土佐礼子
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土佐 礼子(とさ れいこ、1976年6月11日 - )(本名・村井礼子)は、日本を代表する陸上競技選手。専門は長距離(マラソン)。愛媛県松山市(旧北条市)出身。三井住友海上火災保険(旧・三井海上火災保険)所属。女子10000m日本記録保持者の渋井陽子、松江レディースハーフマラソン連覇の大平美樹、2005年世界クロスカントリー選手権代表の鈴木悠里・2006年世界クロスカントリー選手権代表の橋本歩らが所属(引退した選手では坂下奈穂美、市河麻由美、大山美樹らも所属していた)。傷害長期保険部に勤務。北条市立小学校→北条市立南中学校→愛媛県立松山商業高等学校→松山大学人文学部英語英米文学科卒業。類まれな人格者として知られる。2004年、アテネオリンピック女子マラソンの代表に選出され、5位入賞を成し遂げた。(現姓は村井だが、陸連登録名は現在も旧姓の土佐礼子である。)
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[編集] 経歴
- 松山商業入学後に名将竹本英利監督に出会い、陸上競技に取り組む(大平美樹も同じ松山商の後輩)
- 1993年 愛媛県高校総体3000mで優勝
- 1994年 全国高校選手権5000mに出場。45位に入る
- 1995年 全国都道府県対抗女子駅伝6区に出場し、区間39位
- 1996年 日本インカレ5000m・10000mに出場。5000mは27位、10000mは周回遅れで中止に終わった
- 1997年 中四国インカレ5000m3位
- 初マラソンは松山大学在学中の1998年2月に行われた、土佐の地元の愛媛マラソンだった。記録は平凡ながらもいきなり初優勝を果たしている。
- 大学卒業後、竹本監督のコネで、竹本監督の順天堂大学時代の先輩・鈴木秀夫が監督を務める三井海上(当時)へ入社。
- 1999年、札幌ハーフマラソンで6位に入り、世界ハーフマラソン選手権日本代表に選出される。世界ハーフマラソン選手権でも快走をみせ、1時間9分36秒で見事に6位入賞を果たす。
- 2000年3月の名古屋国際女子マラソン大会では、優勝した高橋尚子に次いで2位に入り、2時間24分台の好記録をマーク、マラソンで頭角を現し始めた。同2000年11月の東京国際女子マラソンでも2位に入り、エドモントン世界陸上選手権女子マラソン代表に内定した。
- 2001年世界陸上エドモントン大会では、優勝したリディア・シモンと終盤デッドヒートを演じ、わずか5秒及ばなかったが2位でゴール、銀メダルを獲得した(渋井陽子は4位入賞、ゴール後土佐は渋井と抱き合い嬉し涙を流した)。
- 2002年4月のロンドンマラソンでは4位ながらも2時間22分台をマーク、自己最高記録を更新した(優勝は当時初マラソン世界最高記録をマークした地元イギリスのポーラ・ラドクリフ)。
- その後は足の故障続きで走れない日々が続いたが、アテネ五輪最終選考レースの2004年3月の名古屋国際女子マラソンで、約2年ぶりにフルマラソンに出走した。練習不足と体調が万全で無い中、レースは序盤から土佐が積極的に集団を引っ張った。後半の30Km過ぎ、大島めぐみ(旧姓.田中)が土佐を引き離し独走体勢に。誰もが大島めぐみの勝利を疑わなかったが、その後失速。終盤37Km付近で大島を追い上げた土佐が執念の逆転、奇跡の優勝を果たした。
- 土佐のあまりにも劇的な勝利に、野口みずき(内定済み)・坂本直子・高橋尚子で決まりかけていた女子マラソン代表選考は紛糾。日本陸連はさすがに土佐礼子を外す訳にはいかず、結局選考レースで優勝出来ずタイムも悪かった前回シドニーオリンピック金メダリストの高橋を、アテネ五輪代表から落選させる苦渋の決断を下した(補欠代表は千葉真子)。そのためか心無いファンからは、日本陸連や土佐が所属する三井住友海上に、又坂本の所属する天満屋等にも嫌がらせの電話やメール等が殺到したという。
- それから5か月後の2004年8月、アテネ五輪女子マラソン本番での土佐は、優勝した野口みずきの中盤でのスパートにはついていけなかったが、その後も安定した走りで見事5位でゴールした(坂本直子も7位入賞)。
- 2004年12月15日にタヒチで、松山大学の先輩の村井啓一(1973年11月20日~。元NTT西日本大阪陸上部所属、松山大学職員)と結婚する。結婚後も競技を続け、2005年5月の静岡国際陸上で10000mに出場、32分07秒66という自己新記録をマークした。
- 2006年4月、アテネ五輪以来1年8か月ぶりのフルマラソンとなるボストンマラソンに出走。終始持ち前の粘りを発揮し、優勝したケニアのリタ・ジェプトゥーらに続く3位入賞を果たしたが、優勝にはあと一歩及ばなかった。
- 同年11月、東京国際女子マラソンへ6年ぶりにエントリー。ディフェンディングチャンピオンで過去2度のオリンピックで代表を争った高橋尚子と、2000年3月の名古屋以来6年8か月ぶりの直接対決となった。強く冷たい風雨という悪天候の中を、土佐は終始レースを支配する展開で高橋に競り勝ち、2年8か月ぶりにフルマラソン優勝を果たす。翌2007年9月開催の、世界陸上大阪大会女子マラソン代表の内定条件である、2時間26分を切る記録でゴール出来なかったが、優勝した事が大きく評価されて、土佐は6年ぶりの世界陸上女子マラソン代表に選出された。
- 自己最高記録こそ同僚の渋井には負けるが、渋井が体調により記録の変動が大きいのに対して、土佐のマラソン順位は常に5位以内でゴールし、初マラソンとアテネ五輪を除けば2時間26分台以内の記録で走っており、安定感では土佐の方が渋井よりも上回っている。
[編集] 記録(マラソンのみ)
1998年2月22日 | 愛媛マラソン | 2時間54分47秒 優勝(初マラソン) |
2000年3月12日 | 名古屋国際女子マラソン | 2時間24分36秒 2位 |
2000年11月19日 | 東京国際女子マラソン | 2時間24分47秒 2位 |
2001年8月12日 | エドモントン世界陸上女子マラソン | 2時間26分06秒 2位(銀メダル獲得) |
2002年4月14日 | ロンドンマラソン | 2時間22分46秒 4位(自己最高記録) |
2004年3月14日 | 名古屋国際女子マラソン | 2時間23分57秒 優勝 |
2004年8月22日 | アテネ五輪女子マラソン | 2時間28分44秒 5位入賞 |
2006年4月17日 | ボストンマラソン | 2時間24分11秒 3位 |
2006年11月19日 | 東京国際女子マラソン | 2時間26分15秒 優勝 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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