中原誠
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中原誠(なかはら まこと、1947年9月2日 - )は、日本の将棋棋士で、十六世名人有資格者。棋士番号92。鳥取県生まれ、宮城県塩竈市出身。高柳敏夫名誉九段門下。
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[編集] 人物
- 24歳で大山康晴から名人位を奪取し、「棋界の若き太陽」と呼ばれた。以後、大山の後継者として将棋界に一時代を築き、米長邦雄らと数々の名勝負を繰り広げた。
- 温厚な人格者として知られており、元女流棋士の林葉直子との不倫騒動は、世間の注目を集め、ワイドショーや女性週刊誌のみならず日本経済新聞社(読者の多くを占める中高年男性が将棋ファン)までもが中原の釈明会見に駆けつけた。自邸での釈明会見は律儀にマスコミに配慮して朝と夕に2度開かれたことから「なにも釈明まで『自然流』でしなくても…」(産経新聞『産経抄』)といわれた。
- 1994年、当時の肩書きであった前名人を失う際、それまでの実績からして九段とは呼べないということで、特例で十六世名人を現役のうちから襲名させるかどうか話し合いが行われた。結果的に襲名は引退後となったが、代わりに永世十段を名乗ることで落ち着いた。
- 二上達也の後を受けて2003年より日本将棋連盟会長を一期務めたが、2005年会長職を米長邦雄に譲り、自らは副会長に就いた。
- 指導者としても名伯楽ぶりを発揮しており、小倉久史・佐藤秀司・高野秀行・熊坂学をプロ棋士に育てた。
- 田中角栄が自民党総裁に就任した際、「五五角」と扇子に揮毫して贈った事がある。
- 負けず嫌いで素人相手に指す時でも決して手加減をしないといわれている。
[編集] 棋風
- 「自然流」と呼ばれる格調高い指し回しが特徴で、全盛期は本格派の居飛車党であった。近年は振り飛車も軽快に指しこなす。
- 対振飛車において玉頭位取りなどが得意なように、自然に理想形を目指し、それを阻止にくる相手を的確に咎めて勝つ王道的な勝利が全盛期には多かった。年を取るにつれて自分から積極的に動く棋風へと変化していき、別境地を開いたともいえる。
- また、「桂使いの中原」「小太刀の名手」との異名を取るほど桂馬の使い方が巧みであり、中原の名局とされる将棋には必ずと言って良いほど桂使いの妙手が登場する。本人は、「大山康晴名人の堅い守りを崩すには、桂馬の意表をついた動きが有効だと感じたため」と言っている。
- プロ間で流行した横歩取り8五飛戦法は、元々中原が用いていた中原囲いでの空中戦法に工夫を加えたものである。中原も後に採用した。
- 元々は矢倉の名手であり、米長邦雄や加藤一二三などと死闘を繰り広げ、指した局がそのまま定跡になることも多かった。しかし第50期名人戦において新進の高橋道雄に本格矢倉で破れ続け、かろうじて後に看板となった中原流相掛かりで防衛を果たした。
この頃から棋風が変わり、前述の相掛かり、横歩取り中原囲い、短期間ながら名人戦にも採用した中原飛車、後手矢倉において中原流急戦矢倉、対振飛車における6五歩戦法などの独創的な戦法で勝率を保った。またその特徴として堅さよりも盤面全体の支配を目指していることがあり、独特の大局観に支えられている。また、細い攻めを繋ぐことにかけては超一流であったために、戦法自体がそれ前提としている事が多く、相掛かり中原流を除いて真似できる棋士が少なかった。近年は振飛車も愛用している。
[編集] 昇段履歴
- 1958年 6級
- 1961年 初段
- 1965年秋 四段
- 毎年順調に昇級・昇段を重ねていったが、将棋界に限らず日本のプロ競技で最も困難と言われる「三段から四段への壁」だけは四年間も足踏みし、人間的にも苦悩したと語っている。中原の生涯をプロ入り前まで語る場合、必ずといっていい程登場する逸話である。この話は漫画『実録シリーズ傑作選/若き王将』など、複数の書籍で読む事が出来る。
- 1967年4月1日 五段
- 1968年4月1日 六段
- 1969年4月1日 七段
- 1970年4月1日 八段
- 1973年11月3日 九段
[編集] 主な成績
(2005年09月20日現在)
- 竜王戦 - 1組(1組以上 - 12期)
- 順位戦 - フリークラス(A級以上 - 29期)
[編集] 獲得タイトル
- 名人 15期(第31期 - 39期・43 - 45期・48期 - 50期)
- 十段 11期(第9期 - 11期・13期 - 18期・21期 - 22期)
- 棋聖 16期(第12期 - 14期・17期 - 20期・31期 - 35期・41期・53期 - 55期)
- 王位 8期(第14期 - 19期・21期 - 22期)
- 王座 6期(31期 - 34期・36期 - 37期)
- 棋王 1期(第5期)
- 王将 7期(第22期 - 27期・34期)
登場回数 91回 獲得合計 64期
[編集] 永世称号
- 永世名人(十六世、引退後襲名)
- 永世十段(1994年に襲名)
- 永世棋聖
- 永世王位
- 名誉王座
[編集] 将棋大賞
- 第1回(1973年度) 勝率一位賞・連勝賞
- 第2回(1974年度) 最優秀棋士賞
- 第3回(1975年度) 最優秀棋士賞
- 第4回(1976年度) 最優秀棋士賞
- 第5回(1977年度) 最優秀棋士賞
- 第10回(1982年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
- 第23回(1995年度) 升田幸三賞
[編集] 記録(歴代1位のもの)
- 棋聖位在位 - 16期
- 年度最高勝率 - .855(47勝8敗)(1968年)
- 最年少永世称号 - 22歳(永世棋聖)
- 順位戦A級全勝 - 1971年(この年は休場者がいたため8戦。他に全勝は森内俊之(9戦全勝)のみ)
- 年度勝率7割超 - 10年連続
[編集] 著書
十六世名人であり、しかも日本将棋連盟会長であったこともあり、著書は大変多い。入門書も多く著述している。ここでは一例を挙げる。
- 中原誠の解いてごらんよ詰将棋
- 中原流急戦将棋
- 自然流 中原誠の振飛車破り
- 自然流中原誠の実践名勝負
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