小泉博
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小泉 博(こいずみ ひろし、1926年8月12日 - )は日本の俳優。本名は小泉 汪(こいずみ ひろし)。身長173cm、体重72kg、血液型A型。
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[編集] 概要
神奈川県鎌倉市に政治家小泉策太郎の八男として生まれる。1943年に慶応普通部を経て、慶応義塾大学経済学部に入学し、1948年に卒業、NHK第20期アナウンサーとして入局。
1950年9月、藤本真澄が代表を務める藤本プロの『えり子とともに』(公開は1951年)のフレッシュマン募集に応募して合格、NHKを退職し、同映画に出演する。その後、藤本真澄が東宝に復帰したため、東宝ニューフェイス第3期生に応募し、合格。1951年6月、東宝に入社して、翌1952年1月、『青春会議』で主演スターとして売り出す。その後、都会的な明るい持ち味の二枚目ぶりが人気を呼び、特に1956年から1960年にかけての江利チエミ主演の『サザエさん』シリーズでのマスオ役が有名である。また1955年の「ゴジラの逆襲」、1961年の「モスラ」を初め、初期の東宝特撮映画では佐原健二、平田昭彦、土屋嘉男などと並び、欠かせない顔だった。
1961年以降は次第にテレビへと活躍の場を移し、1970年にはフジテレビ『クイズ・グランプリ』の司会を務めた。2003年、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』に、『モスラ』と同じ役で出演、久々のゴジラ映画出演にファンを喜ばせた。ほかに、1967年に出演した日本のいちばん長い日においてNHKアナウンサー時代の先輩である和田信賢役を演じたこともある。
[編集] 主な出演作品
[編集] 映画
- 金の卵(1952年)
- 花の中の娘たち(1953年)
- 次郎長三国志 三部~九部(1953年~1954年)
- めくら狼(1955年)
- ゴジラの逆襲(1955年)
- りゃんこの弥太郎(1955年)
- 大暴れチャチャ娘(1956年)
- サザエさんシリーズ(主演:江利チエミ、1956年~1961年)
- 三十六人の乗客(1957年)
- 花嫁三重奏(1958年)
- 野獣死すべし(1959年)
- ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年)
- モスラ(1961年)
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年)
- 妻という名の女たち(1963年)
- マタンゴ(1963年)
- 海底軍艦(1963年)
- モスラ対ゴジラ(1964年)
- 宇宙大怪獣ドゴラ(1964年)
- 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
- 日本のいちばん長い日(1967年)
- フレッシュマン若大将(1969年)
- 日本海大海戦(1969年)
- ゴジラ対メカゴジラ(1974年)
- ノストラダムスの大予言(1974年)
- 続・人間革命(1976年)
- ゴジラ(1984年)
- 人間の翼 最後のキャッチボール(1996年)
- ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年)
[編集] テレビ
- 咲子さんちょっと(1961年~1965年)
- おはようにっぽん(司会、1966年~1967年)
- 女の絶唱(1968年~1969年)
- 金メダルへのターン!(1970年7月6日~1971年9月27日、フジテレビ)
- 峠の群像(1982年)
- 娘と私のアホ旅行(1989年、TBS)
- 憲法はまだか(1996年)
- クイズグランプリ(司会、1970年~1980年)