北近畿タンゴ鉄道宮福線
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宮福線(みやふくせん)は、京都府福知山市の福知山駅から京都府宮津市の宮津駅に至る北近畿タンゴ鉄道の鉄道路線である。北近畿ビッグXネットワークの一角(「X」の右斜め上が宮福線)になっている。
福知山~宮津間を短絡し、京都・大阪方面から日本三景の天橋立を始めとする丹後半島への観光アクセス路線となっている。福知山~大江間は由良川に沿って進み、大江~宮津間は全長3,215mの普甲トンネルを始めとするトンネルの連続で山を越える。
宮福線は全線が電化されているが、北近畿タンゴ鉄道は電車を所有していないことから、普通列車(快速含む)は、下り3本と上り2本を除き気動車で運行されている。
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 運行形態
京都駅・新大阪駅方面から特急列車が宮福線を経由して宮津線に直通運転されている。運行列車と使用車両は以下の通り。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 北近畿タンゴ鉄道
- 特急「タンゴエクスプローラー」(新大阪~豊岡)KTR001形気動車(西舞鶴運転区所属)
普通列車は、基本的に線内のみの運行で、MF100・200形気動車(福知山運転支区所属)が使用されているが、一部に宮津線に直通する列車も設定されていており、その場合はKTR700・800形気動車(西舞鶴運転区所属)も使用されている。
[編集] 使用車両
特急列車は運行形態を参照。
- いずれも福知山運転支区所属。KTR700・800形気動車(西舞鶴運転区所属)と連結して運転することもある。
[編集] 歴史
福知山と宮津を結ぶ鉄道計画は古くからあり、北丹鉄道が福知山~河守間を1923年(大正12年)に開業させていた。しかし河守駅以北の建設は資金難から断念され、日本鉄道建設公団が宮守線として計画を引き継いだ。北丹鉄道は経営悪化により1971年(昭和46年)に休止、1974年に廃止となったため、福知山~河守(大江)間も鉄道建設公団が建設することになり宮福線として工事が続けられたが、1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行により工事は中断された。その後、第三セクターの宮福鉄道(現在の北近畿タンゴ鉄道)が1982年(昭和57年)に設立され、1983年(昭和58年)に工事再開、1988年(昭和63年)7月に宮福線として開業し悲願が達成された。これにより、京都・大阪から宮津・天橋立へ向かう直通ルートが出来たことで北近畿の鉄道事情が大きく改善された(従来は、たとえば京都→天橋立の移動は、綾部駅と東舞鶴駅で二度のスイッチバックを伴うことなり、時間的・心理的な遠さが存在した)。
- 1988年(昭和63年)7月16日 福知山~宮津間が開業。
- 1993年(平成5年)4月16日 宮津~天橋立間鉄道電化・高速化事業の基本計画及び鉄道施設変更認可申請する。
- 1993年(平成5年)5月13日 福知山~宮津間鉄道電化・高速化事業 事業基本計画変更が認可される。
- 1993年(平成5年)5月14日 福知山~宮津間鉄道電化・高速化事業 鉄道施設変更が認可される。
- 1993年(平成5年)6月10日 福知山~宮津間鉄道電化・高速化事業 工事実地計画の指示、及び鉄道整備基金事業が認定される。
- 1993年(平成5年)7月21日 福知山~宮津間鉄道電化・高速化事業 起工式を行う。
- 1996年(平成8年)3月16日 福知山~宮津間が電化。
[編集] 駅一覧・接続路線
- ●:停車、▲一部のみ停車、|:通過
- 普通列車は省略:各駅に停車。
駅名 | 営業キロ | 快速 | 特急 | 接続路線 | 所在地 | |
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宮福線 | ||||||
福知山駅 | 0.0 | ● | ● | 西日本旅客鉄道:山陰本線・福知山線 | 京都府 | 福知山市 |
厚中問屋駅 | 1.5 | | | | | |||
荒河かしの木台駅 | 2.9 | ▲ | | | |||
牧駅 | 5.1 | | | | | |||
下天津駅 | 7.6 | | | | | |||
公庄駅 | 10.0 | | | | | |||
大江駅 | 12.5 | ● | ● | |||
大江高校前駅 | 13.4 | ▲ | | | |||
二俣駅 | 15.4 | | | | | |||
大江山口内宮駅 | 17.6 | | | | | |||
辛皮駅 | 21.3 | | | | | 宮津市 | ||
喜多駅 | 27.3 | | | | | |||
宮村駅 | 28.9 | | | | | |||
宮津駅 | 30.4 | ● | ● | 北近畿タンゴ鉄道:宮津線 | ||
宮津線 | ||||||
天橋立駅 | 34.8 | ● | ● | 京都府宮津市 |