宮沢和史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮沢和史(みやざわ かずふみ、1966年1月18日 -)は日本のロックバンド・THE BOOM、GANGA ZUMBAのボーカリスト、シンガーソングライターである。
目次 |
[編集] 人物
山梨県甲府市出身。通称MIYA. 甲府市立千塚小学校、甲府市立甲府北中学校、山梨県立甲府南高等学校、明治大学経営学部卒業。1986年にTHE BOOMを結成、歩行者天国でのライブを積み重ねた後、1989年シングル「君はTVっ子」でデビュー。以来ほぼすべての楽曲を作詞・作曲している。グループの知名度を特に高めた楽曲として「島唄」「風になりたい」があげられる。
世界中を旅し、そこで得たインスピレーションで本格的な音楽を生み出してきた。楽曲はロックがすべての下敷きになってはいるが、沖縄民謡、サンバ、ケチャ、ジャズ、テクノなど、さまざまなジャンルに造詣が深い。ソロミュージシャンとしても楽曲を多数発表している。シンガーソングライターとして楽曲提供も多数。また著書多数。以前には俳優としても活動し、ミュージカルやテレビドラマ、映画にも出演した。
妻はタレントでパーソナリティの光岡ディオン(1994年に結婚)。現在3人の子供がいる。
[編集] 経歴
小学生の頃から音楽活動をしており、高校ではバンドを組んで学園祭で披露したりしていた。自身の音楽観に影響を与えたミュージシャンはYMO、U2、スティングなど。1986年にTHE BOOMを結成し、歩行者天国(通称ホコ天)で2年ほど路上ライブを行い、人気を徐々に高めていった。
- 1986年11月 THE BOOM結成。
- 1987年7月26日 歩行者天国で路上ライブ開始。
- 1988年12月18日 ソニーのオーディションに合格。
- 1989年5月21日 シングル「君はTVっ子」・アルバム「A PEACETIME BOOM」でデビュー。
BOOMの音楽はアルバムが発表されるごとに全く違った内容になることが多く、あるときはスカ、またあるときは沖縄、さらにブラジルなどと、変貌を遂げることが多かった。
- 1992年1月22日 4thアルバム「思春期」発表。このあたりからBOOMの音楽性・方向性が大きく変わっていく。またこの作品で「島唄」が初めて発表された。
- 1992年12月12日 「島唄」を沖縄の方言(ウチナーグチ)で歌ったシングルを沖縄限定で発売。泡盛のCMタイアップ曲にも使用され、ヒットする。
- 1993年6月21日 かねてからシングルリリースの要望が高かった「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が発売となり、全国的な大ヒットとなる。
- 1993年12月31日 レコード大賞で「ベストソング賞」を受賞。また、紅白歌合戦に出場し「島唄」をウチナーグチで歌う。
「島唄」のヒット以降、「THE BOOM=島唄(沖縄)」というイメージを持つ人が多くなった。また、宮沢およびグループのメンバーを沖縄出身だと勘違いする人が多くなった。
90年代中盤はブラジル音楽に傾倒。この頃の代表曲が「風になりたい」である。
1997年に活動を一時休止し、ソロ活動に専念。1998年3月5日には長野パラリンピックの開会式でテーマ曲「旅立ちの時」を歌う。1999年にBOOMとしての活動を再開。以後は局地的な音楽を徹底して追及するというよりも、さまざまなジャンルと織り交ぜた楽曲の一部として発表する傾向にある。
また、BOOMの代表曲である「島唄」は世界各国でカバーされているが、特に有名なのが2001年にアルゼンチンのマルチタレントであるアルフレッド・カセーロに日本語のままカバーされた「島唄」である。これはアルゼンチンのヒットチャートで1位を獲得し、2002年に行われた日韓ワールドカップにおける同国の応援歌にもなった。またこのとき宮沢と来日していたカセーロとが代々木国立競技場で日本のサポーター5万人と「島唄」を日本チームの応援歌として合唱し、話題となった。これらのことから「島唄」が再び注目され、これまでに発表された「島唄」をまとめたシングルが発売、10万枚を越えるリバイバル・ヒットとなった。宮沢の作ったこの「島唄」は現在、国境を越え多くの人に愛される歌になっただけでなく、日本のスタンダードソングとしても定着しつつあり、教科書にも載るほどまでになった。
2007年現在はBOOMとしての活動は行っておらず、新バンド「GANGA ZUMBA」(ガンガズンバ)のボーカル・リーダーを担当している。
[編集] エピソード
- 明治大学には一浪して入学している。実は現役時代、駒澤大学に合格していたが入学書類を紛失してしまったために浪人したと本人は語っている。ところが明治大学合格後にその書類が自宅から発見されたとのこと。
- 無類の釣り好きとして知られる。
- ビートたけしと生まれた日が同じ。また、彼の大ファンでもある。
- 学生時代、レストランでアルバイト(調理担当)をしており、料理は得意である。店長候補に挙げられ、一時は音楽と店長のどちらをとるか迷ったらしい。
- いい歌を作りそれを一人でも多くの人に伝えるため、CDの売り上げにはこだわっていない。現に「売れる歌は作らない」とコンサートで公言しているくらいである。
- 「島唄」の影響か、沖縄出身だとよく間違えられる。本人曰く、「『沖縄(の出身)ですか』とよく言われてたけど、最近は『沖縄のどこですか』と聞かれる」。
- テレビなどで山梨出身ということを振られると、たいてい「海のない所です」と言う。
- 2001年に「島唄」がアルゼンチンで大ヒットしていることは本人は全く知らず、インターネットを見たスタッフに知らされたという。カバーしたアルフレッド・カセーロも、「島唄」の作者である宮沢に無許可でリリースしていた。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] CD
[編集] シングル
- 旅立ちの時(1997年9月10日) ※「宮沢和史 with 久石譲」の名義
- Seven Days, Seven Nights(1998年2月18日)
- ブラジル人・イン・トーキョー(1998年5月27日)
- 沖縄に降る雪(2001年11月7日)-ペリカン便CMソング
- コシカ/ひとつしかない地球(2005年4月22日)-「ひとつしかない地球」教育団体ラボ・パーティのために書かれたナンバー
[編集] アルバム
[編集] オリジナルアルバム
- Sixteenth Moon(1998年3月18日)
- AFROSICK(オリジナル・ポルトガル語ヴァージョン)(1998年7月8日)※輸入盤
- AFROSICK(1998年7月18日)
- AFROSICK(オリジナル・ポルトガル語ヴァージョン)(1998年10月16日) ※日本盤
- MIYAZAWA(2001年11月28日)
- SPIRITEK(2004年1月28日) ※セルフカヴァー集
[編集] ベストアルバム
[編集] ライブアルバム
[編集] GANGA ZUMBA
[編集] 映像作品
- afrosick(1999年3月)-映像の全ての編集を、宮沢和史本人が担当。
- 未完の夜(2001年12月6日)
- afrosick(2003年1月16日)-1999年に発売されたVHS作品をDVD化
- MIYAZAWA-SICK(2003年1月16日)
- 宮沢和史/THE BOOM 二十一世紀の音霊(2004年3月10日)
- EURO ASIA~MIYAZAWA-SICK EUROPE TOUR '05~(2005年6月18日)
[編集] 書籍
- セイフティ・ブランケット
- 詩人から詞人へ
- 宮沢和史全詩集
- 音の棲むところ
- 未完詩
[編集] 楽曲提供
[編集] 出演作品
[編集] テレビドラマ
- 「チャンタピンパーのくれた塵芥(ごみ)」(1991年NHKドラマ・主演。共演深津絵里)
- 「二千年の恋」(2000年 フジテレビ系・主演中山美穂)
- 「恋を何年休んでますか」(2001年 TBS系・主演小泉今日子)
[編集] 映画
「ハル」(1995年・釣り人役で出演。主演・深津絵里)
[編集] ミュージカル
「ナガランド」(1992年・ディック・リー主宰のミュージカル)
[編集] ラジオ
- 「サカナラジオ」(1989年~不明)
- 「極東ラジオ」(1997年~不明)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- THE BOOM MUSIC GALLERYTHE BOOM公式サイト
- MIYAZAWA-SICK宮沢和史の公式サイト
- GANGA ZUMBAGANGA ZUMBAの公式サイト
カテゴリ: 日本のミュージシャン | 日本の歌手 | 日本の作詞家 | 日本の作曲家 | 1966年生 | 山梨県出身の人物 | 東芝EMIのアーティスト