新井宏昌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新井宏昌(あらい ひろまさ、1952年4月26日 - )は、プロ野球選手(外野手、右投左打)。現役引退後は評論家・コーチとして活動している。現役時代は巧みなバットコントロールによる状況に応じたシュアなバッティングが特徴で、300犠打をマークするなどチームプレーでも欠かせない存在感を示した。また、コーチとしての手腕も高く評価されている。現在は福岡ソフトバンクホークスの打撃コーチ。大阪府大阪市東成区出身。旧名:新井鐘律(あらい かねのり)。
目次 |
来歴・人物
PL学園を経て法大で活躍。法大では、江川卓らが1年生のときの4年生にあたる。1974年、ドラフト2位で野村克也監督の南海ホークス(背番号6)に入団し、1975年から1軍で活躍。1979年、打率.358の高打率を記録するが惜しくも首位打者には届かず。1981年、1982年には、2年連続3割。打撃技術の高さには、ロッテオリオンズで活躍していた落合博満も一目置いていた。
1985年オフ、山口哲治投手との交換トレードで近鉄バファローズ(背番号9)に移籍。新井は年齢的に限界であるという南海フロントの判断が、トレードの要因となった。しかし、1987年には初の首位打者に輝くなど大活躍し、近鉄側から見れば大成功のトレードとなった。当時の中西太打撃コーチや有田修三との交換トレードで読売ジャイアンツから移籍したベテラン左打者淡口憲治らとの出会いがきっかけでバッティング理論をより深く究めたことが、活躍の背景にあった。
1987年の首位打者獲得時には打率.366で、安打数184本を記録。この安打数は、130試合制における当時の日本記録であった。その後も毎年安定した成績を残し、1989年は2番打者としてチームのリーグ優勝に貢献。この優勝は新井にとってプロ生活14年目にして初めての経験であった。新井は、盗塁王の常連で一番打者である大石大二郎の後を打ち、バントや巧打でラルフ・ブライアント、鈴木貴久、金村義明、村上隆行といった強打者につなげる貴重な役目を果たした。その後1992年、2000本安打を達成し、衰えを理由に同年、40歳で引退した。地味ながらもそのつなぎ役としての能力の高さから、近鉄史上最高の二番打者と称えるファンも多い。
年度別成績
表中、太字の数字は年度リーグ最多記録
年度 | 所属チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1975 | 南海 | 50 | 188 | 29 | 57 | 7 | 3 | 1 | 73 | 16 | 7 | 15 | 8 | .303 |
1976 | 南海 | 119 | 406 | 50 | 110 | 12 | 8 | 2 | 144 | 35 | 20 | 25 | 21 | .271(15) |
1977 | 南海 | 121 | 409 | 63 | 93 | 15 | 5 | 1 | 121 | 21 | 14 | 45 | 38 | .227(29) |
1978 | 南海 | 116 | 344 | 31 | 87 | 8 | 4 | 1 | 106 | 17 | 6 | 26 | 25 | .253 |
1979 | 南海 | 114 | 388 | 52 | 139 | 19 | 1 | 2 | 166 | 34 | 17 | 31 | 17 | .358(2) |
1980 | 南海 | 112 | 324 | 38 | 85 | 15 | 1 | 6 | 120 | 43 | 7 | 29 | 26 | .262 |
1981 | 南海 | 117 | 406 | 51 | 122 | 18 | 8 | 4 | 168 | 33 | 12 | 37 | 22 | .300(11) |
1982 | 南海 | 114 | 413 | 50 | 130 | 29 | 4 | 7 | 188 | 41 | 12 | 34 | 17 | .315(2) |
1983 | 南海 | 130 | 479 | 69 | 139 | 25 | 2 | 5 | 183 | 53 | 19 | 37 | 15 | .290(15) |
1984 | 南海 | 127 | 412 | 55 | 118 | 25 | 1 | 4 | 157 | 39 | 14 | 42 | 19 | .286(11) |
1985 | 南海 | 118 | 325 | 39 | 85 | 17 | 2 | 3 | 115 | 26 | 10 | 30 | 25 | .262 |
1986 | 近鉄 | 130 | 514 | 72 | 148 | 31 | 4 | 12 | 223 | 51 | 6 | 25 | 26 | .288(16) |
1987 | 近鉄 | 128 | 503 | 67 | 184 | 22 | 5 | 13 | 255 | 67 | 5 | 36 | 26 | .366(1) |
1988 | 近鉄 | 125 | 465 | 64 | 133 | 23 | 5 | 8 | 190 | 54 | 2 | 30 | 31 | .286(12) |
1989 | 近鉄 | 124 | 444 | 64 | 134 | 25 | 2 | 7 | 184 | 47 | 6 | 43 | 22 | .302(9) |
1990 | 近鉄 | 115 | 363 | 58 | 106 | 19 | 4 | 6 | 151 | 34 | 4 | 38 | 26 | .292(8) |
1991 | 近鉄 | 110 | 333 | 43 | 103 | 16 | 2 | 3 | 132 | 44 | 2 | 30 | 26 | .309 |
1992 | 近鉄 | 106 | 295 | 38 | 65 | 12 | 4 | 3 | 94 | 25 | 2 | 32 | 32 | .220 |
通算成績
- 実働年数 18年
- 試合 2076(歴代25位)
- 7011打数(歴代30位)
- 2038安打(歴代28位)
- 打率.291(歴代30位)
- 得点 933(歴代40位)
- 二塁打 338(歴代30位)
- 三塁打 65(歴代14位)
- 本塁打 88
- 塁打 2770(歴代51位)
- 打点 680(歴代92位)
- 盗塁 165(歴代89位)
- 四死球 585(歴代85位)
- 犠打 300(歴代4位)
- 三振 422
2000本安打を達成した中で100本塁打に達していない唯一の選手である。
タイトル・表彰
- 首位打者(1987)
- 最多安打(1987 ※当時は表彰項目ではなかった)
- ベストナイン 4回(1979、1982、1986、1987。いずれも外野手)
- ゴールデングラブ賞(1987。外野手)
- 日本シリーズ敢闘賞(1989)
背番号
- 6(1975年~1985年)
- 9(1986年~1992年)
- 69(1994年~2001年、2005年~)
- 81(2003年~2004年)
指導者として
1994年から2001年まで、近鉄移籍時のコーチだった仰木彬監督に請われてオリックスの打撃コーチを務め、イチローを球界を代表する打者へと育成した。それまで「鈴木一朗」だった登録名を「イチロー」と変更するように考案したのは、アイデアマンとして知られる仰木ではなく新井である。
2002年NHK解説者・デイリースポーツ評論家を経て、2003年から2年間は古巣のダイエーで王貞治監督のもと打撃コーチを務めた。打撃が低迷していた村松有人に対して地面と平行にバットを振るように指導し、また、井口資仁、松中信彦、城島健司、ペドロ・バルデスの100打点カルテットを誕生させ、年間チーム打率.297の新記録を打ち立てるなど、2003年の日本一の影の立役者となる。
2005年からは仰木に請われてオリックスでチーフ兼打撃コーチを務める。チームのスタメンはほとんど決めているらしい。なおオリックスのオーダーがなかなか固定しないのは、この人のかなりの左右相性意識のためとされ、これはあまりファンの間では評判が良くない(通称、左右相性病)
2006年シーズン終了後成績不振から辞任した(これは球団側が仰木色を一掃する為だとも言われている)。 10月にホークスの1軍打撃コーチに復帰することが発表された。
関連項目
00 ブライアン・ブキャナン | 0 仲澤忠厚 | 1 柴原洋 | 3 松中信彦 | 4 アダム・ハイズデュ | 5 松田宣浩 | 6 多村仁 | 7 大村直之 | 8 江川智晃 | 9 小久保裕紀 | 10 本間満 | 11 小椋真介 | 12 高谷裕亮 | 13 高橋秀聡 | 14 馬原孝浩 | 16 篠原貴行 | 17 山田秋親 | 18 新垣渚 | 19 森福允彦 | 21 和田毅 | 22 荒川雄太 | 23 城所龍磨 | 24 高橋徹 | 25 大野隆治 | 26 的場直樹 | 27 中西健太 | 28 大隣憲司 | 29 領健 | 30 長谷川勇也 | 31 佐藤誠 | 32 森本学 | 33 星野順治 | 35 クリストファー・ニコースキー | 36 明石健志 | 37 福田秀平 | 38 神内靖 | 40 藤岡好明 | 41 倉野信次 | 43 リック・ガトームソン | 44 水田章雄 | 45 トゥーシェン | 46 本多雄一 | 47 杉内俊哉 | 48 甲藤啓介 | 50 吉本亮 | 51 荒金久雄 | 52 川崎宗則 | 53 金子圭輔 | 54 川頭秀人 | 55 伊奈龍哉 | 56 柳瀬明宏 | 57 三瀬幸司 | 58 辻武史 | 59 大西正樹 | 60 稲嶺誉 | 61 山村路直 | 62 山崎勝己 | 63 大田原隆太 | 64 田之上慶三郎 | 65 川口容資 | 66 斉藤和巳 | 67 斉藤秀光 | 68 竹岡和宏 | 69 井手正太郎 | 70 田上秀則 | 91 陽耀勲 | 93 小斉祐輔 | 94 西山道隆 | 121(育成選手) 山田大樹
89 監督 王貞治 | 80 秋山幸二 | 88 森脇浩司 | 81 新井宏昌 | 85 杉本正 | 82 高山郁夫 | 84 大石友好 | 87 井出竜也 | 92 山川周一 | 76 二軍監督 石渡茂 | 71 鳥越裕介 | 79 五十嵐章人 | 75 山村善則 | 77 藤田学 | 74 岩木哲 | 95 川村隆史 |
カテゴリ: 半保護 | 日本の野球選手 | 法政大学野球部の選手 | 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 | 大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 | 野球解説者 | 名球会 | 1952年生 | 大阪府出身の人物