亀有
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亀有(かめあり)は、東京都葛飾区北部にある地名。現在の住居表示には亀有一丁目から亀有五丁目までがあり、この地域の人口は22,813人(2004年10月1日現在)。
漫画・アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の舞台としてよく知られている。
地域は、もとは日立製作所や日本紙業(現 日本大昭和板紙)などの工場を擁する工業地域であったが、現在これらは撤退し、主にJR常磐線亀有駅を中心とした商店街と閑静な住宅街から形成されている。
また、亀有駅を中心とした生活エリア全体を隣接する足立区域も含め、亀有と呼ぶケースもある。
行政上の町名として隣接する西亀有は1965年の住居表示実施までは砂原町と呼ばれた地域である。
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[編集] 地理
中川の西岸に位置し、北は足立区に接している。隣接する行政上の町名をあげると北は足立区中川および東和、東は中川を挟んで新宿(にいじゅく)、南は青戸、南は白鳥(しらとり)、西は西亀有になる。南東の青戸との間を国道6号が通る。
地域北部にあるJR常磐線亀有駅を中心とした地域は、葛飾区内でも有数の商業地域であり、駅南口には約20年に及ぶ再開発事業の末、1996年に誕生したリリオ商店街があり、ここには核テナントとしてイトーヨーカドーが入店している他、多目的ホール「かめありリリオホール」や葛飾区亀有地区センター(亀有区民事務所、集会所等)などがある。
2006年に、日本板紙(現 日本大昭和板紙) 亀有工場跡地にショッピングセンター、「アリオ亀有」がオープンして以来、商業地域はますます活況を呈している。
なお、地名から「カメ」に因んだ物品・モニュメントも地域内に多く存在する。
[編集] 地名由来
この地域はかつて亀無・亀梨(かめなし)と呼ばれていたが、「無し」に通じて縁起が悪いとされ、江戸時代初期に現在の名に改められた(「梨」を「ありの実」と呼ぶのと同様)。その元となる「亀無」の名は、「亀」の甲羅の形を「成す」土地であったからということで付けられたと言われている。
[編集] 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の舞台
この地出身の漫画家、秋本治による漫画・アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の舞台として日本全国に知られるようになったが、実際には亀有駅北口に「亀有公園」は存在するものの、「亀有公園前派出所」という名の派出所(現在は「交番」が正式名称)は無い。ただし公園よりほど近い「亀有駅北口交番」は公園前派出所のモデルになったということから、記念撮影をする人の姿が見られることもある[1]。また、この交番自体は1997年に合理化のため廃止される予定であったのが、地元の請願で残ったと言う逸話も残っている(亀有駅も参照)。
2006年2月11日、亀有駅北口前に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公、両津勘吉の銅像が立った。北口側に建設されたのは、もちろんモデルとなった派出所が北口に存在するためだが、南口方面に「アリオ亀有」ができるなど開発差の憂慮からとも言われる。但し、南側にも同様の銅像が2006年11月18日に設置された。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路・橋梁
- 東京都道318号環状七号線(環七通り)
- 東京都道467号千住新宿線
- カメアリゆうろーど
- 亀有花の木通り
- つくし通り
- 亀有さくら通り
- 中川橋(中川に架かる橋)
[編集] 施設
行政
- 亀有区民事務所(亀有3-26)
警察署
- 亀有警察署(新宿4-22)
教育
- 区立道上小学校(亀有四丁目)
- 区立中之台小学校(亀有五丁目)
- 区立亀有中学校(亀有四丁目)
- 東京都立葛飾野高等学校(亀有一丁目)
文化
- 亀有図書館(亀有一丁目)
- かめありリリオホール(亀有3-26)
商業・企業
- リリオ商店街(亀有3-20~26)
- アリオ亀有(亀有三丁目)
- イトーヨーカドー亀有店(亀有三丁目)
- 目白第三病院(亀有二丁目)
- 亀有病院(亀有三丁目)
- 東部地域病院(亀有五丁目)
- 赤十字血液センター(亀有五丁目)
- 中央興医会(亀有五丁目)
宗教
- 亀有教会(亀有二丁目)
[編集] 史跡
- 香念寺(亀有二丁目)
- 祥雲寺(亀有二丁目)
- 慈眼寺(亀有二丁目)
- 恵明寺(亀有三丁目)
- 光明寺(亀有三丁目)
- 香取神社(亀有三丁目)
- 見性寺(亀有五丁目)
[編集] 歴史
江戸時代は水戸街道の一里塚が置かれるなど交通の要衝ではあったが、大部分は明治になってもひなびた農村であった。明治に入り、地域は南葛飾郡亀有村となるが、1889年の町村制施行に伴う再編でその大部分は青戸村と合併し亀青村の一部となった。1919年に日本紙器製造(現在の日本大昭和板紙)亀有工場が、1938年には日立製作所亀有工場が作られるなど、大正時代以降工業地域として発展した。1932年に亀青村が東京市に編入され、地域は新たに成立した葛飾区の一部となった。 第二次世界大戦では被害が比較的少なかったため、戦後都心部から人口が流入し、急速に住宅地化が進んだ。 2006年3月3日、日本板紙(現 日本大昭和板紙) 亀有工場跡地にショッピングセンター、「アリオ亀有」がオープンした。