山口哲治
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山口 哲治(やまぐち てつじ、1959年4月17日-)は、奈良県五條市出身。昭和後期から平成期(1970年代後半~2000年代前半)のプロ野球選手(投手)、投手コーチ。右投げ右打ち。
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[編集] 来歴・人物
智辯学園高等学校のエースとして、1977年の春・夏連続で甲子園に出場。春はベスト4入り、夏は3回戦敗退の結果を残している。その年のドラフト会議で、近鉄バファローズから2位で指名を受け、プロ入りした。背番号は29。シュートが武器。
プロ初年の1978年は一軍での登板はなかったが、翌1979年は先発・抑えにフル回転。阪急ブレーブスとのプレーオフでは3試合連続で抑えとして登板し、いずれも完璧に抑えて近鉄史上初のリーグ優勝に貢献した。日本シリーズでは広島東洋カープの打線に打ち込まれて日本一を逃したものの、このシーズンは最優秀防御率のタイトルを獲得している。
その後は故障などで伸び悩み、1985年のオフには新井宏昌とのトレードで南海ホークスに移籍(背番号6、1988年は16)。移籍後の一軍登板はあったものの、目立った成績を残せず、1988年、29歳の若さで引退。
引退後、1989年の一年間は阪神タイガースの打撃投手を務めた。翌1990年に古巣・近鉄に打撃投手として復帰し、1997年からは二軍投手コーチを務めていたが、近鉄球団の解散に伴い、2005年のシーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスのチーフスコアラーとして活躍している。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 通算成績
- 登板試合数 136
- 通算勝利数 16
- 通算敗戦数 13
- 通算セーブポイント 12
- 通算投球回数 379回1/3
- 通算奪三振数 148
- 通算防御率 3.75