加藤伸一
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加藤 伸一(かとう しんいち、1965年7月19日 - )は、鳥取県出身のプロ野球選手(投手)。現野球解説者。いわゆる昭和40年生まれの選手で構成された「40年会」一員。(同会の会員は古田敦也、長嶋一茂、山本昌、佐々木誠、八木裕、水野雄仁、吉井理人、池山隆寛、香田勲男、紀藤真琴ら)
渡り歩いた球団が南海(ダイエー)→広島→オリックス→近鉄と4球団と多く(4球団もの球団が全て西日本の球団とはプロ野球選手で他に類を見ない)、途中解雇があったりと波乱の野球人生ではあったが、広く世間に名の知れた超一流の選手では決してないが、弱小球団の中でエースとは違った意味での投手の柱になる事が多く、存在感をきっちりと表した。現在鳥取県出身者最後のプロ野球選手。
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[編集] 来歴・人物
倉吉北高1年次から速球派投手として期待される。練習試合ではあるが、鳥取西高戦でノーヒットノーランも記録している。最上級生に進級した際は、チームの不祥事で対外試合禁止処分となってしまった。結局、加藤の公式戦登板は2年夏の1試合(3-8鳥取城北)のみだったが、この試合での登板がスカウトたちの目にとまることになる。1983年ドラフト1位で南海ホークスに入団する。鳥取県の高校生として史上初のドラフト1位指名でもあった。シュートを武器に先発投手として活躍した。当時はチームの成績はどん底であったが、主力投手として活躍。しかしその後は長らく低迷期が続き、解雇。
1996年に広島東洋カープに移籍しカムバック賞を獲得するなど再び活躍を見せるが、1998年にチームの若返り策や高額年俸が原因として自由契約となる。
1999年にオリックスブルーウェーブに移籍。自由契約の身ではあったが、前年より契約条件が良いという前代未聞の契約であった。2001年に先発の一角として11勝を上げる。2002年にはFA宣言により大阪近鉄バファローズに移籍し、2004年に引退した。プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに参加している。2005年からはRKB毎日放送・日刊スポーツで解説者を務める。また出身地の鳥取キタロウズの監督を務める。(キタロウとは漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作家、水木しげるの出身地が鳥取県の為、主人公の名に因む。また県内の境港市には「水木しげるロード」という数々のオブジェが並ぶ観光地がある)
類稀な彫りの深い所謂ハンサム顔であり、南海ホークスが福岡に移転し福岡ダイエーホークスが誕生した際に(1989年3月)博多駅の井筒屋の壁面に、成長株の同僚である(同い年同期入団)佐々木誠と共に「福岡の、新しい顔です」というコピーと共に二人の新球団の真新しいユニフォームに身をつつんだ全身写真の垂幕が飾られ、九州の玄関口の博多駅前の通行人に絶大なインパクトを与えていた。
[編集] 略歴
- 身長・体重:181cm 81kg
- 投打:右投右打
- 出身地:鳥取県倉吉市
- 血液型:A型
- 球歴・入団経緯:倉吉北高 - 南海・ダイエー(1984年~1995年)- 広島(1996年~1998年)- オリックス(1999年~2001年)- 近鉄(2002年~2004年) - RKB野球解説
- プロ入り年度・ドラフト順位:1983年(1位)
- FA取得・行使:2002年(1回目・行使移籍)
- 英語表記:KATOH
- 背番号:17(1984年~1995年、2002年~2004年) - 12(1996年~1998年) - 1(1999年~2001年)
- 守備位置:投手
[編集] 経歴・タイトル
[編集] 年度別成績(一軍)
年度 | チーム | 試合数 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 奪三振 | 防御率 |
1984年 | 南 海 | 33 | 5 | 4 | 4 | 46 | 2.76 |
1985年 | 南 海 | 34 | 9 | 11 | 1 | 79 | 4.09 |
1986年 | 南 海 | 22 | 3 | 10 | 2 | 52 | 4.68 |
1987年 | 南 海 | 14 | 4 | 5 | 0 | 31 | 3.23 |
1988年 | 南 海 | 27 | 8 | 10 | 3 | 53 | 4.54 |
1989年 | ダイエー | 26 | 12 | 8 | 1 | 68 | 3.67 |
1990年 | ダイエー | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
1991年 | ダイエー | 14 | 2 | 7 | 0 | 24 | 6.03 |
1992年 | ダイエー | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
1993年 | ダイエー | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
1994年 | ダイエー | 17 | 3 | 5 | 0 | 32 | 4.82 |
1995年 | ダイエー | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
1996年 | 広 島 | 25 | 9 | 7 | 0 | 55 | 3.78 |
1997年 | 広 島 | 17 | 1 | 5 | 0 | 18 | 7.48 |
1998年 | 広 島 | 22 | 8 | 6 | 0 | 62 | 2.99 |
1999年 | オリックス | 19 | 6 | 5 | 1 | 44 | 3.47 |
2000年 | オリックス | 24 | 3 | 6 | 0 | 42 | 4.98 |
2001年 | オリックス | 27 | 11 | 7 | 0 | 92 | 3.69 |
2002年 | 近 鉄 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 9.82 |
2003年 | 近 鉄 | 16 | 6 | 6 | 0 | 23 | 4.28 |
2004年 | 近 鉄 | 11 | 2 | 3 | 0 | 18 | 7.04 |
通 算 | 350 | 92 | 106 | 12 | 743 | 4.21 |