ロマネスク建築
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ロマネスク建築(-けんちく Romanesque architecture)は 中世ヨーロッパにおいて見られる建築様式で、ゴシック建築以前のものを指す。ロマネスクというのは「ローマ風の」という意味で、美術史・建築史でゴシックと区別して19世紀以降使われるようになった用語である。それまではロマネスク・ゴシックの様式・時代は区別されていなかった。
11世紀以降のフランスクリュニー修道院の発生とザクセン朝神聖ローマ帝国の成立と関連が深いとされるが、建築史家によっては8世紀から9世紀のカロリング朝フランク王国の建築以降をロマネスクに含める場合がある。11世紀以降をロマネスクとする説では、それ以前のものを初期キリスト教建築、またはプレ・ロマネスク建築などと呼ぶ。
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[編集] 概説
ロマネスク建築は、4世紀から5世紀に古代の社会生活が崩壊した後、中世ヨーロッパで形成された建築である。おおよそ1000年から1200年頃までの建築を指し、黎明期のヨーロッパ建築と言っても過言ではない。ゴシック建築やビザンティン建築と同じく、教会堂建築において最高の知識・技術・芸術が集約された。
中世のキリスト教会は、カロリング朝の時代を通じて組織化されており、政治的地位も固めていた。ロマネスク建築の発展において特に重要なのは、世俗の支援者たちが、その土地の宗教活動の拠点となる町に、必ず大きな教会堂を建設したことである。また、6世紀に構築された修道院は、組織形態を変えながらヨーロッパにも導入され、11世紀には、学問と文化の中核としての役割を担っていた。修道院の活動(11世紀のクリュニー修道院の設立や、12世紀のシトー会の設立)は、ロマネスク建築を様々な場所に伝達する上で、大きな影響を与えることになる。
初期ビザンティン建築と同様に、ロマネスク建築では、教会堂の形式としてバシリカが採用されたが、構造、つまり厚い石の壁で覆われた空間が好まれ、美学的にはモザイクで物質性を否定するような初期キリスト教のバシリカとの関係性はほとんどないと言える。また、当時の人々がどのように考えたにせよ、「ローマ風」の言葉が意味するほど、古代ローマの建築物と深いつながりがあるわけでもなかった。実際に、ロマネスク建築は、ゲルマン民族の侵入によってローマ文化が途絶えてしまった地域で盛んになったのであり、初期の段階では、先行する建築物や同時期の他文明からの影響はほとんど認められない。
また、ロマネスク建築に限った事象ではないが、地域的な差異はたいへん大きく、イベリア半島やイタリア半島南部では、イスラーム芸術が入り交じった独特の建築(シチリア王国の建築や、アンダルシアのムデハル様式)を形成した。
[編集] 歴史
ロマネスク建築の始まりをいつに設定するかについては、議論のわかれるところである。シャルルマーニュによって一時隆盛を誇った建築活動は彼の死とともに衰退し、10世紀中期の建築は、ほとんど初期キリスト教建築前の状態にまで後退しているので、それ以前以後では建築活動に断絶が認められうる。ロマネスク建築の始まりを960年頃とする場合、あるいは政治的区分に従って1000年頃とする場合、カロリンガ朝建築はロマネスクに含まれないことになるが、そのころにロマネスク建築の特徴となるものが見受けられるので、8世紀までをロマネスク建築に含めるとの見解もある。ここでは、8世紀から10世紀末までをプレ・ロマネスクとし、以降をロマネスク建築として記述する。
[編集] プレ・ロマネスク
西ヨーロッパの建築の歴史は、メロヴィング朝フランク王国の建築や8世紀以前のアングロ・サクソン建築についてはほとんど分かっていないので、実質的にプレ・ロマネスクから始まると言って良い。ただし、プレ・ロマネスク期に建てられたもので現在でもそのまま残存している建築物は「少ない」と言うより「ない」と言ったほうがよいほどで、その特色は主として発掘調査に基づく。
プレ・ロマネスクの主要な平面形態は単廊式教会堂と呼ばれるもので、側廊のない単一の廊下と初期キリスト教建築の基本形態のひとつであるケッラ(小礼拝堂)の組み合わせから成り立っている。この平面形式は、一見すると側廊を持ったバシリカ形式に見えるものもあるが、これは付属室が連続しているためで、バシリカの空間構成とは異なる。
また、カロリンガ朝建築の主要な特徴として、西構えの発明が挙げられる。ロマネスク建築からカロリンガ朝建築を外すことが難しいのは、まさにこの西構えという形態を創造したことにある。西構えとは、教会建築の西側、つまり入り口上部に建設された塔のような外観の突出部であり、実際これはその当時に塔と呼ばれ、次いで完全な塔となり、中世教会建築の最も重要な現象となった。ゴシック建築の入口にある双塔もここから発達したものである。
アーヘンの宮廷礼拝堂は、カロリンガ朝建築の最も有名かつ主要な建築である。平面形式の直接の源泉は、ラヴェンナにあるサン・ヴィターレ聖堂であるとの説が最も有力で、八角形平面と半円アーチのアーケードはラヴェンナのものとよく対応する。しかし、アーヘンの礼拝堂の内部は八角の高い筒状空間で、サン・ヴィターレのような曲線の柔らかさは感じられず、全体的に硬い印象を与えるので、着想がサン・ヴィターレ聖堂あるとする説は推測の域を出ない。カロリンガ朝の集中式建築ではほかにベネヴェントのサンタ・ソフィーア聖堂などがあるが、このアーヘンの礼拝堂ほど後の礼拝堂に単純明快な影響を与えた集中式建築はほかにない。
ロルシュの楼門は、ベネディクト会修道院の入り口に建設された、外観がほぼそのまま残る唯一の建築物である。3つのアーチをかけたローマの凱旋門風であるが、むしろ1階がピロティの2階建て住宅のような外観と言ったほうが分かりやすい。立面を分節して装飾する手法は初期の中世建築に一般に認められるが、ロルシュの楼門は、これがカロリング朝建築にすでに確立していたことを物語る。
カロリング朝の世俗建築としては、ほかにレオン王国のラミロ1世の宮殿広間がほぼ完全なかたちで残っている。2階建ての建築物で、1階2階ともにトンネル・ヴォールトを架け、粗野ではあるが、円柱、ロッジア、浮き彫りの円盤などで立面を分節装飾している。つまり、中世初期の装飾手法は、カロリング朝フランク王国の影響範囲内において広く行われていたのである。
[編集] 初期ロマネスク建築
955年のレヒの戦い以後、継続的な戦争状態から脱した中央ヨーロッパは、11世紀頃から建築活動期に入る。帝国の権威は象徴的な表現を頼るものだったので、視覚芸術によって具体化されることになるが、公的機関のなかに組み込まれた教会も聖堂の建設によってこれを推進することになった。
初期ロマネスクの概念は国際的であり、いずれの国でも共通した特徴が認められるので分類しやすいが、その統一性は徐々に形成されたようである。
ザクセン朝は1024年まで中央ヨーロッパを支配したが、その最初の時代の建築活動は完全に空白である。ザクセン朝の初期ロマネスク建築に認められる特徴、すなわち西構え形式やバシリカに認められる壁面分節は、すべてプレ・ロマネスクから発展したものであるが、初期ロマネスクにおいて、これはより多様なものとなった。
初期ロマネスク建築の西構えは、10世紀から11世紀までは比較的明確にその発展過程を辿ることが出来、ケルンにある第二ザンクト・パンターレオン聖堂やライヒェナウ・ミッテルツェウのザンクト・マリーア・ウント・ザンクト・マルクス聖堂、バート・ガンダースハイム大聖堂でその完成形をみることができる。そのなかで、双塔型西構えは11世紀末に形成され、当時のものとしては、カーンのサンティティエンヌ聖堂やルーアン近郊にあるジュミエージュのノートルダム聖堂(現在は廃墟)がある。この形式は12世紀に多く建設され、特に北フランスの盛期ロマネスクでは、標準的な形態となって定着した。 単塔型のものは、イタリアに顕著な特徴として、教会堂から独立して建設される傾向にあった。イタリアの場合は明快で、西構えそのものがほとんど採用されなかったので、独立した単塔を西正面に建設する形式が好まれた。これに対してイタリア以外の地域では、単塔は西構えとしても建設されるが、カルドーナのサン・ヴィセンテ・デル・カスティーリョ聖堂のように、時には西面ではなく東の内陣塔として建設される場合もあった。
ヨーロッパを広範囲に見ると、12世紀頃までは壁面を石造、天井と屋根を木造としていた。石造天井はすでに忘れられた技術であったが、堅固な建築物を建設する目的のために必要とされ、実際にその試みはすでに10世紀には行われていた。トンネル・ヴォールトを架けた最初の単廊式教会堂は特にカタルーニャ地方に多い。しかし、石造天井の技術的問題が本格的に解決され、運用されるのは盛期ロマネスク時代においてである。
[編集] 盛期ロマネスク建築
[編集] 末期ロマネスク建築
[編集] ゴシック建築との比較
ロマネスク | ゴシック | |
開口部 | 半円アーチ | 尖頭アーチ |
壁面 | 厚い壁面 | 大きな窓にステンドグラス |
様式 | 各国で独自性がある | フランスから各国に伝播 (一種の国際様式) |
[編集] 主要建造物
[編集] フランス
- ル・トロネ修道院(1160-1190年頃)
- クリュニー修道院第3教会(1088-1130年)
- 壮大な規模のロマネスク聖堂。現在は一部のみ残る
- サント・マリー・マドレーヌ教会(1120-60年頃)ヴェズレー
- サン・フィリベール教会(1066-1108年頃)トゥルニュ
[編集] イタリア
- サンフランチェスコ聖堂(アッシジ)
- ピサ大聖堂(1063年-)
- ピサの斜塔で有名
- サン・ミニアト・アル・モンテ教会(1018-62年、フィレンツェ)
- ルネサンスを予感させるプロト・ルネサンスの教会堂
[編集] ドイツ
- シュパイアー大聖堂(世界遺産)
- ドイツロマネスクの初期作例
[編集] 余談
- 19世紀以降の歴史主義建築の中で、回顧的にロマネスクの意匠が用いられることがある(ドイツではルントボーゲン様式などと称された)。日本でも日本基督教団 大阪教会(1922年竣工、大阪府大阪市、W・M・ヴォーリズ設計)や東京商科大学(現一橋大学、1927年竣工、東京都国立市、伊東忠太設計)、神戸商業大学校舎群(現神戸大学、1932年~1935年竣工、兵庫県神戸市灘区)等はロマネスク風に建設された。信仰や学問の場にふさわしいと考えられたものかもしれない。
- ロマネスクという言葉は伝奇小説的、空想的、という意味でも使われる。これは小説Romanから派生した言葉である。
[編集] 関連項目
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