ツェッペリンらスーパースターは多い。黒人のブルースと白人のカントリーを融合させたロックを広め人種の壁を打ち壊した人物として知られ、世界の大衆音楽のみならず人類の思想にまで多大な影響を及ぼした。

彼は最初、「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」の愛称で呼ばれる。品位を欠くミュージシャンとして非難されたことでも知られる。アメリカのバラエティー番組『エド・サリバン・ショー』の出演の際には、視聴者の抗議を配慮した番組関係者が意図的にエルヴィスの上半身だけを放送したというエピソードが伝えられている。また、フロリダの演奏では体を動かすなとPTAだかYMCAだかに言われ、小指を動かして歌った。この時には警官がショウを撮影し、体を動かすと逮捕されることになっていた。

彼の持つ記録は様々あり、例えば、最も成功したソロ・アーティスト、最も長時間ナンバー1にエントリーさせたアーティスト(80週)、最多ヒットシングル記録(151回)、一日に売れたレコード枚数の最高(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。CD/レコードの総売上は正確な数を把握できていないが、1977年に「6億枚以上」、死後数ヶ月間だけで「2億枚」、1985年に「10億枚以上」という推定数字が発表されている。「売上データ無し」がRCA/BMGの公式発表であるが、現在は30億枚と言われ、世界NO.1といわれている。

なお、彼は2005年10月27日発表の米経済誌フォーブスによると、2004年10月から1年間の印税等の収入は4500万ドル(約51億9000万円)に上った。故人長者番付である同調査では2005年まで5年連続でトップを維持し、今なお伝説的な存在である事を証明している。ただ、2006年10月25日発表の故人長者番付では、カート・コバーンに抜かれ2位になった。

[編集] 生い立ち

エルヴィスはミシシッピ州トゥーペロの小さな家で、ヴァーノン・エルヴィス・プレスリーおよびグラディス・ラヴ・スミス・プレスリー夫妻の間に1935年1月8日午前4時35分に生まれた。彼はトゥーペロで幼年期を過ごし、13の時に一家はテネシー州メンフィスに転居した。彼には双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している。一家は1949年にロウダーデール・コート公営住宅に転居するが、そこはエルヴィスがビール・ストリート、エリス・オーディトリウム、サン・スタジオといったメンフィス・ミュージックや文化的な影響を受けた施設から1マイル程度の距離であった。エルヴィスは11歳からギターを始め、ロウダーデール・コートの地下洗濯部屋で練習をした。彼はそこに住むミュージシャン達と演奏を行った。エルヴィスは高校卒業後に精密金型会社で働き、次にクラウン・エレクトリック社のトラック運転手となる。

スコットランド人作家アラン・モリソンはエルヴィスがスコットランド系であったと主張する。彼はその著書でエルヴィスの先祖が1700年代にアバディーンシャーのロンメイで暮らしていたことを発見したとする。また、記録によるとアンドリュー・プレスリーが1713年にロンメイでエルスペス・レッグと結婚したとしている。彼らの息子アンドリューが1745年にイギリスの植民地に移住したとのことである。

1950年代のアメリカでは音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っており、当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲を白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。例え同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが一般的だった。エルヴィスは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。

[編集] サン・レコード

1953年の夏にエルヴィスはサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード"My Happiness"と"That's When Your Heartaches Begin,"であった。エルヴィスは母親への誕生日プレゼントとしてアセテート盤を録音したと語ったが、グラディス・プレスリーの誕生日は4月であり、録音は7月に行われたためこれは事実ではないと考えられる。サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてエルヴィスを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共にエルヴィスを売り出すこととした。

1954年7月5日のリハーサル休憩中にエルヴィスは"That's All Right, Mama"をいじくり始め、サムはエルヴィスが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に"Blue Moon of Kentucky"が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。また、公演旅行は彼の評判をテネシー中に広げることとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。

サンとの契約下でエルヴィスは5枚のシングルをリリースした。

  • That's All Right / Blue Moon Of Kentucky - Sun 209, 1954年7月19日
  • Good Rockin' Tonight / I Don't Care if the Sun Don't Shine - Sun 210, 1954年9月25日
  • Milkcow Blues Boogie / You're A Heartbreaker - Sun 215, 1954年12月28日
  • Baby Let's Play House / I'm Left, You're Right, She's Gone - Sun 217, 1955年4月10日
  • Mystery Train / I Forgot To Remember To Forget - Sun 223, 1955年8月6日

これらの多くはリズム・アンド・ブルースまたはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のエネルギッシュなカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1.55"、最長のもので2.38"である。

1955年8月18日にエルヴィスの両親はトム・パーカー大佐との契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。

[編集] RCA

エルヴィスは1955年11月21日にRCAレコードと契約した。1956年1月28日に「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」にてTVに初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこで彼は白人らしからぬパフォーマンスを披露したが、これに対してPTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられた。しかし、その激しい非難にもかかわらず、それを見た若者たちは、これこそが自分達のための音楽なのであると感じエルヴィスのファンになっていった。

1956年1月27日に第6弾シングル「Heartbreak Hotel / I Was the One」がリリースされた。これは1956年4月にチャートの一位に達した。(Heartbreak Hotelはその後数多く登場したミュージシャンに多大な影響を与えた。)エルヴィスが1977年に死去するまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、40曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続でNo.1を獲得した「グッド・ラック・チャーム」を最後にエルヴィスはNo.1から遠ざかった。しかし、1969年11月1日、「サスピシャス・マインド」がNo.1を獲得し、「エルヴィスの復活」と言われた。1972年10月28日には「バーニング・ラヴ」が2位まで上り詰めたがチャック・ベリーの「マイ・ディンガリング」(1972年10月21日から二週連続No.1)に阻止され70年代でエルヴィスはNo.1を取る事が出来ず、「サスピシャス・マインド」が最後のNo.1となった(Billboard誌に準拠)。

  • 「イン・ザ・ゲットー」、「バーニング・ラヴ」はCashBox, Record Worldなど他紙ではNo.1になっている。
1957年
1957年

レコーディング場所について1950年代はニューヨークにあるRCAスタジオを利用した事があったが、エルヴィスのキャリアにおいて、主演映画の挿入歌以外のレコーディング場所でもっとも利用されたのはテネシー州ナッシュヴィルにあるRCAスタジオBである。しかし、1972年以降はハリウッドにあるRCAスタジオや地元メンフィスのスタジオを利用した。更に1976年になるとレコーディング自体に関心が薄れ、RCAスタッフがエルヴィスの自宅(グレイスランド、ジャングルルーム)に録音機材を持ち込み、レコーディングを行わなければならなかった。

後年レコーディング自体に関心を示さなくなったのはRCAのミキシングがエルヴィスの意向とそぐわなかったり、体調不良等様々な理由があると思われるが、はっきりとした理由はわからない。しかし、エルヴィスのレコーディング・スタイルは(現在ではいくつかのテイクをつなぎ合わせて一つの曲として発表する形式や曲の別録りもあるが、エルヴィスはこの形式を選択出来たにも関わらず彼はこの形式を嫌い、現在まで発表された曲数は700以上あるがそのような形式で発表した曲は少ない)最後まで一発撮りといわれる1テイク完成型にこだわった。その為、エルヴィスの死去後現在まで様々な未発表テイクが発掘された。その中には発表されたテイクと違った趣向もあり興味深い。しかし、後年、レコーディングに関心がなくなった頃は、体調不良を訴え、「歌のレコーディングは後で必ずするからミュージックだけ録音しておいてくれ。」と言っていたこともあった。しかし、ほとんどの場合、それは実現しなかった。

[編集] Follow That Dreamレーベル

エルヴィスがそのキャリアにおいて発表した曲の未発表テイクが数多く存在する。未発表テイクを収録したアルバムが何枚も公式にリリースされたが、今後、商業的目的もある公式アルバムですべてを聴くには不可能。また、録音された公演も数多く存在しており、すべての未発表テイクを含めて、それらは公式にリリースしても一部のファン達にしか需要がない為、長年、海賊版でしか聴く事しか出来なかった。プライヴェート録音を含め、すべての残されたエルヴィスの音源を聴きたいというファンの要望に応えるべく立ち上げられたものが、主演映画のタイトルから引用した「Follow That Dream」レーベルである。

このレーベルのアルバムは限定生産され、世界中のファン・クラブに優先的に流通させるので一般のCDショップ等に出回りにくい。1999年に第一弾「Barbank'68」(1968年のNBC-TVスペシャルのリハーサルの模様を収録)がリリースされた。以後、定期的に貴重な音源が次々とリリースされ続けている。わずかだが一つの曲のすべてのテイクを聴く事が出来たり、コンサートアルバムはエルヴィスのコンサートを体験する事が出来なかったファンにも(音声だけだが)追体験出来るような内容になっている。

[編集] 軍歴

1958年1月20日に、彼はアメリカ陸軍への徴兵通知を受けた。当時のアメリカ合衆国は徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。彼は特例措置を受けることなく、通常の兵士として西ドイツで勤務し、1960年3月5日に満期除隊した。この愛国的な貢献は当時の多くの米国人にとって賞賛された。家族をはじめとする多くのものが、平時におけるこの徴兵をいぶかしみ、中には「彼の徴兵は、その思想や行動を危険視されたことによる政治的なもの」と考えたものもいた。しかしながら兵役義務を無事完了させたことにより、その愛国的態度が評価されそれが更なる評価につながった。なお、彼は軍在籍中に、空手の黒帯を取得し、軍曹まで昇進した。徴兵命令が来た際、エルヴィスは「闇に響く声」を製作中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し、「エルヴィスをよこして頭を下げさせろ」と伝えた。翌日、エルヴィスは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行った。軍に在籍中、病気にかかり軍の病院において扁桃腺炎だと診断された。その際、医師は彼の声が変調するのを恐れて、扁桃腺の切除手術は行わなかった。扁桃腺の切除手術は行われなかったものの、彼は回復し健康を取り戻した。

1967年5月1日には、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ビューリーと結婚。プリシラはエルヴィスのドイツでの所属部隊長の継子であった。エルヴィスは母親と継父を説得して、未成年であったプリシラとグレースランドで同棲していた。そして8年後に結婚し、1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリー(Lisa Marie Presley)が生まれる。しかし4年後、ゴジップ雑誌の報道で浮気を疑われ離婚し、プリシラは4歳のリサを連れて別れた。

[編集] 映画とエルヴィス

もともとエルヴィスは歌手より映画俳優になりたかったらしい。(彼の憧れはジェイムス・ディーンやマーロン・ブランドであった。)父親であるヴァーノンが歌手では一生飯が食えないので、エルヴィスに歌手を勧めなかったといわれている。(この事は『エルビス・オン・ツアー』でのエルヴィスの語りで語られている)少なからずエルヴィスもこの考えには同調していた。有名になる近道として歌手の道を選んだ。

有名になっていくにつれて映画会社数社から出演の依頼が彼のもとに届いた。エルヴィスは大変喜んで、映画館に通いつめ、演技を独学で勉強した。初出演映画にはパーカー大佐がエルヴィスを映画の主演にさせたかったので20世紀FOX配給「Rino Brothers」を選んだ。エルヴィスはシリアスな演技派の俳優になりたかったので、映画内での歌には興味がないと公言していたが、結局パーカー大佐の要請で4曲も歌う羽目になりタイトルも「Love Me Tender」に変更されて公開された。エルヴィスは当時のガールフレンドに「映画会社がアホな曲を用意してきたんだよ。せっかくのいいストーリーが台無しになっちゃったよ。」と不満を漏らしている。

陸軍入隊前までの1958年までに4作の映画が製作されたがいずれも挿入歌ありの主演映画に終始し、おまけに映画挿入歌を収めたアルバムが好評だった為、当時のショウビジネス界に新たなビジネスの形態を作り出した。1960年に陸軍除隊するとパーカー大佐は映画会社数社と長期に渡り出演契約を結んだ為、1969年まで1年に3本のペースで27本もの映画の製作が行われ、活動の拠点をハリウッドに移さざるをえなかった。おおよその映画は制作費を抑えた挿入歌アルバム付のものが多かったが、「G.I. Blues」や「Blue Hawaii」、「Viva LasVegas(ラスヴェガス万才)」等の話題になったものもある。結局、1956年から1969年まで計31本の映画が公開されたが、エルヴィスが望んだ歌なしの映画は1969年公開の「Charro(殺し屋の烙印)」しかなかった。この映画が製作された頃のエルヴィスは1960年代初期と違い、映画への意欲が薄らいでいた時期ではあった(68年のカンバックを経て、残った契約の消化を急いでいた)が、久しぶりに前向きに臨んだ西部劇で役作りの為あごひげまではやし撮影された。しかし、エルヴィスが力を入れて撮影したシーンがカットされたり、すでにエルヴィスの主演映画の世間の注目度も低く、脚本の出来もイマイチであったので映画自体は振るわなかった。数多く撮影されたにも関わらず、台本に恵まれずミュージカル映画の枠を超える事はなく、彼の仕事への不満が貯まる要因を作り、歌手としてコンサート活動を再開するきっかけになった。

コンサート活動後も1970年8月のラスヴェガス公演やリハーサル風景を収めたドキュメンタリー映画「Elvis: That's the Way It Is(エルヴィス・オン・ステージ)」や1972年4月のコンサート・ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画「ELVIS On Tour(エルヴィス・オン・ツアー)」が製作され、好評だった。それ以降は映画の公開はなかったが、エルヴィスの死去後の1981年には、ほとんどを生前の映像等で構成した彼のライフ・ストーリー的映画「This Is ELVIS」が公開された。これらをあわせると、エルヴィスが主演した映画は合計34本となる。

歴史にもし、あの時…はタブーだがエルヴィスの映画スタイルが固定される1950年代に何本かシリアスな映画に出演して話題作になっていたならば、その後も作品に恵まれ彼の映画人生も違ったものになっていたかもしれない。(ただし、そのような映画出演をパーカー大佐が認めていればの話だが…)映画俳優としても有名になっていたならば若くして死去することもなかった可能性があるが、1970年代に歌手としてコンサート等での彼の歌声を聴く事もなかった可能性もある。

グレイスランド(Graceland)
グレイスランド(Graceland)

1974年8月19日ラスヴェガス公演中のエルヴィスの楽屋をバーブラ・ストライザンドが訪れ、彼女が主演する映画「A Star Is Born(スター誕生)」の共演を依頼しエルヴィス自身も非常に乗り気だったと伝えられているが、後日パーカー大佐が出演料を理由に断った。

1970年代半ばエルヴィス自身が起案し出演する空手家が主人公の映画の撮影を行ったが、完成することはなかった。理由の一つとして、後年エルヴィスは体調が悪くなる事が多く空手を続けられる環境でなくなった為、8段だった空手自体をやめてしまった事があげられる。因みに空手の後の趣味はラケットボールで、自宅であるグレイスランドの敷地内に専用コートを建てた。死去する1977年8月16日の早朝も友人達とプレーし、汗を流した。

[編集] 出演作品

32本の映画出演作(ドキュメンタリーは除いて)全てが主役という驚異的な記録を残している。

  • 「やさしく愛して(Love Me Tender)」(1956年)
  • 「さまよう青春(Loving You)」(1957年)
  • 「監獄ロック(Jailhouse Rock)」(1957年)
  • 「闇に響く声(King Creole)」(1958年)
  • 「G・I・ブルース(GI Blues)」(1960年)
  • 「燃える平原児(Flaming Star)」(1960年)
  • 「嵐の季節(Wild in the Country)」(1961年)
  • 「ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)」(1961年)
  • 「夢の渚(Follow That Dream)」(1962年)
  • 「恋のKOパンチ(Kid Galahad)」(1962年)
  • 「ガール!ガール!ガール!(Girls! Girls! Girls!)」(1962年)
  • 「ヤング・ヤング・パレード(It Happened at the World's Fair)」(1963年)
  • 「アカプルコの海(Fun in Acapulco)」(1963年)
  • 「キッスン・カズン(Kissin' Cousins)」(1963年)
  • 「ラスベガス万才(Viva Las Vegas)」(1964年)
  • 「青春カーニバル(Roustabout)」(1964年)
  • 「フロリダ万才(Girl Happy)」(1965年)
  • 「いかすぜ!この恋(Tickle Me)」(1965年)
  • 「ハレム万才(Harum Scarum)」(1965年)
  • 「フランキーandジョニー(Frankie and Johnny)」(1966年)
  • 「ハワイアン・パラダイス(Paradise, Hawaiian Style)」(1966年)
  • 「カリフォルニア万才(Spinout)」(1966年)
  • 「ゴー!ゴー!ゴー!(Easy Come, Easy Go)」(1967年)
  • 「ダブル・トラブル(Double Trouble)」(1967年)
  • 「ブルー・マイアミ(Clambake)」(1967年)
  • 「ステイ・アウェイ・ジョー(Stay Away, Joe)」(1968年)
  • 「スピードウェイ(Speedway)」(1968年)
  • 「バギー万才(Live a Little, Love a Little)」(1968年)
  • 「殺し屋の烙印(Charro!)」(1969年)
  • 「トラブル・ウィズ・ガール(The Trouble with Girls)」(1969年)
  • 「チェンジ・オブ・ハビット(Change of Habit)」(1969年)
  • 「エルビス・オン・ステージ(Elvis: That's the Way It Is)」(1970年)
  • 「エルビス・オン・ツアー(Elvis on Tour)」(1972年)

[編集] コンサート・ツアー

1969年からエルヴィスはそれまでの映画への不満や母の死去、妻との離婚の寂しさを爆発させるように自虐的とも言える過密スケジュールでライヴ活動を再開する。しかし、それは彼を完全なワーカホリック状態へと追い込むものであった。 死ぬ前の7年間に行ったライヴは1000回以上であり、平均すると一ヶ月におよそ35回のペースだった。そのため彼はしばしば薬物の使用と過食をして、自身のストレスから逃れようとしたと言われている。使用された薬物はデメロール(睡眠薬)、アンフェタミン(覚醒剤)、ステロイド系鎮痛剤、ビタミン剤等々。いずれも医者が処方した薬だったので敬虔なクリスチャンであるエルヴィス自身が薬物に手を出したのではないとされる。なおこの頃エルヴィスが食べたものとしては主にカロリーが高く、多いときでは一日におよそ15000キロカロリーオーバーを摂取したといわれている。貸し切りテーマパークで遊んだときには、コーラ200本以上、コーヒー50杯以上を飲んだといわれている。そしてその薬物や過食の影響からか、後年は歌詞を覚えられなくなったりしていた。後年、太りすぎの体は観客に晒せないとライヴ数日前には断食していたと言われている。映画『エルヴィス・オン・ステージ』(生涯の中で最も肉体美をしていた頃)や『アロハ・フロム・ハワイ』では彼が歌詞を覚えられないことをぼやいて不安がるシーンや、リハーサルコンサートで歌詞を間違えてしまうシーンが見られる。とは言っても他人の曲を100曲以上リハーサルしていたわけだから歌詞が思い出せないのは自然なことかもしれない。

『エルヴィス・オン・ステージ』のリハーサルで「リトル・シスター」の歌詞を間違え、本番での「君を信じたい」と「ポーク・サラダ・アニー」では歌詞を見ながら歌っている。映像では発表されていないが同ライブの12日ミッドナイトショーでは「ただ一人の男」を途中で歌い終え、“これ以上は覚えてないんだ”と言っている。「やさしく愛して」の頃は共演者の台詞を全て覚えるほど記憶力が良い事でも知られていた。「エルビス・オン・ツアー」では「バーニング・ラブ」を歌詞カードを見ながら歌っているのが確認できる。「アロハ・フロム・ハワイ」のリハーサル・コンサートで同曲の歌詞の順番を間違えたことから見ると、この曲を覚えるのには苦労したようである。

1970年頃のエルヴィス
1970年頃のエルヴィス

1970年代には、ビートルズの登場とその隆盛に伴い、その人気にかつてほどの勢いが失われたように見られていたが、熱狂的なファンは世界中に存在し、数々のアルバムをリリースした。また、1960年代後半よりネバダ州のラスベガスを中心にショーを行うようになっていたが、同じくラスベガスを中心にショーを行っていた人気ピアニストのリベラーチェが、その派手な衣装をエルヴィスに勧めた事により、エルヴィスのショーの舞台衣装がこの頃よりどんどん派手になって行くことになり、後に後期のエルヴィスを回想するときには、その派手な衣装が必ず紹介されるようになった。エルヴィスの日本での認識は袖の部分に布端の房を付けているというイメージが強いが、エルヴィスはその衣装を死ぬまでに1度しか着ていない。その袖に房の付いたジャンプスーツは「動きの邪魔だ」と言って、切ってしまったようで、もっぱらボン・ジョヴィやジミヘンなどがそのテのジャケットを着ていた。

エルヴィスのコンサートは時代を経て、大規模なものになっていった。1950年代はエルヴィスのヴォーカルにギター、ベース、ドラムスの一つのグループのような編成でロックロール色を前面に出す構成だったが、瞬間最高視聴率約72%を記録した1968年のNBC-TVスペシャル以後、翌年にラスベガスのステージで歌手復帰してからは、ロックンロール以外にもレパートリーの幅を拡げ、ゴスペルやスタンダート・ナンバー等を取り入れたエンタテイメント性を前面に出す構成に移行していった。バック・ミュージシャンもコーラス・グループやピアノ等が新たに加わり、オーケストラまで揃えた多人数の団体に膨れ上がった。ラスヴェガスのステージ編成をそのまま地方公演に取り入れた。彼の幅広い音楽性を最大限引き出すにはここまで必要だったといえよう。

エルヴィスは1969年のコンサート活動再開後、最後にコンサートを行った1977年6月26日インディアナポリス公演までチケットは売り切れ状態が続いた。1977年8月17日から始まる予定だったツアーも最終日の8月27日のメンフィス公演まで売り切れ、翌28日に同地で追加公演を行う予定だった。後年、体調不良となってくると主治医から処方された薬でスケジュールをこなすよう体調を維持したが、残念ながら体調が回復しない事もあったのだろうコンサート自体の出来、不出来の差があった事は否めない。

[編集] 死と埋葬

エルヴィスの墓
エルヴィスの墓

エルヴィスは1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレースランドで死去した。ガールフレンドのジンジャー・オールデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3:30に死亡を確認した。享年42であった。検死後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。

エルヴィスはメンフィスのフォレスト・ヒル墓地で母親の隣に埋葬された。しかし、遺体の盗掘未遂事件後に、母親と共にグレースランドに再埋葬された。グレースランドには、彼の様々な遺品やピンクに塗られたキャディラック、愛娘の名前をつけた自家用機、コンベア880型、「リサ・マリー号」などが展示されており、現在も世界中からファンや観光客が訪れている。

若くして死んだため(そして、エルヴィスの物真似を生業としているものがアメリカ国内だけで数百人いるため)か、今日に至るまでエルヴィスを見かけたという目撃者が多くいる。またそれは冗談のネタにもなっており、コメディー番組などでもよく使われる。一つ例を挙げるとエルヴィスのミドル・ネームはアーロン(Aron)であり(身分証明書に基づく)、ミドル・ネームの綴りが墓の綴りと違う為、生きている人間の墓を作る訳にもいかず、あえて綴りを変えたのではないかとの噂になった事もあり「エルヴィスは生きている!(Elvis is Alive!)」というフレーズがアメリカ国内で一時期週刊誌等に過熱気味に報道され、テレビで検証番組を放送する事もあった。しかし、(当然のことながら)エルヴィス本人が現れなかったり、エルヴィスの側近だった人物(メンフィス・マフィア)が否定的な見解を示すなど具体的な物証等が話題が続くほど出てこなかったので、そのような報道は少なくなったが今日でもアメリカのタブロイド新聞の見出しを飾ることがあるほか、日本の東京スポーツもよく引用した記事を掲載する

[編集] 世界に与えた影響

エルヴィス・プレスリーはヨーロッパにおいて、ロックンロールに対する興味を生じさせた。冷戦下で、鉄のカーテンで隔たれていたソ連や東ドイツなどの共産主義圏の人々にも知られているほどであった。彼はヨーロッパ進出を考えていたアメリカのミュージシャンの先駆者になった。世界中のティーンエイジャーは彼の「ダックテール」と呼ばれる横髪を後ろへなで付けるヘアスタイルをこぞって真似し始めた。また、彼の曲を聴くためのトランジスターラジオの爆発的な需要は、日本の小さな電器メーカーであったソニーを巨大でグローバルな複合企業へと成長させた。そして、黒いズボンや緩い開襟シャツといった彼のニュールックは、ファッションの新たな潮流を作り、その大きな需要を生み出した。エルヴィスの影響は、経済大国における大量消費を行う最初のティーンエイジャー世代を生み出した。さらに現在でもエルヴィスを慕って彼を演じる人々が世界中にいる。エルヴィス・プレスリーを慕うミュージシャンに、ドイツのオペラ歌手ペーター・ホフマンらがいる。

1977年にカーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。」と語った。エルヴィスの存在はそれほど唯一無二の存在で、何物にも代え難かった。彼の音楽とその個性は白人の国家と、黒人特有のリズム、ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼の存在は巨大であった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。ジェームズ・ブラウンは「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。

一方で、ベトナム戦争を支持する有力派としても知られ、そんな彼の一面を支持するものと忌み嫌う者もいた。

アメリカ内務省長官のゲイル・ノートンは2006年3月27日にエルヴィスが約20年間を過ごした、アメリカ合衆国テネシー州メンフィスの邸宅「グレースランド」を国の国定史跡に認定した。歴史的建造物に指定される場所は主に、歴史的イベントが行われた場所、著名なアメリカ人が住んでいた場所,国家を形作る理念を象徴する場所である。 認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。

今日、エルヴィス発見に莫大な懸賞金がかけられ、映画作成のためらしいがまだエルヴィスは生存していると考えるエルヴィスファンも多い。

[編集] アフター・ライフ

エルヴィスの急死後、その肖像権は非常に危うい位置にあった。彼はステージ以外の事は人任せであった。肖像権は一応管理はされていたのだが杜撰だった為、金儲けの道具とされ、エルヴィスのイメージを損なうものであっても簡単に商品化出来る状態だった。死去後まもなくして遺族らが膨大なエルヴィスの物的財産を管理する組織を結成、肖像権も管理しようと訴訟を起こした(当時、亡くなった有名人の肖像権の取り扱いは帰属等がはっきりしていなかった)。遺族らは勝訴し、肖像権を手に入れ、以後今日までしっかりと管理されている。

肖像権が管理できるようになって、エルヴィス・プレスリーという名を使い現在まで様々なプロジェクトを世界に向かって発信してきた。エルヴィスのキャリアはサン・レコードからデビューした1954年から死去する1977年であるが、そのキャリアより死去後経過した期間が長いのに、(エルヴィスに関連した物も含めて)エルヴィスほど死去後も活字や映像等で様々な話題を提供し続ける人物も珍しい。エルヴィス自身は、もし僕が死んだらファン達は僕の事などすぐに忘れるだろうね、と語っていた。本業の歌の部門では、数多くの未発表テイクが発掘され、それらを収めたものや、音質の向上されたアルバム等が現在も現役のアーティスト並みのペースで発表されている。

最近の話題だと新編集された曲が2002年FIFA World Cup KOREA/JAPANの公式テーマソングになったり、それらを収録したアルバムがNo.1(ビルボート・ポップ・アルバム・チャート)に輝いた。未発表映像も発掘され、1968年のTVスペシャルや1973年のアロハ・フロム・ハワイのアウトテイクを収録した完全版がリリースされ好評だった。その他、側近や友人、家族らが語るエルヴィスの人物像に焦点をあてた物や、エルヴィスのゴスペルに対する思いを映像化した物もある。2005年1月には「監獄ロック」「ワン・ナイト/アイガッタ・スタング」「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」が全英チャートを制覇している。

それ以外にもエルヴィスをモチーフにした映画の製作や彼の曲が数多くの映画の挿入歌に使用される事も多い。エルヴィスに因んだセリフも数多くの映画の中で聞くことが出来る。ブロードウェイのミュージカルにも取り上げられる等、そのような話題はとどまる事を知らない。エルヴィスが残した物や素晴らしさ、人間性を伝えていこうという姿勢がこれらの根底にあるようだ。

エルヴィスの物まねタレント
エルヴィスの物まねタレント

彼の物まね、又は成りきる(演じる)事を生業とする人々が全世界に存在する他、エルヴィスを尊敬する有名ビッグ・アーティストも多く、そのようなアーティスト達が一堂に会したトリビュート・コンサートやトリビュート・アルバムの発売が何度も企画され実現した。更に1997年には新たなる試みとして、エルヴィスのコンサート映像を使用し、それにあわせて当時のバンド・メンバーが演奏する「ELVIS THE CONCERT(エルヴィス・ザ・コンサート)」(最近「ELVIS PRESLEY IN CONCERT(エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート)」に名称変更された)のメンフィス公演が行われ、以後全米各地のほか、ほぼ年に1回のペースでアメリカ以外の地域でツアーを行っている。公演先はヨーロッパが多く、オーストラリアや日本でも公演があった。

[編集] メディア・芸術作品の中のエルヴィス

  • 『フォレスト・ガンプ』 - 無名時代のエルヴィスがガンプの家に泊まり、背骨の固定装置を足に着けたガンプの動きにヒントを得て独自のステージパフォーマンスを編み出すというくだりがある。また、劇中でフォレストの母親が「子どもの見るものではない」と当時のエルヴィスに対する親の考えが表されている。
  • 『ミステリー・トレイン』(ジム・ジャームッシュ) - エルヴィスのゆかりの地としてメンフィスを訪れる若い日本人観光客のカップルのエピソードが含まれている。女の子のジュンはエルヴィスに心酔している。エルヴィスの亡霊が登場したり、ラジオからエルヴィスの曲が流れたりもする。
  • 『スコーピオン』という映画では主人公ら五人の強盗グループがラスベガスで開催されているエルヴィス・プレスリーそっくりさんコンテストの会場にジャンプスーツ姿で現れ、騒ぎに乗じて金を盗み出す場面がある。
  • 『ババ・ホ=テップ』(Bubba Ho-Tep)という映画の主人公は、人知れず南部のとある老人ホームで余生を送るエルヴィスである。亡くなったのは実はそっくりさんだったという設定。
  • ジャック・ウォマックの小説AmbientやElvissey(ともに未訳)で描かれる近未来世界では、エルヴィスの復活を信じるE教会(the Chirch of E)という宗教が登場する。Elvisseyでは、E教会の信者たちが、エルヴィスのそっくりさんファッションに身を固めて、"Elcon"という集会を開催するシーンがある。
  • プレスリーに対するオマージュを描いた映画作品に、『ハートブレイク・ホテル』(1988年米、クリス・コロンバス監督、デヴィット・キース、チューズデイ・ウェルド、チャーリー・シュラッター)、『グレイスランド』(1998年米、デヴィッド・ウィンクラー監督、ハーベイ・カイテル)などがある。
  • 『フルハウス』 - 大のエルヴィス・ファンであるジェシーが主役。作品の随所にエルヴィス関連のネタが登場する。1度だがラスベガスへ行ったときには「ラスベガス万才」と同じ空撮の映像にジョン・ステイモスが歌った「Viva Las Vegas」が流れる。
  • 『俺がハマーだ!』- プレスリー似た者コンテストの優勝者が次々と撲殺される事件が起き、おとり捜査のために主人公ハマー刑事がコンテストに出場するエピソードがある。

[編集] 豆知識

  • 1965年8月27日に、ロサンゼルスのエルヴィスの邸宅でエルヴィスとビートルズは一度きりの会見を果たす。ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとエルヴィスのマネージャーであるパーカー大佐の間での極秘の打ち合わせという名目だったが、実際自宅周辺には野次馬が集まった。対面の場では、登場したエルヴィスの姿に見惚れ放心し、無言で固まったままであったメンバーに対し、「そうして僕の顔を見ているだけと言うなら、僕はもう寝る」と言い放ち、席を立ちかけ、周りは一瞬緊張した空気が流れたが、「せっかくジャムセッションでもしようとギターを用意してたのに‥‥」という誘い水の言葉をきっかけに場は和み、即興演奏が始まった。エルヴィスは習いたてのベースを演奏し、ジョンとジョージはギター、ポールはピアノを演奏した。リンゴはドラムキットが無かったため演奏してはいない。そしてその会見に実際に立ち会ったという、記者クリス・ハッチンスによればジョンはエルヴィスのベトナム戦争に賛同する姿勢と、彼のマンネリ気味であった映画を痛烈に批判したということらしい。ジョン・レノンを快く思っていなかったエルヴィス(ジョンがアメリカに住むようになった頃、エルヴィスは大統領にジョンを追放してほしいと手紙を出したとも言われている)は激怒したとされる(ジョン・レノンは1970年代のエルヴィスのプロデュースをやりたかったらしい)。しかし、この証言は当時の他の同席者達がそれぞれ微妙に食い違った証言をしていることから真実であるかは疑わしい。実際、この会見を最も楽しみにしていたのは実はジョン自身であり、知人にはエルヴィスに会ったことを興奮しながら嬉しそうに話している。そしてなにより惜しい事は、当時音楽界に於いて最も注目すべきこの会見を録音したテープが存在しないことである。
  • ニュージーランドのタズマンベイ(湾)にはエルヴィス・プレスリーの横顔によく似た小島がある。
  • エルヴィスは終生アメリカ、カナダ以外でコンサートを行っていない。エルヴィス自身は世界中から寄せられる公演希望に応えたいと思っていたのだが、パーカー大佐がこれを許さず、海外公演は出来なかった。その為、パーカー大佐は世界の公演希望に応えるため、衛星中継という方法で、ナマのエルヴィスを世界へ送った。日本のゴールデンタイムにあわせて?ハワイ時間深夜1時からコンサートを開始した。また、チャリティ・ショーだった為、エルヴィスをはじめバンド・メンバーはノーギャラでコンサートを行った。この公演の収入は全て、クイ・リー癌基金へ寄付された。この公演のチケットには値段が付いておらず、客が献金したい分だけ払えば、購入することが出来た。6000席の会場で7万5000ドル集まったわけだから、1人あたり12ドル50セント支払った計算になる。
    • 「アロハ・フロム・ハワイ」での世界衛星中継後、エルヴィスはそのプレッシャーにより、吐きどおしだったという。エルヴィスはこの公演を誇りに思い、アメリカの象徴であるイーグルを刺繍したジャンプスーツを作った。
  • エルヴィスは昔、飛行機事故を経験しており、その後のハリウッドでの映画撮影を行っていた1960年代はトレーラーバスを購入し、メンフィスとハリウッドの移動手段に利用する等数年間は飛行機嫌いになった。「アロハ・フロム・ハワイ」での到着シーンでも若干顔色が悪いのが伺える。後年、飛行機嫌いを克服したのかは不明だが、全米各地でのコンサートの移動用に自家用ジェットとして大型旅客機のコンベア880を購入し、頻繁に使用した。
  • 世界中のエルヴィスのファン、ファンクラブからの募金のみで運営している病院がある。その病院はメンフィスにあるエルヴィス・プレスリー記念病院である。
  • ロックン・ロール、リズム&ブルース、ゴスペル・ミュージックの3部門のいずれも殿堂入りした初のアーティストとなった。また、今のところ3度グラミー賞を受賞しているが、3度ともロック部門ではなくゴスペル部門においての受賞であり、エルヴィスは終生この事を誇りにした。
リチャード・ニクソン大統領とエルヴィス・プレスリー(1970年)
リチャード・ニクソン大統領とエルヴィス・プレスリー(1970年)
  • 警察官等のバッジ・コレクションをしており、珍しいバッジが欲しいというだけの理由ではないが、1970年12月20日にはわざわざワシントンD.C.に一人で行き、アポなしでリチャード・ニクソン大統領に会った。右のツーショット写真はその際撮影されたものである。
  • 「アロハ・フロム・ハワイ」で日本人の“オーディエンス”から手ぬぐいを首にかけてもらい、「これはなんだろう?」という眼差しで見つめている。
  • 70年8月12日のミッドナイト・ショーでエルヴィスは首飾りをつけていたが、「ラブ・ミー・テンダー」で会場を回った後、ステージに戻り「誰か僕の首飾りを切っちゃった」とMCしていた。
  • 「ハウンド・ドッグ」を歌う際には、「僕はまだほんのガキでした」とMCするのがお約束。
  • パーカー大佐はエルヴィスのギャラの半分を自分のコミッションとしていた。彼はエルヴィスを脅迫していたと言われている。
  • モハメド・アリと交流があり、彼に金色のマントを送ったが、それを初めて着用して登場した試合で敗れたので、以後2度と着用することはなかったが、アリはそれを大事にした。アリは金色のマントをもらったので、お返しにエルヴィスに金色のアリのサイン入りグローヴを送った。エルヴィスもこれを大事にした。
  • 「今夜はひとりかい?」のレコーディングの際、エルヴィスは雰囲気を出すためにライトを消して収録した。その為かラストで、譜面台に頭をぶつける音が入っている。
  • エルヴィスはまるで日課のように多方面、数え切れないほどの多くの団体に寄付した。殆どが非公式や匿名で行われたものだった為、はっきりと把握出来ていない。ホノルルのパール・ハーバーにあるアリゾナ記念館はエルヴィスが1961年に行ったチャリティ・ショーによって建てられたものである。エルヴィスによると「1日100万ドル使い続けても使い切れない」そうだ。頻繁に友人には車や宝石をプレゼントした。
  • エルヴィス・プレスリー・エンタープライズは映画やテレビでエルヴィスが間違った認識で扱われること、ある一面だけを大きく取り上げられることにピリピリきている。そのため、エルヴィスを好意的に捉える映画やテレビには積極的に協力し、使用料も比較的安くしてもらえる。
  • ステージ上での華やかさや激しい動き、リハーサル風景でのリラックスした雰囲気からは分かりにくいが、本人は真面目で几帳面である。
  • 酒も煙草もやらない。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から酒を渡された時も、口を付けるだけでほとんど飲んでいない。ステージ上で飲んでいるものは水かゲータレードである。
  • コーヒーや炭酸飲料、ピーナッツバターとバナナのサンドイッチが大好きである。
  • 現在、パーカー大佐はその横暴ぶりばかりが目立っているが、彼は確かに売り出しの天才ではあった。数ヶ月を掛けて宣伝材料を集め、各部門へ細かく指示し、配布した。
  • 70年代のエルヴィスは真っ白なジャンプスーツが思い出されるが、それ以外にも紺や青、水色、赤などのジャンプスーツも着ている。
  • 「監獄ロック」のダンスシーンの撮影中、エルヴィスの歯に被せてあった銀歯が取れ、誤って飲み飲んでしまう事故が起きた。銀歯は胃に行かずに肺へ行ったため、肺から銀歯を取り出す大手術を受けた。幸い、彼自身にも喉にも影響はなかった。
  • 70年代のエルヴィスのバックバンドを勤めたベースのジェリー・シェフはエルヴィスから要請が来た時、最初は断るつもりで対面した。ジェリーはブルース以外の音楽には興味がなかったからだ。その場のセッションでエルヴィスがブルースをいじり始め、ジェリーはその歌い方に感銘を受け、バンドに参加する決心をしたという。しかし、ジェリーが本当に心を魅せられたのはエルヴィスの温かい人柄であったという。雑用スタッフも決して邪険にせず、この曲は嫌いなどということも無かったという。
  • 日本の小泉純一郎前首相が大ファンであり、エルヴィスと誕生日が同じである。ブッシュ大統領と共にその生家を訪ねた。このとき遺族から借りたサングラスを前首相ははめておどけて見せた。
  • メンフィスにはエルヴィス・プレスリー・ブルーバード(大通り)という名の道路がある。
  • ピアノのグレン・ハーデンはエルヴィスがリハーサルしていない曲をソロで振ってくることがあったため、それ以来、エルヴィスにソロを要求されると思われる曲を練習していたという。
  • エルヴィスはジェリー・シェフにブルースのソロを振った際、ジェリーはブルース以外の曲も演ろうと思い(公演で何度のブルースは弾いてきたので)アドリブでケイジャンを弾いた。それ以降、メンバー紹介の際には「フェンダーベースのジェリー・シェフです。今夜は何を演ってくれるのでしょう?」とMCするようになった。
  • 「エルヴィス・オン・ステージ」の冒頭で見られる観客は70年8月の公演のものではない。
  • 「アロハ・フロム・ハワイ」の記者会見でパーカー大佐は1000ドルを寄付(チケット購入)した。
  • エルヴィスの友人で警備担当であるケネディ警部補が同じく警官であった弟を亡くした時、エルヴィスは葬儀の資金を全額負担し、バックコーラスであったJ.D.サムナー&スタンプス・カルテットにゴスペルを歌わせた。葬儀の際に野次馬で式が邪魔されるのを避けるため、エルヴィスは警官の制服を着用し、他の参列した警官と共に式に出席した。
  • スコティ・ムーアは“エルヴィスの葬儀は見世物ショーになるだろう”と感じ、式に出席しなかった。
  • 「監獄ロック」(楽曲)は曲のスピードがオリジナルテイク(収録したそのままの状態)から半音分落ちている。これはレコード/CD出発売されている曲と「クローズアップ・エルヴィス」を聞き比べれば簡単に認識できる。
  • エルヴィスはパーカー大佐に対する不満をメンバーたちに漏らしていた。しかし、エルヴィスはパーカー大佐をクビにすることはなかった。エルヴィスは大佐を恐れていたようである。
  • エルヴィスは友達だと思った人間には尽くすタイプだった。反対にエルヴィスのお金や贈り物を求めて近付いてくる人間には、その姿勢に気付き距離を置いていたようである。
  • ステージでの華やかさからは気付きにくいが、エルヴィスはシャイでテレ屋な性格であった。レコード会社の門を叩けずに、入り口付近でウロウロ、ソワソワしていたこともあったようだ。「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ。」との言葉も残っている。
  • エルヴィス復帰後のショーでリズムギターを勤めていたジョン・ウィルキンソンは元々は歌手であった。エルヴィスは休憩時間などにジョンに歌ってもらい、リラックスしていたようである。90年代に左半身不随になってしまい、2度とギターは弾けなくなってしまった。
  • エルヴィスは「アロハ・フロム・ハワイ」の前日と前々日にリハーサル・コンサートを行なった。衣装も着用してのコンサートだったが、1月13日(前日)のコンサートで本番同様、ケープとベルトを観客に投げてしまった。衣装担当のビルは本番で使うケープとベルトを大急ぎで調達し、エルヴィスへ届けた。しかし、エルヴィスは本番でもケープとベルトを投げてしまった。その衣装は後のツアーでも使う予定であったため、ビルはまた、大急ぎでケープとベルトを調達した。
  • 70年代、エルヴィスがツアーをはじめた時、ツアー先から「黒人娘(ザ・スウィート・インスピレーションズのことを言った。実際にはもっとひどい言い方をされた)は連れてこないでくれ。」と連絡を受けたことが度々あった。エルヴィスは「彼女たちを来させないなら僕も行かない。」と言い張り、向こうが謝罪し、多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。
  • 公式リリース音源の数は800曲を超える。
  • エルヴィスはストロークが強いため、ギターの弦をよく切っていた。また、サウンドホール上部は傷だらけになってしまっている(下部はピックガードが付いている)。

[編集] 家族

  • 父:ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー/Vernon Elvis Presley (1916年4月19日 - 1979年6月26日)
  • 母:グラディス・ラヴ・プレスリー/Gladys Love Smith Presley (1912年4月25日 - 1958年8月14日)
  • 兄:ジェシー・ギャロン・プレスリー/Jesse Garon Presley (エルヴィスの双子の兄に当たり30分早く生まれたが、生後まもなく死去)
  • 娘:リサ・マリー・プレスリー/Lisa Marie Presley (1968年2月1日 - )
  • 妻:プリシラ・プレスリー/Priscilla Beaulieu Presley (1945年5月24日 - )

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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