京急500形電車
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500形電車(500がたでんしゃ)は、1951年(昭和26年)に営業を開始した京浜急行電鉄の車両。登場当初は優等列車に使用されていた。
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[編集] 登場当時の状況
- 2扉セミクロスシート車。扉付近のみロングシート。
- 前面は当時流行の湘南型2枚窓非貫通であったが、ガラスの中央に桟が入っていて、異色のスタイルであった。
- 車体の色は赤と黄色で、茶色の車両が多かった当時は大きな注目を集めた。
- デハ500形のみによる2両固定編成を組み、MM(全電動車)方式であった。
- 足回りは従来の吊りかけ式で、台車も通常のMCB台車を履いていた。
- 京急で初めて貫通幌を採用し、車両間の行き来が可能となった。ただし、500形入線当初、北品川-八ッ山橋間にあった急カーブでは通行禁止とされていた。(1956年6月に行われた線路移転工事により急カーブは解消し、通行禁止も解除された。)
[編集] 増車
- ハイキング特急の需要が高まったため、1952年にMM編成を分割し、新たに運転台つきの制御車クハ550形を組み込んだ。この車両は前面の形状が最初に作られたM車と異なり正面窓の桟が無く、将来の電装も考えてパンタグラフを設置する台座が取付けてあった。また前年の桜木町事故の影響からか暖房器が無かった。この改造により車両総数は2両編成10本の20両となった。
- 増備はこれで終了したが、この後も連結器改造、車内灯の蛍光灯化(戦後製にかかわらず朝鮮戦争が続いていた時節柄か、灯火管制設備が装備されていた)、クハ550形への暖房器設置、デハ500形の正面窓改造、現在の京急カラーへの変更が行われた。
[編集] 4両編成化
1964年から2両を2本まとめて4両編成化する工事が行われた。主な内容は、以下の通り。
- MT編成を2本まとめて中間にはさまれたクハ550形の運転台を撤去し、サハ550形に改造した上でMTTMの4両編成とした。これにより編成数は4両編成5本20両と変わった。
- パンタグラフ、制御装置、主電動機を150kWの高速化対応のものに交換。
- 台車に改造を行い、形式がMCBからMCB-Rに変わった。
- 側窓を木製サッシからアルミ製無塗装のサッシに交換。
- 内装を600形(旧)に準じて交換した。しかし、クロスシート部の肘掛は取り付けられなかった。
- サービス向上のため扇風機を天井に設置。
- 客用扉をステンレス製に交換。
[編集] 格下げ
1968年から格下げによるロングシート化が行われた。これにより4扉ロングシートとなっている。主な内容は、以下の通り。改造後、閑散時は急行・普通に、ラッシュ時は特急などに使用された。
- 台枠から上の車体を700形に準じた4ドア・ロングシートの車体に載せ換えた。
- 前面は2枚窓、非貫通のままであったが、窓寸法の変更と方向幕の設置が行われている。
- 屋上も700形に準じて交換、通風器やIR無線アンテナの設置が行われた。
- 車体長は台枠の制約から、700形と異なり先頭車と中間車の車体長が等しく、車端窓柱と客扉幅(先頭車1000mm・中間車1100mm)を変えることで寸法の調整をしている。設計者の努力の跡がしのばれる。
- 足回りは台車が長年の高速走行などで老朽化していたためMCB-Rからデハ500形は新造のTS-806に、サハ550形はOK-8にそれぞれ交換した。ただ、モーターの交換は行われておらず、吊り掛け式のままであった。第1編成の507編成は台車の交換は行われなかったが、後年ほかの編成と同様にTS-806に交換されている。この改造により、新造時の面影はほとんどなくなってしまった。
- なお、旧車体から捻出したクロスシートは京急バスの待合室座席に、アルミサッシは600形の更新用に活用された。
[編集] その後
- 1978年に本線と共通の運用ながら大師線の運用にも入る。しかし、3両化が行われるため、1年3ヶ月という短い期間で撤退した。
- 1979年から加速性能向上のためMTTM編成からサハ550形(偶数車)を抜き取り、2M1T編成とする3両化工事が行われた。抜き取られたサハ550形はほかの3両より早く1980年3月31日付で廃車となった。余談だが廃車となったサハ550形は塗料の耐久試験に用いられ、当時の800形(現在の2100形等)と同じ塗り分けで久里浜工場敷地内に置かれていた。
- 1982年から車体修理を行い、屋根布の張替えや外板修理が行われた。
- 1983年からサハ550形の台車をOK台車からM車と同じTS-806に交換した。同時に制動方式をATME-RからMREに交換。
[編集] 廃車
- 吊り掛け式・非冷房車であったため、800形の増備にともない、1985年空港線に転出するも、翌1986年8月28日夜の運用を最後に運用を離脱。同31日付で廃車となり、売却やリースされることもなく全車が解体された。なお、同車は京急の営業用車輌としては最後の吊り掛け式車輌であった。
[編集] その他
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