順位戦
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順位戦(じゅんいせん)は、毎日新聞社主催の将棋の棋戦。A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組の5つのクラスからなり、A級の優勝者が名人戦の挑戦者となる。新規にプロ棋士になってから、名人戦の挑戦者となるまでには、最短でも5年かかる。
各クラスごとに、6月ごろから翌年の3月ごろまでリーグ戦を行い、その成績に応じて次期のクラスや順位が決まる。
順位戦の昇級により段位が上がる他、棋士が順位戦のどのクラスに属しているかによって対局料の算定基準が大きく変動し、棋士の収入に直結するため、棋士にとって最も重要な棋戦とされている。
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[編集] クラスと昇級・降級
[編集] 仕組み
A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組と、順位戦を指さないフリークラスから構成されている。
- 挑戦者決定戦(プレーオフ)を除くすべての対局において、振り駒を行わず、抽選の段階で先手・後手が決定している。
- 全対局を終えた後の成績が同点のときは、順位が上位のものを成績上位とする。ただし、A級の最上位(名人挑戦者)のみプレーオフを行う。3人以上の場合は、成績下位の者からパラマストーナメント(ステップラダー)を行う。
- 持ち時間は各6時間である。
- 同一クラス内の順位は前年度の成績によって以下の順で上位となり、この中で前年度の成績順に順位が定められる。
- 上位クラスからの降級者(A級は名人戦で敗れた棋士)
- 残留者のうち降級点を取らなかったもの
- 下位クラスからの昇級者(C級2組以外)
- 残留者のうち降級点を取ったもの
- (C級2組のみ)新進棋士奨励会三段リーグから昇段・フリークラスから復帰した棋士
各クラスの定員などは以下のように定められている。
クラス | 定員 | 対局数 | 昇級者 | 降級者 | 降級点 | 昇段規定 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
A級 | 10名 | 9戦(総当たり) | — | 2名 | — | 八段 | 成績最上位の棋士は名人に挑戦 |
B級1組 | 13名 | 12戦(総当たり) | 2名 | 2名 | — | 七段 | |
B級2組 | 不定 | 10戦 | 2名 | — | 2回で降級 | 六段 | |
C級1組 | 不定 | 10戦 | 2名 | — | 2回で降級 | 五段 | |
C級2組 | 不定 | 10戦 | 3名 | — | 3回で降級 | — | 降級するとフリークラスになる |
[編集] 降級と降級点
B級2組以下の成績下位の20パーセント(小数点以下の端数は切り捨てるので、参加者が46人のときは9人)に「降級点」がつけられる。降級点はB級2組とC級1組では2回、C級2組では3回取ると降級となる。
降級点を持った棋士が勝ち越すか、5勝5敗を2回あげると降級点を消すことができる。ただしC級2組の1個目の降級点は消えない。
[編集] 休場
病気などのやむをえない理由により、ある1年間の対局をすべて休場した場合、来期は降級せず(この場合のみクラスの定員を超過する)、順位は「張出」となり、最下位に扱われる。
A級とB級1組では2期連続で休場すると降級する。B級2組以下では2期連続の休場で降級点がつき、3期連続の休場で降級する(休場の時点で降級点がついていればそれも考慮される)。
[編集] フリークラス
順位戦のクラスに属さない棋士が編入されるクラスである。フリークラスの棋士は順位戦に参加することはできないが、順位戦以外の棋戦に参加することはできる。
[編集] フリークラスへの編入
フリークラスに編入される条件は以下のいずれかである。
- C級2組の棋士が降級点を3度取った場合。
- 奨励会の三段リーグで次点を2度取った場合。この場合、三段リーグに残留することもできる。
- プロ入りを希望するアマチュアおよび女流棋士がプロ編入試験を受け、四段の棋士5人に対し3勝以上をあげる。
プロ編入制度は2006年に定められた。2005年にフリークラスに編入された瀬川晶司は特例としての編入試験を行っている。
フリークラスに編入された棋士は、以下の条件のいずれかを満たすことでC級2組に復帰することができる。
- 年間(4月から翌年3月まで)に「参加棋戦数+8」勝以上、かつ勝率6割以上。
- 良いところ取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上。
- 年間対局数が「(参加棋戦数+1)×3」局以上。
- 全棋士参加棋戦で優勝、またはタイトル・朝日オープン挑戦。
過去にこの規定によりフリークラスからC級2組に復帰した棋士は伊藤博文と伊奈祐介のみ。伊藤はC級2組から降級後、2の条件で復帰している(その後フリークラス宣言により再転出)。伊奈は奨励会三段リーグでの次点2回によりフリークラスに編入し、その後2の規定を満たしてC級2組に編入した。
編入後10年以内、または満60歳の誕生日を迎えた年度が終了するまでに順位戦に復帰できなければ引退となる。
[編集] フリークラス宣言
翌期のB級1組以下の棋士は、順位戦終了後、年度末までにフリークラス宣言を行うことができる。
フリークラス宣言を行った棋士は順位戦に復帰することはできない。編入後、順位戦在籍可能最短年数に15年を加えた年数(例:C級1組で降級点1つ持っている棋士の場合、C級1組で1年、C級2組で3年在籍できるため19年となる)、または満65歳の誕生日を迎えた年度が終了すると引退となる。
ただし、順位戦在籍可能最短年数の期間内に65歳になる場合は順位戦在籍可能最短年数に達するまで現役を続けることができる(例:C級1組で降級点がない64歳の棋士がフリークラス宣言した場合は、69歳まで現役を続けることができる)。
[編集] 順位戦の歴史
- 1935年(昭和10年) - 東京日日新聞(現在の毎日新聞)の主催で、第1期名人戦の特別リーグ戦が開始される。
- 1946年(昭和21年) - 第1期順位戦が開始される。八段の棋士をA級、七、六段をB級、五、四段をC級とする3クラス制であった。
- 1948年(昭和23年) - C級を1組と2組に分割し、A級を10名、B級とC級1組を20名とする定員制をもうける。
- 1949年(昭和24年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞から朝日新聞に移る。
- 1951年(昭和26年) - B級を1組と2組に分割する。B級1組以下の定員を13名とする。
- 1961年(昭和36年) - B級2組以下で降級点制度を導入する。B2、C1は降級点2回、C2は3回で降級。
- 1962年(昭和37年) - B級2組以下の対局数を最大12局とする。A級、B級1組は総当たり。
- 1971年(昭和46年) - 順位戦の制度改革の議論が長引き、B級1組以下は11月からの開始となる。この年のB1以下は1人8局の対局となり、翌年からB1は総当たり、B2以下は10局の対局となる。
- 1976年(昭和51年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞に戻る。「順位戦」の名称がなくなり、A級を「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組以下を「昇降級リーグ(1組~4組)」と改称する。期数も名人戦にあわせられ、前年の順位戦が第30期であったが、今期が第36期となる。挑戦者決定リーグ(順位戦)の開始が遅れ、11月となったため、翌1977年の名人戦が実施されなかった。
- 1983年(昭和58年) - 昇降級リーグが組ごとに同日一斉対局となる。
- 1985年(昭和60年) - 「順位戦」の名称が復活。A級からC級2組の5クラスの体制に戻る。
- 1994年(平成6年) - 順位戦に参加しない、フリークラス制度が設けられる。C級2組から降級した棋士、奨励会三段リーグで次点を2回とった棋士、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士が所属する。
- 2006年(平成18年) - 前年の瀬川晶司のフリークラス編入を受け、アマチュア選手・女流棋士のフリークラス編入制度が正式化される。
- 2007年(平成19年) - 名人戦・順位戦の主催が朝日新聞・毎日新聞の共催となる。
[編集] 将棋界の一番長い日
毎年3月上旬頃に行われるA級の最終戦(全5局が一斉に行われる)は、名人への挑戦者と降級者2名を決定する重要な対局で、対局時間の長さから「将棋界の一番長い日」と称され、将棋界内外から大きな注目を集める。この日には東京(将棋会館)・大阪(関西将棋会館)・名古屋(大須演芸場)で大盤解説会が開催されるほか、NHKの衛星第2テレビにて中継で放映される。
しかしここ最近のテレビ中継に関しては、この時期に新年度予算案審議に伴う国会中継と重なってしまうため、当初の放送時間が大幅に変更されるケースが多い。
[編集] 2005年
- (当初は午前は10:00 - 11:00、午後は16:00 - 18:00に予定されていたが、国会中継のために午前は中止、午後は上記の通り16:57開始に変更された)
[編集] 2006年
- (当初は午前は9:40 - 11:00、午後は16:00 - 18:00に予定されていたが、国会中継のために午前は中止、代わりに上記の通り12:15 - 13:00に放送があり、午後は上記の通り17:12開始に変更された)
[編集] 2007年
- 放送時間 2006年3月2日 9:00 - 11:54、16:00 - 18:00、22:30 - 25:00
- 解説 加藤一二三、先崎学
- ゲスト 森内俊之、渡辺明
- 聞き手 千葉涼子、島井咲緒里
- 司会 比留間亮治
[編集] 外部リンク
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