大泊町
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大泊町(おおとまり)は、日本の領有下において樺太に存在した町である。
江戸時代から明治初頭にかけては久春古丹と呼ばれており、中心地は後の楠渓町一帯であった。日本領領有期の当初においては樺太庁が置かれ、樺太の中心都市であった。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を、現状に関してはサハリン州及びコルサコフの項目を見よ。
目次 |
[編集] 地理
樺太の南部亜庭湾沿いにあり、亜庭湾のほぼ中央部奥に位置する。 台地・神楽岡を囲むように広がる市街地北部に楠渓町がある。
[編集] 歴史
- 1679年、松前藩の穴陣屋が久春古丹(大泊町楠渓)に設けられ、日本の漁場としての開拓が始まる。
- 1806年、ロシア海軍士官らが久春古丹を焼き討ちにする。
- 1853年、ロシア軍が久春古丹を襲撃する。
- 1870年2月13日、樺太開拓使が開拓使から分離して、久春古丹に開設される。
- 1905年(明治38年) - コルサコフに樺太民政署が置かれる。
- 1907年(明治40年) - コルサコフに樺太庁が置かれる。
- 1908年(明治41年) - コルサコフより大泊に名称変更。
- 1915年(大正4年) - 樺太町村編制により、大泊町誕生。
- 1923年(大正12年) - 稚泊航路(稚内港駅〜大泊港駅)開設。(稚泊連絡船)
- 1929年(昭和4年) - 樺太町村制により、一級町村となる。
- 1942年(昭和17年) - 大泊支庁が、豊原支庁に統合、以後豊原支庁が管轄する。
- 1943年(昭和18年) - 樺太が内地に編入。
- 1945年(昭和20年) - 8月25日ソ連軍が占領。
- 1949年(昭和24年) - 6月1日、国家行政組織法の施行によって消滅。
[編集] 地域
- 北海道拓殖銀行大泊支店
[編集] 出身の有名人
[編集] 関連項目
カテゴリ: 樺太の市町村 (廃止) | 豊原支庁 | 大泊町