北大阪急行電鉄2000形電車
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北大阪急行電鉄2000形電車(きたおおさかきゅうこうでんてつ2000がたでんしゃ)は、かつて北大阪急行電鉄(北急)に在籍していた通勤形電車である。
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[編集] 概要
開業前の1969年(昭和44年)に8両編成×5本(01~05編成)、予備の4両×1本(06編成)[1]の44両が、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会(大阪万博)閉幕後大阪市交通局に譲渡することを前提として製造された7000・旧8000形[2]とともに製造された。そして1971年(昭和46年)に8両編成×1本(07編成)が新造された。
[編集] 仕様
車体はステンレス鋼製で、相互乗り入れ先の大阪市営地下鉄御堂筋線の30系に類似していたが、構体は全く異なる。また当時の30系と違う点として、座席がFRP製のレザー張りではなく、モケット張りであり、客用側扉の窓ガラスも30系より大きかった[3]。また30系のステンレス車と比較すると、全体的にやや丸みを帯びたような感じである。後に、前面と側面にマルーンの帯が入れられた。
制御・ブレーキシステムは30系と共通の抵抗制御・発電ブレーキ併用電気指令式ブレーキである。
[編集] 8000形登場と御堂筋線中百舌鳥延伸に伴う編成の組み換え
1986年(昭和61年)にVVVFインバータ制御で冷房装置を搭載した8000形(ポールスター)が製造されると廃車が開始され、またその過程で、御堂筋線我孫子(案内上は「あびこ」と表記)~中百舌鳥(案内上は「なかもず」と表記)間開業に伴い9両編成にすることになり、9両編成×5本(01~04および07)に組み替えられた。それに伴い05編成の4両と06編成の3両が廃車された。
[編集] 運行終了
1993年(平成5年)には8000形07編成が落成し、同年10月1日から自社線内でもカセットテープによる車内自動放送[4]が開始されることにより、全車が廃車された。最後に運用されたのは同年10月2日であり、02編成が充当された。車内自動放送装置は設置コストが掛かるため最後まで設置されず、当形式の運用時は自社線・御堂筋線とも車掌による肉声放送を行っていた。
最終期は、既に自社線と御堂筋線も冷房化率100%を達成しており、夏場は自社線と御堂筋線の車両を全車冷房車で運行するために運用されることはなく、主に冬から春先の朝・夕ラッシュ時や8000形の検査時代走として運用された。
[編集] 保存車
2007年(平成19年)現在、02編成の千里中央側先頭車の2002号車が、開業当初から使用された技術遺産として、桃山台車庫の新御堂筋に面した線路に留置され静態保存されている。フェンス越しに見えており、普段は外からも新御堂筋の北行からも見ることが出来る。
2005年(平成17年)には、開業35周年と大阪万博開催から35年とあって、「万国博」表記の入った方向幕を表示し、多くの鉄道ファンと往年の大阪万博ファン、それに熟年層等を沸かせた。
[編集] 脚注
- ^ 北急の車両検査は、当時4両単位で行われ長期間にわたっていた。06編成は8両編成のうち、検査をしていない他の4両と連結して運用された。
- ^ 大阪万博閉幕後に予定通り大阪市交通局30系電車に編入された。
- ^ 御堂筋線以外に配置された30系には一部側扉の窓ガラスが大きい車両が存在しており、谷町線に現存する30系は全車大型の側扉窓ガラスである。
- ^ その後ICレコーダーシステムに変更された。
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