サハリン州
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サハリン州(Сахалинская область, Sakhalinskaja oblast')は、ロシア連邦の連邦構成主体のひとつ。サハリン島(樺太島)とクリル諸島(千島列島)を管轄し、極東連邦管区に属する。州都はユジノサハリンスク。面積は87,100km²、人口は546,695人(2002年)。
宗谷海峡、オホーツク海を挟んで日本の北海道に接しており、日本との経済的な結びつきが強い。主な付属島嶼にモネロン島(日本名は海馬島)があり、1983年9月1日に発生した大韓航空機撃墜事件のあった舞台としても有名である。サハリン島の南部(南樺太)およびクリル諸島(千島列島)全域は、第二次世界大戦以前は日本領であった地域であり、日ソ中立条約を破棄してソビエト連邦が侵攻した。現在でもロシア連邦が実効支配している。そのうち、南クリル(南千島、「北方領土」)については、日本政府は日本固有の領土であるとして返還を強く求めており領有権を巡って係争となっている。その他日本が領有権を放棄した地域については日本政府は「ソ連・ロシアが条約に調印しておらず国際法上は所属未定」との立場を取っている。なお、日本政府による積極的な返還要求が南千島のみであるのに対し、日本共産党は樺太・千島交換条約によって合法的に日本の領土とされていた歴史的経緯を根拠に、北千島を含む全千島列島の返還を主張すべきという立場を取っている。
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[編集] 州を構成する島々
[編集] サハリン(樺太)
- サハリン島・・・日本名は樺太島。宗谷海峡(ロシア語:Пролив Лаперуза)で隔てられた、北海道の宗谷岬と、樺太(サハリン)の西能登呂岬(クリリオン岬)の間は、わずか約42kmである。ロシア語の海峡名は、1787年にここを通過したフランスの探検家ラ・ペルーズの名に由来する。
- カーメニアパースナスチ島・・・日本名は二丈岩。
- モネロン島・・・日本名は海馬島。
- チュレーニー島・・・日本名は海豹島。
[編集] 小千島列島 (Малая Курильская гряда) (歯舞諸島、色丹島)
- シコタン島 (Остров Шикотан) ・・・日本名は色丹島。人口3222人(2004年1月1日現在、ロシア統計より)。
- ハボマイ諸島 (Острова Хабомай) ・・・日本名は歯舞諸島。いずれの島も現在は一般人の定住のない無人島であるが、志発島に夏のみ少数のロシア漁民が移住する。また主な各島にはロシア沿岸警備隊が配置されている。
- パローンスキー島 (Остров Полонского) ・・・日本名は多楽島。現在は無人島で、ロシア沿岸警備隊が常駐。
- ゼリョーヌイ島 (Остров Зелёный) ・・・日本名は志発島。ロシア沿岸警備隊が常駐。無人島であるが、夏になると昆布を採りにくる漁民が季節移住し、季節営業の食堂もあり活況を呈する。
- ユーリ島・・・日本名は勇留島。
- アヌーチナ島・・・日本名は秋勇留島。
- タンフィーリエフ島・・・日本名は水晶島。納沙布岬から珸瑤瑁(ごようまい)水道(ロシア名:ソビエト海Пролив Советский)を隔ててわずか7kmの距離。ロシア沿岸警備隊が常駐している。
- シグナーリヌイ島(Остров Сигнальный=灯台島の意)・・・日本名は貝殻島。珸瑤瑁(ごようまい)水道(ロシア名:ソビエツキー海峡Пролив Советский)のほぼ中間地点。1957年に、当時ソ連KGBの一機関であったソ連国境警備隊が実力で占拠した。そのとき、日本は日米安全保障条約により米国によって防衛されることになっていたが、米軍は一切出動しなかった。この島の灯台は長らく点灯していなかったが、近年ロシア当局により修理された。しかしその後も点灯と消灯を繰り返している。この島と納沙布岬との中間にロシア側の主張する「国境線」があり、それを示すブイが設置されている。
[編集] 大千島列島(国後島から占守島まで)
- クナシル島・・・日本名は国後島。北海道とは根室海峡(ロシア名:クナシルスキー海峡)で隔てられている。根室海峡の最狭部は野付水道(ロシア名:イズメナ海峡 Пролив Измены)と呼ぶ。ロシアでは、アイヌ語でクナシルと言い、ロシア人も国際標記もこれに従っている (Остров Кунашир) としている。主な山に爺爺岳(同:チャチャ山 Вулкан Тятя)がある。人口6,622人(2004年1月1日現在、ロシア統計より)。
- イトゥループ島 (Остров Итуруп) ・・・日本名は択捉島。国後水道(ロシア名:エカチェリーナ海峡 Пролив Екатерины)を隔てて国後島の北東に並列する。ロシアでは、アイヌ語でイトゥループと言い、ロシア人も国際標記もアイヌ語に従っている(ロシア語:Остров Итуруп)と言われている。島の南部や北部は自然保護区域として地元のロシア人でさえも立入を制限されている。
- ウループ島 (Остров Уруп) ・・・日本名は得撫島。択捉水道(ロシア名:フリーズ海峡 Пролив Фуриза)を隔てて択捉島と相対する。
- ブラット・チェルポエフ島・・・日本名は知理保以南島
- チェルポイ島・・・日本名は知理保以島
- ブロウトナ島 (Остров Броутона) ・・・日本名は武魯頓島
- シムシル島・・・日本名は新知島
- ケトイ島・・・日本名は計吐夷島
- ウシシル島・・・日本名は宇志知島
- スレドネワ島 (Остров Среднего) ・・・日本名は摺手岩(スレドネヴォ島、スリェドニェヴァ島ともいう)。「スレドネヴァ」海峡(日本名は摺手海峡)の中間にある。
- ラスシュア島 (Остров Расшуа) 又はラスシュヤ島 (Остров Расшя) ・・・日本名は羅処和島。幌茶登山(ロシア名:ラスシュア山 Вулкан Расшуа)がある。
- マトゥア島・・・日本名は松輪島
- ライコケ島・・・日本名は雷公計島。北東方約9海里には、間に牟知列岩(ロシア名:ロヴシュキ列岩 Скалы Ловушки)を挟んでシアシュコタン島がある。
- シアシュコタン島(Остров Шиашкотан)・・・日本名は捨子古丹島。黒岳(ロシア名:シナルカ山 Вулкан Синарка)がある。
- チリンコタン島・・・日本名は知林古丹島
- エカルマ島・・・日本名は越渇磨島。越渇磨海峡(ロシア名:エカルマ海峡 Пролив Экарма)を挟む南東方、約5海里にシアシュコタン島がある。黒岳(ロシア名:シナルカ山 Вулкан Синарка)が座している。
- ハリムコタン島(Остров Харимкотан)・・・日本名は春牟古丹島。捨子古丹島の北東方、捨子古丹海峡(ロシア名セヴェルギナ海峡 Пролив Севергина)を挟んだおよそ16浬にある。春牟古丹岳(ロシア名:セヴェルギナ山 Вулкан Севергина)が座していて、有史以来度々爆発、噴火をみている。
- オネコタン島・・・日本名は温禰古丹島
- マカンルシ島(Остров Маканруши)・・・日本名は磨勘留島。西方、約11浬にアボスと呼ばれる三角形の裸岩がある。ロシア名アヴォシ岩(скала Авось)。
- アンツィフェロヴァ島(Остров Анциферова)・・・日本名は志林規島。幌筵島南西端の西方、志林規海峡(ロシア名:ルジナ海峡 Пролив Лужина)の沖8浬半に位置する。
- パラムシル島(Остров Парамушир)・・・日本名は幌筵島。南の温禰古丹島とはオンネコタン海峡(ロシア名:第4クリル海峡 (Четвертый Курильский Пролив) )によって隔てられている。千倉岳(ロシア名:チクラチキ山 Вулкан Чикурачки)の標高1,817mをはじめ、後鏃岳(同:フッサ山 Вулкан Фусса)、白煙山(同:カルピンスキー山 Вулкан Карпинского)、千島硫黄山(同:エベコ山 Вулкан Эбеко)など、千メートル級の山々が座している。
- アトラソヴァ島・・・日本名は阿頼度島。親子場山(ロシア名アライト山 Вулкан Алаид)が聳える。なお、旧ソ連、及びロシアでの呼び名は、18世紀の探検家、ヴラジーミル・ヴァシーリヴィチ・アトラソフの名にちなむ。
- シュムシュ島(Остров Шумшу)・・・日本名は占守島。北のカムチャツカ半島とは千島海峡(ロシア名:第1クリル海峡 (Первый Курильский Пролив) )で、南の幌筵島とはパラムシル海峡(ロシア名:第2クリル海峡 (Второй Курильский Пролив) )で隔てられている。
[編集] 主な山
[編集] サハリン島(樺太)
[編集] 主な都市・町村
[編集] サハリン島(樺太)
- ユジノサハリンスク・・・旧豊原市とユジノサハリンスク市との間には制度上の連続性はなく、区域も一致していない。豊原の範囲は、ロシア連邦の行政区域ではユジノサハリンスク市の一部及びアニワ地区の一部に相当する。
- ドリンスク・・・日本名は落合。2004年現在の人口は16,000人である。ユジノサハリンスクとは鉄道及び自動車で約1時間の距離にある。ソコル(日本名は大谷)の飛行場はソ連時代になっても使用されており、1983年の大韓航空機撃墜事件ではこの場所からソ連軍機が飛び立ったことが知られている。
- コルサコフ・・・日本名は大泊。帝政ロシアはこの地をコルサコフと呼び、この名称は現在のロシア連邦にも引き継がれている。
- オジョルスキー村・・・日本名は長浜。
- チェプラノオ村・・・日本名は瑞穂。
- ネベリスク・・・日本名は本斗。ネベリスク市及びネベリスク地区と呼ばれている。2004年度の人口は24,000人である。市の南東には大韓航空機撃墜事件の犠牲者を悼む「祈りの碑」がある。
- ホルムスク (Холмск) ・・・ホルムスクとは「丘の町」の意。真岡とホルムスク市との間に制度上の連続性はなく、区域も一致していない。2002年現在、ホルムスク市の人口は35,141人である。現在、市の中心部に戦前の建物はほとんど現存していない。日本領有下において建設された真岡駅舎が残っていたが、老朽化のため1992年に取り壊された。この際、日本領有時代の鉄道資料が多数発見され、その大部分は東海旅客鉄道(JR東海)に寄贈された。
- チェーホフ・・・日本名は野田。チェーホフとは、かつて樺太を訪れたロシアの文豪チェーホフに由来するが、実際にチェーホフがこの地を訪れたというわけではない。
- トマリ (Томари) ・・・日本名は泊居。北海道天塩郡天塩町と姉妹都市となっている。
- ウグレゴルスク (Углегорск) ・・・日本名は恵須取。ウグレゴルスクとは「炭鉱の町」という意味である。人口は18,500人である。タタール海峡(間宮海峡)に注ぐウグレゴルカ川(恵須取川)河口に位置する。戦前の建造物はソビエト連邦時代に改築が進み、ほとんど残っていない。現在も残存している物には、旧王子製紙工場や旧恵須取小学校の奉安殿や旧恵須取神社の鳥居や標柱等がある。以前NHKラジオ第2放送の気象通報では敷香(ポロナイスク)から入電がないときは恵須取からの気象情報を放送していたが「ウグレゴルスク」ではなく「エストル」としていた。近郊(塔路)に日本軍によって建設されたウグレゴルスク空港がある。
- ポロナイスク (Поронайск) ・・・市名はポロナイ川(幌内川)河口に位置することに由来する。NHKラジオ第2放送の気象通報でも以前は「敷香」として、現在は「ポロナイスク」としておなじみの地名である。テルペニヤ湾(多来加湾)に面しており、街の東の原野にネフスコエ湖 (Озеро Невское) (多来加湖)がある。2004年現在、市の人口は25,000人である。なお、行政区画としての敷香とポロナイスク市との間に連続性はなく、その範囲も一致してはいない。友好都市は北海道北見市。
- レオニードヴォ・・・日本名は上敷香。
- オハ
- アレクサンドロフスク・サハリンスキー
[編集] 色丹島(サハリン州南クリル管区)
- マロークリリスク (Малокурильск=「小千島の町」の意)とクラバザヴォーツク (Крабозаводск=「カニ工場の町」の意)・・・日本名は斜古丹と穴澗。シコタン島 (Остров Шикотан)(日本名 色丹島)の2大集落。中心地はマロークリリスク。「小千島」とは、根室半島に連なる歯舞諸島と色丹島の列島を、ロシア側は「小千島列島」 (Малая Курильская гряда) と呼んでいることに由来する。穴澗には日本の拿捕漁船乗組員の収容所がある。1945年8月、ソビエト連邦によって占領され、連邦崩壊後は、それを継承したロシア連邦が占領・実効支配している。面積255.12平方km。人口3,195人(2005年現在)。
[編集] 国後島(サハリン州南クリル管区)
- ゴロヴニノ(Головнино)・・・日本名は泊。ロシア連邦による占領・実効支配が続いている。人口は350人(1992年)。ゴロヴニノとは「ゴロヴニンの町」という意味である。ゴロヴニンとは、日本では一般には「ゴローニン」として知られている人物である。詳細はゴローニン事件を参照されたい。
- ユージノクリリスク (Южно-Курильск=「南千島の町」の意)・・・戦後ソ連によって新たな中心都市が、ソ連軍侵攻前の漁村であった古釜布(ふるかまっぷ)を望むほぼ無人であった高台に建設された(人口6,300人(1992年)。ソ連邦崩壊後はロシア連邦が占領・実効支配している。現在は中心地の古釜布を除き廃村状態。
国後島が見える街 対岸に位置する標津町、羅臼町からは国後島(泊村を間近に見ることができる。ただし、国後島の北岸側には居住エリアはほとんど無く、対岸に人家らしい影はほとんど見ることができない。夜間に時折、自動車のヘッドライトを見ることができる程度である。
[編集] 択捉島(サハリン州クリル管区)
- ブレヴェズニック(Буревестник)・・・日本名は天寧。6,500人(1992年)が住むのみで、かつての中心地である留別(ロシア名クイビシェフ Куйбышев)やドブロエ(Доброе)日本名・内保等、他の集落は廃村状態。島唯一の軍民併用空港である天寧空港(ブレヴェズニック空港)があり、サハリンのユジノサハリンスク空港との間に便がある。週三~四便の定期便は、有視界飛行が前提のため欠航が多い。このため、隣接する紗那村のクリリスク郊外に新飛行場が建設されており、完成時には廃港されるとの観測もある。
- クリリスク (Курильск=「千島の町」の意)・・・日本名は紗那、人口2,700人(1992年)。なお、中心地・紗那から北東約14kmにレイドヴォ(Рейдово)日本名・別飛があり、産業の中心地である。人口は1,700人(1992年)。隣接する留別村、蘂取村には道路が通じているが、いずれも舗装はされておらず砂利道である。留別村に向かう道路は、島唯一の空港に向かう道路でもあり、ある程度の整備はされているが、蘂取村に至る道路は寒村(ロシアが設定した自然保護区域)ということもあり、GoogleMapsでようやく観察できる程度の整備状況である。クリリスク近郊に、2003年頃から1,500m級の飛行場が建設されていると伝えられる。全天候型の空港であるとされ、島の住民の悩みであるユジノサハリンスクへの定期便の欠航率が劇的に低下するものと考えられている。
- スラブノエ (Слабное)・・・日本名は蘂取村。現在は村域のほとんどがロシア当局によって自然保護区に指定されており、地元のロシア人さえも立入を制限された地域である。嘗て紗那からオホーツク海側に沿っての道路があったが今では人工衛星上からも微かに見えるだけで、通行も困難となり、ヘリコプター以外で行く事は困難な、寂しい廃村となっている。
[編集] 幌筵島(サハリン州北クリル管区)
- セベロクリリスク(Северо-Курильск)=セヴェロクリリスク「北千島の町」の意)・・・日本名は柏原。人口約5000人。この島を実効支配しているロシア連邦サハリン州北クリル地区の中心地であり、北千島で唯一民間人が定住している島である。また、セベロクリリスクはNHKラジオ第2放送の「気象通報」を聞いている人にはおなじみの地名でもある。現在、セベロクリリスクに渡るにはカムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーから空路でシュムシュ島に渡り、そこで艀やヘリコプターに乗り換えるか、またはサハリンのコルサコフ港からの船便で行くことになる。
[編集] 占守島(サハリン州北クリル管区)
- バイコーヴァ (Байково)・・・日本名は片岡。現在、この集落があるのみで、民間人の人口は100人以下であり、しかも定住人口ではないという。
[編集] 交通
[編集] 鉄道の概要
戦前、南樺太には日本の建設した鉄道があったが、終戦直前に、ソビエト連邦が侵攻を開始して1945年(昭和20年)8月末には樺太全土が占領され、鉄道も接収された。その後、社会主義国特有の情報封鎖主義によって同地の鉄道については詳しい情報が分からない状況が続くが、ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカ・グラスノスチ政策が進んだため、1989年(平成元年)頃から外国人もサハリン州に入ることが出来るようになった。その結果、北サハリンへも路線が延伸されていたことなどが分かったのである。
その後、ソ連崩壊によって経済が混乱すると、鉄道の設備維持も難しくなって休線ないしは廃線となる路線も現れた。昨今では、車両は大陸で使用される物に狭軌の台車を履かせたものが主流となっているが、輸送力・安定性が低い上に線路の老朽化も進んでいることから、レールを徐々に大陸で使用されている1524mmの広軌のものへ改める工事が進んでいる。なお、一時期は日本のキハ58系気動車などといった車両も無償譲渡されたが、整備不良などから数年-十数年で全て廃車となった。
現在では、主に以下のような路線が存在する。
- ロシア国鉄線
- コルサコフ - ユジノサハリンスク - ドリンスク - ブズモーリエ - アルセンチェフカ - ポロナイスク - スミルヌイフ - ポペジノ - ティモフスク - ノグリキ(ポペジノ以南は、旧樺太東線)
- ユジノサハリンスク - ノボジェレーベンスカヤ、ニコライチウク - ホルムスク(旧豊真線、中間区間は休線)
- ネベリスク - ホルムスク - チェーホフ - トマリ - イリインスク - アルセンチェフカ(ネベリスク - イリインスク間は旧樺太西線)
- 戦前の未成線である真久線は1975年にソ連によって開通した。なお現在のロシア国鉄では真久線は白浦駅が基点となっている。
- 三菱石炭油化工業会社線は戦後ソ連の国鉄に編入され、内幌炭山駅(シャフタ駅)は西部縦貫線の始発駅となっている。
- その他貨物支線など
- サハリン海石油ガス貨物線
- ノグリキ - オハ
なお、コルサコフ-ユジノサハリンスク間やネベリスク-チェーホフ間は旅客営業が休止されていると言われる。優等列車としては、ユジノサハリンスク-ノグリキ間を1晩で結ぶ急行「サハリン号」などがある。
- 駅名対応
- 樺太東線
- 豊原駅・・・ロシア名ユジノサハリンスク駅
- 小沼駅・・・ロシア名ノヴォアレクサンドロフカ駅
- 豊真線
- 西久保駅・・・ロシア名ダーリネー駅
- 奥鈴谷駅・・・ロシア名ノヴォデレヴェンスカヤ駅
- 瀧ノ沢駅・・・ロシア名ペレヴァル-サハリンスキー駅
- 中野駅・・・ロシア名オジダーエヴォ駅
- 清水駅・・・ロシア名チストヴォドノエ駅
- 逢坂駅・・・ロシア名ピャチレーチエ駅
- 二股駅・・・ロシア名チャプラノヴォ駅
- 宝台駅・・・ロシア名カムイシェヴォ-サハリンスコエ駅
- 池ノ端駅・・・ロシア名ニコライチュク駅
- 手井駅・・・ロシア名ポリャーコヴォ駅
- 樺太西線
- 真岡駅・・・ロシア名ホルムスク駅
- 北真岡駅・・・ロシア名ホルムスク-セヴェルヌイ駅
- 樺太東線
[編集] 道路
サハリンでは鉄道が主な交通手段となっていることもあり、舗装率は約12%とかなり低い。幹線道路では未舗装区間が多く存在し、都市部でも路面状態の悪い箇所が見られる。
- 択捉島・・・2006年に新バージョンとなったGoogle Earthは択捉島の写真の半分以上が高解像度画像化され、その解析によればクリリスクからスラブノエまでは相当の悪路と思われ、途中の川には橋もなく、自動車で川を渡らなければならないような箇所もあり、走行する自動車も認められる。また、スラブノエには漁業施設と思われる建物も数軒認められる。
[編集] 船舶
[編集] 北海道からサハリン(樺太)
1995年5月から、北海道・稚内港とサハリン・コルサコフ港との間に、「平成版稚泊航路」が運行されるようになった。当初はロシア船を利用して定期フェリーが就航したが、1997年、1998年は、旅行会社のチャーター船による運航となった。1999年から日本船籍のアインス宗谷号が就航している(冬季を除き週2便の運行)。
[編集] 北海道本土から択捉島
ソ連軍侵攻後は、北海道本土から択捉島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本土から島に直接渡る場合は、「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、クリリスク(紗那)に入港する。「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると、国際航路を通行する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げ、また、クリリスクに到着後は、ロシアの税関当局による入域審査を受ける。なお、このチャーター船の利用は、旧島民、その子孫、ならびに返還団体から推薦された者等に限定され、一般の日本人は自由に利用することができない。
[編集] サハリン(樺太)から択捉島
コルサコフ(大泊)港からは、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号が週2便出発している。この船は、月曜日にコルサコフを出帆、火曜日に択捉島、水曜日に色丹島ならびに国後島に寄港、木曜日にコルサコフ帰着、金曜日にコルサコフ発、土曜日に国後島と色丹島、日曜日に択捉島に寄港、月曜日にコルサコフに戻るというスケジュールで、3月~12月まで運航される。
[編集] 北海道本土から国後島
ソ連軍侵攻後は、北海道本土から国後島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本土から島に直接渡る場合は、「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、古釜布(ユジノクリリスク)に入港する。「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると、国際航路を通行する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げ、また、古釜布に到着後は、ロシアの税関当局による入域審査を受ける。なお、このチャーター船の利用には、前述の制限があり、自由に利用することができないため、南サハリン経由で渡ることとなる。
[編集] 航空機
[編集] サハリン(樺太)から択捉島
現在の択捉島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運行されている。ユジノサハリンスク(豊原)空港からはサハリン航空が週4便(月、水、木、金、いずれも午前発)、択捉島留別村のブレヴェストニク空港(旧天寧空港)まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季には欠航となる確率が相当に高い。また、この空港は、戦前の日本の海軍飛行場を改装したロシア軍基地と共用になっており、中心都市のクリリスクから砂利道を自動車で片道2時間半かかる不便な場所にある。
[編集] サハリン(樺太)から国後島
現在の国後島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運行されている。ユジノサハリンスク(豊原)ホムトヴォ空港(大沢飛行場)からはサハリン航空が週4便(月、木、土、日、いずれも午後発)、国後島メンデレーフ空港まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季は欠航になりやすい。
[編集] 北方四島への渡航
一般の日本人・外国人が北方四島を訪問するには、ロシアのビザを取得の上でまずサハリンに渡り、ユジノサハリンスクにて北方四島への入境許可証を取得後、サハリンから空路または海路でアクセスすることになる。この方法は、北方領土においてロシアの主権に服する行為であるとして内閣が1989年以来自粛を要請しているが、この自粛要請に法的強制力は無い。
[編集] ビザなし交流
近年、樺太に住んでいた元住民およびその親類や政府関係者、一般関係者などの日本人によるサハリンへのビザなし訪問を実現する運動があり、認められるようになった。
[編集] 歴史
サハリン州の置かれているサハリン島およびクリル諸島は19世紀以来、日本の江戸幕府とロシア帝国の間で領有をめぐって衝突があったが、1875年の樺太・千島交換条約でサハリン島の全域及び付属する島々がロシアの領有と認められて国境が画定した。ロシアはウラジオストクを州都とする沿海州(現在の沿海地方)にサハリン島を編入した。
日露戦争末期の1905年7月、日本軍がサハリン島に進駐、戦争を終結させたポーツマス条約でロシアは北緯50度線以南のサハリン(南樺太)を日本に割譲した。50度線以北(北樺太)はロシア領に依然として残されたが、ロシア革命直後の混乱期にはシベリア出兵の一環だとして日本軍による占領を受けたこともあった。革命の結果ロシア帝国にかわって発足したソビエト連邦(ソ連)は当初サハリンの開発に消極的で、日本との関係改善のためにサハリンの自国領(北樺太)の石油開発権を日本に譲ったほどであった。また、レーニンは樺太領有をロマノフ朝の帝国主義による領土奪取だとして、日本への北樺太の返還を考えていたともいうが、実行には移されなかった。
第二次世界大戦中は日ソ中立条約により戦闘地域にはならなかったが、大戦終結直前の1945年8月9日にソ連が条約を破棄して日本に宣戦布告、侵攻し、南樺太と千島列島の全域を占領した。ソ連は翌1946年に併合を一方的に宣言し南サハリン州を設置、1947年これらの地域をサハリン州に編入した。
- 1945年9月17日、ソビエト連邦により南サハリン・クリル列島住民管理局設置。
- 1946年2月2日、ソビエト連邦、南樺太及び千島列島の領有を宣言する。南サハリン州設置。
- 1947年1月2日、サハリン州設置。南サハリン州はサハリン州へ編入される。
ソ連はサハリン全域を自国のものとするにあたり、日本の南樺太統治の中心であった豊原とその周辺を併せユジノサハリンスク市と改称し、これを州都としてサハリン州を成立させた。その後、全域にロシア人の入植が進み、現在ではかつての日本人の居住地も完全にロシア化されている。
ソ連崩壊に伴う冷戦の終結を契機として日本とサハリンの間の交流は活発化し、稚内港からは国際フェリーが、札幌及び函館からは航空機が運行されるようになっている。多くのロシア漁船が稚内港や根室港に入港し、海産物を水揚げするようになったのもロシア連邦成立以降に顕著になったことである。サハリン州との交流の活発化により、稚内市内や根室市内にはロシア語の標識や表記が増えている。また、サハリンにおける油田、ガス田開発(サハリンプロジェクト)の進展により、石油メジャー、日本の大手商社が開発に参加。2004年、採掘された最初の石油が日本に輸出された。日本とサハリン州の関係はさらに緊密になるものと考えられるが、今なお解決されていない領土問題が暗い影を落しているのも不幸な事実である。
一方、千島列島の択捉島について、ソ連崩壊後に続いたロシアの経済不振と1994年に発生した北海道東方沖地震の影響から、人口は減少傾向にあった。
だが、ソ連崩壊後、ユダヤ系ロシア人のアレクサンドル・ベルホフスキーが創業した水産加工のギドロストロイГидрострой社(本社はユジノサハリンスク)が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、めざましい成長を示し、択捉島の経済基盤は強固なものとなった。同社は現在、別飛(ロシア名・レイドヴォ Рейдово)に日産400tの加工が可能な大工場を持つほか、蓄積した豊富な資本を元に択捉銀行БАНК "ИТУРУП"を設立、金融業にも乗り出した。しかし、日本政府が領土問題がらみで規制を行っているため、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。
また、北部の茂世路岳(クドリャブイ火山)は、その火山ガスに、レアメタルであるレニウムを大量に含有している。このため、ロシア科学アカデミーの科学者たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る火山として茂世路岳を見なしている。
インフラ整備では、2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画によって、中心都市のクリリスク(紗那)の近くに新空港が建設されることとなっている。
北方領土に投資をさせず、経済的に困窮させて日本への返還を誘発しようという日本政府の戦略は、すくなくとも択捉島に関する限り、完全に行き詰っているといってよい。
また、国後島ではソ連崩壊後に続いた経済不振と1994年に発生した北海道東方沖地震の影響から、人口は減少傾向にあったが、近年のめざましいロシアの経済成長に伴い、この島にも人口増に向けたテコ入れがはじまっている。2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画では、立ち遅れているインフラ整備などに重点的な投資がなされる予定である。
ユージノクリリスク(古釜布)に、日本政府のロシアへの援助として建設された日本人とロシア人の友好の家(通称:ムネオハウス)がある。
国後島では、日本のテレビ放送(テレビ北海道は映らない。カラー方式はNTSC)が映り、一部の住民が日本のテレビを情報源にしている。大部分の住民は、ロシアのテレビ(カラー方式はSECAM)を視聴している。北海道放送(HBC)では、一時、北方領土の住民向けに天気予報の画面にロシア語のテロップを入れていた。
[編集] 漁船銃撃・拿捕事件
2006年8月16日、水晶島付近の海域で操業中の、北海道根室市花咲港所属のカニかご漁船がロシア国境警備局の警備艇により追跡され、貝殻島付近で銃撃・拿捕され、乗組員1人が死亡する事件が発生した。日本政府はロシア当局に対し、北方領土は日本固有の領土であるとの前提に立って「日本領海内で起こった銃撃・拿捕事件であり、到底容認できない」と抗議した。しかし、この海域はロシア側の実効支配海域であるため、ロシア側にとっては国境侵犯密漁事件であり、日本側の「この海域は日本領海」とする抗議とは根本的な点で相容れないために、今回の問題をさらに複雑にした。
この付近のロシア実効支配海域では、コンブや許可された魚については、許可を得て入漁料を支払った漁船についてのみ認められていたが、無許可操業は日本の農林水産省や北海道当局も禁止しており、またカニ漁に関しては日本側には一切認められていなかった。北海道庁は近く付近の漁協に対して、周辺海域でのカニ漁を行わないよう指導しようとしていた矢先の事件であった。今回の漁船はロシア側海域での一切の漁を認められていなかったうえに、カニ漁を行っていた可能性が高く、実際に船内からは1.1トンのカニが残留していたとロシア側は発表した。
乗組員は国後島の古釜布(ユージノクリリスク)に連行され、日本人とロシア人の友好の家(いわゆるムネオハウス)に拘束された。また、死亡した乗組員の遺体は8月19日に海上保安庁の船によって日本に引き取られた。8月30日には船長以外の2乗組員が解放され、海上で北海道庁の船に引き渡されたが、船長は9月4日にロシア側の検察により国境侵犯と密漁の罪で起訴され罰金刑が確定し、約50万ルーブルの罰金・賠償金を支払ったうえ、10月3日にようやく釈放されビザなし交流の船で根室に帰還した。
帰国後、船長は「越境も密漁もしていない」と、ロシア側に認めた罪を一転否定したが、もし船長の発言が事実なら、これまでに一度もなかった「ロシア側警備艇側の“日本実効支配海域の領海侵犯”による、日本実効支配領海内での発砲・拿捕事件」ということになる。しかし、これは日本の海上保安庁や北海道庁等も疑問視しているようで、慎重に事実の確認をしている。
[編集] マスコミ
- ユジノサハリンスク・ラジオ放送局(旧日本放送協会豊原放送局)
[編集] 出身者
[編集] 標準時
[編集] サハリン(樺太)
この地域は、ウラジオストク時間帯の標準時を使用している。
時差は通常はUTC+10時間で、夏時間はUTC+11時間である。ちなみに日本と同州の間には1時間の時差が発生する。 (夏時間はUTC+11で、その期間の日本との差は2時間)
[編集] クリル(千島)
ロシアではこの地域に、マガダン時間帯の標準時を使用している。
時差は通常はUTC+11時間で、夏時間はUTC+12時間である。ちなみに日本との時差は2時間(夏時間の時期は3時間)で、日本の正午は現地の午後2時(夏時間の場合は午後3時)となる。
[編集] 外部リンク
- サハリン州公式HP(ロシア語)
- ユジノサハリンスク市公式HP(ロシア語)
- ポロナイスク市公式HP(ロシア語)
- サハリン・タイムズ(ユジノサハリンスクで刊行の週刊英字紙)
- 稚内市役所HPのサハリン情報
- 在ユジノサハリンスク日本総領事館HP
- Foreign relations of Russia#Territorial Disputes
- 千島諸島の島名・地名ノート
- 千島列島の火山
[編集] 関連項目
- ロシア連邦
- 南サハリン州
- オハ油田
- サハリン1、サハリン2(サハリンプロジェクトによる海底油田)
- パイプライン輸送
- アントン・チェーホフ
- ブロニスワフ・ピウスツキ
- 樺太
- 千島列島
- 北方領土
- 日露戦争
- オホーツク海
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- ロシアの地方区分
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