豊原支庁
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支庁所在地は豊原市(当初はウラジミロフカ)である。
[編集] 沿革
1907年(明治40年)3月に樺太民政署が樺太庁へと改組された後、その支庁として同年4月に設置された。設置当初はウラジミロフカ支庁という呼称であったが、ウラジミロフカが豊原と改称された事に伴い、1908年(明治41年)4月から豊原支庁と改称された。
設置当初は樺太島南部の東海岸を管轄区域としており、ガルキノウラスコエ(落合)とシスカ(敷香)に出張所を置いた。このうち、北部を管轄するシスカ出張所が1908年4月に昇格して敷香支庁として分離した。1909年(明治42年)10月、栄浜に出張所を新設し、落合出張所は大谷に移転した。1913年(大正2年)6月に敷香支庁の元泊出張所管内を当支庁に移管した。1915年(大正4年)6月の郡町村編制により当支庁管内は豊原郡・栄浜郡・元泊郡に分けられたが、1922年(大正11年)10月の支庁再編により元泊出張所管内(元泊郡)が敷香支庁管内南部(新問郡)と統合して元泊支庁として分離した。
1937年(昭和12年)7月1日、豊原郡豊原町に樺太市制が施行されて豊原市となり支庁の管轄から離れたため、支庁の名称も豊栄支庁と変更された。また、これに伴い豊原郡と栄浜郡が合併して豊栄郡となった。しかし、樺太庁が内務省の管轄下に編入された1942年(昭和17年)11月の支庁再編で大泊支庁と統合され、再び豊原支庁という呼称に戻った。また、長浜郡と富内郡とが大泊郡に統合されて、当支庁管内は豊栄郡・大泊郡・留多加郡の3郡となった。
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