国連軍
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国連軍(こくれんぐん)とは、本来は国連安全保障理事会(安保理)の決議によって組織され、国連の指揮に服する軍隊を指す。しかし過去にこの正規の国連軍が組織されたことがないため、一般に「国連軍」と呼んだ場合は、安保理決議に基づいて各国が各々の指揮の下に派遣する平和維持軍や停戦監視団を指すことが多い。
国連憲章第42条で、安全保障理事会(安保理)は国際の平和と安全を維持または回復するために必要な行動をとることができると規定されている。国連憲章第43条に従ってあらかじめ安保理と協定を結んだ国連加盟国が安保理の要請によって提供することになっている。2004年現在、この協定を結んでいる国はないため、国連憲章に基づく正規の国連軍が組織されたことは一度もない。
日本は、朝鮮戦争の発生を受けて、1954年に米・英・仏など10ヶ国と「国連軍地位協定」を結んだ(現在は8ヶ国)。この協定に基いて、キャンプ座間に「国連軍後方司令部」が設置され、日本駐在武官の兼務を含めて38人の国連軍将校が詰め、定期的に会合を開いている。在日米軍基地のうち、キャンプ座間・横田飛行場・横須賀海軍施設・佐世保海軍施設・嘉手納飛行場・普天間飛行場・ホワイト・ビーチ地区の7ヶ所が国連軍基地に指定されている。現在も、必要に応じて、国連軍参加各国が、国連軍基地を使用している。横田飛行場や嘉手納飛行場で、時々フランス軍機などアメリカ軍以外の外国軍機が見られるのは、このためである。この協定によると、国連軍後方司令部は朝鮮半島から国連軍が撤退するまで有効である。
[編集] 国連による派兵の歴史
以下の派兵は安保理の勧告や決議に基づくものであるが、国連憲章に規定されている正規の国連軍ではなく、各国が自発的に組織した多国籍軍である。
- 1950年 在韓国連軍
- 1956年 国連緊急軍(UNEF) -総会決議998 1000 1001
- スエズ危機を受けて安保理が招集されたが常任理事国の拒否権によって機能しないため、緊急特別総会が開かれた。緊急特別総会は国連緊急軍の派遣を決定し、カナダなど11カ国による多国籍軍が派遣された。1967年に任務を終了した。(安保理決議ではなく総会決議によって平和維持軍が派遣された唯一の例である)
- 1960年: コンゴ国連軍(ONUC) -安保理決議143 145
- コンゴ動乱を受けて安保理はコンゴに対する軍事的援助の実施を決議し、アルゼンチン、スウェーデン、エチオピア、インドなど34カ国によるコンゴ国連軍を派遣した。しかしながら、対する反政府ゲリラはCIAに強力に支援されており、所謂列強国で編成されたのではない国連軍の困難さを露呈する形で1964年に任務を終了した。
- 1964年: キプロス国連平和維持軍(UNFICYP) -安保理決議186 349
- キプロス内戦に介入するため国連キプロス平和維持軍を派遣した。2003年現在も駐留を続けている。
- 1965年: インド・パキスタン国連監視団(UNIPOM) -安保理決議211
- 1973年: 第二次国連緊急軍 (UNEF2) -安保理決議340
- 第4次中東戦争の停戦を維持・監視するため第二次国連緊急軍を派遣した。1979年に任務を終了した。また、1974年には国連兵力引き離し監視軍が創設され、2003年現在もイスラエルとシリアの兵力の引き離しと兵力制限の査察を続けている。
- 1978年: 国連レバノン暫定軍(UNIFIL) -安保理決議425 426
- レバノン事件を受けて安保理は国連レバノン暫定軍を創設した。2003年現在も任務を続けている。
- 1992年: 第一次国連ソマリア活動(UNOSOM) -安保理決議751
- 1993年: 第二次国連ソマリア活動(UNOSOM II) -安保理決議814
- 2003年: 国連コートジボワールミッション(MINUCI) -安保理決議1528
[編集] 関連項目
- 多国籍軍
- NATO軍
- 平和維持活動(PKO)、平和維持軍(PKF)
- 停戦監視団
[編集] 参考文献
- 芦辺信善 『憲法』[第三版]2002年