塚口駅 (JR西日本)
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塚口駅(つかぐちえき)は兵庫県尼崎市東塚口町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線(JR宝塚線)の駅。
JRの塚口駅周辺の道路が広くなり、JR東西線の開通などにより利用者が以前より増えている。
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[編集] 駅構造
島式と単式複合型2面3線の橋上駅。2面4線にする計画があったが実現していない。単式ホームの屋根は島式にも対応できるものになっている。構内には数本の留置線がある。 自動改札機はJスルーカード・ICOCA・JR東日本のSuica対応。
朝は数本の列車が、伊丹からの快速列車を通過待ちする。
朝ラッシュ時には尼崎駅での折り返しが満杯となるため、当駅で折り返す電車も存在する。また、東西線経由の快速に大幅なダイヤの乱れが生じたときは当駅で折り返し以北の運転を打ち切ることがある。
また、駅前に森永製菓塚口工場がある為か、ホームに降り立つと甘い香りが漂ってくる。
- のりば
- ■ 伊丹・宝塚・三田方面
- ■ 尼崎・大阪・北新地方面(当駅折返し)/伊丹・宝塚・三田方面(ごく一部)
- ■ 尼崎・大阪・北新地方面
[編集] 利用状況
2003年度の1日あたりの乗車人員は平均7,960人。
[編集] 駅周辺
- 阪急電鉄にも同じ駅名の塚口駅があるが、直線距離で800m程離れている。余談だが、阪急は「塚口」だが、JR西日本は「塚口」である。(宝塚駅も同様)
- 兵庫県立尼崎青少年創造劇場(ピッコロシアター)
- 森永製菓塚口工場
- 三菱電機伊丹製作所
- 近松公園(尼崎市ゆかりの近松門左衛門を記念した公園。記念館もある)
- 尼崎南塚口郵便局
- 尼崎市立上坂部小学校
[編集] バス
- 3番標柱
- 4番標柱
- 12・21・21-2番 阪急塚口 行
[編集] 歴史
かつて、この駅からは尼崎港線と呼ばれていた尼崎港駅までの支線が分岐していた。元はこれが本線である。このため尼崎港方面が直線となっており(現在でも路盤の跡が残っている)、また本線も上下線は別々の線路であった。現在の本線は駅の南で急カーブを描いている。2005年4月25日に発生した脱線事故はそのカーブで発生した。事故現場のマンションは、上り線跡と下り線(現在の本線)に挟まる位置にある。
また、1950~1960年に東海道本線東京~大阪間で運転されていた特急「つばめ」「はと」が大阪駅で折り返す際、展望車があったため編成ごと方向転換する必要があった。このため、当駅まで一旦回送した上で機関車を編成後端に付け替えたのち、宮原操車場へ入り方向転換を行っていた。このことから、尼崎駅から当駅までの電化は比較的早く行われている(ただし、乗り入れたのは回送列車であり、乗客には電化は関係なかった)。
かつては当駅でも貨物取扱があり、駅周辺の森永製菓 塚口工場や三菱電機 伊丹製作所への専用線があり、貨物輸送を行っていた。
- 1894年(明治27年)3月6日 摂津鉄道の駅として開業。旅客・貨物取扱開始。
- 1896年(明治29年)6月8日 神崎(現在の尼崎)~塚口間が開業。尼ヶ崎(のちの尼崎港)方面は支線に。
- 1897年(明治30年)2月16日 阪鶴鉄道が摂津鉄道を買収、同社の駅となる。
- 1907年(明治40年)8月1日 阪鶴鉄道が国有化され、国鉄の駅となる。
- 1981年(昭和56年)4月1日 尼崎港線の旅客営業が廃止される。
- 1984年(昭和59年)2月1日 貨物取扱廃止。尼崎港線が廃止される。
- 1987年(昭和61年)4月1日 国鉄分割民営化によりJR西日本の駅に。
- 2005年(平成17年)4月25日 JR福知山線脱線事故の影響で営業休止となる。
- 2005年(平成17年)6月19日 福知山線復旧、脱線事故後55日ぶりに営業開始。
阪神・淡路大震災の際には、発生翌日から東海道線の尼崎以西の一部復旧までの数日間、大阪方面からの電車がここで折り返すという、ターミナル駅としての役割があった。