弦理論
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弦理論(げんりろん)とは、粒子を0次元の点ではなく1次元の弦として扱う理論のこと。別名、ひも理論。1970年に南部陽一郎と後藤鉄男が発表したハドロンに関する理論によって登場したが、正しくないことが証明された。しかし、1984年にマイケル・グリーンとジョン・シュワルツが発表した超対称性を加味した弦理論(超弦理論)によって、再び表舞台に現れた。
[編集] 弦理論以前
ニュートン以来の質点の概念をそのまま用いて場の量子論を取り扱う場合、しばしば無限大の発散による困難を伴う。この問題に対して、大きさを持った粒子の概念を取り入れたのは湯川秀樹であった。彼は1947年に始まる非局所場理論を提唱し、拡がりを持った微小な時空が連なる場の記述を行った。
しかし、同時期に朝永-シュウィンガー-ファインマンらが、くりこみ理論によってこの発散を防ぐ技法を創出し、点粒子のままで電磁力場の量子論的計算を可能にした。これ以後も弱い相互作用、強い相互作用にくりこみ理論を適用する数学的技法が見い出され、点粒子による表現はその後も継続されることとなった。
一方で湯川は、くりこみによっても本質的な困難は除去できないと考えて、1966年には非局所場理論を発展させた素領域理論を発表した。この理論の中核をなす離散的な単位時空の概念は、彼の存命中は大きな進展が見られなかったが、現在において単位時空のスケールこそ異なるものの、ループ量子重力理論に受け継がれている。
[編集] ハドロンの弦理論
1950年代はじめにレッジェは、ハドロンの散乱実験において、共鳴状態の静止質量の2乗とスピンとの間に直線関係があることを見出した(レッジェ軌道)。1968年にヴェネツィアーノは、レッジェ軌道を説明するための共鳴モデルを発表したが、それにはsチャンネルとtチャンネルという二通りの記述が可能であった。しかし、その双対性の物理的な意味は不明であった。
1970年に発表された南部-後藤によるハドロンの弦理論は、このsチャンネルとtチャンネルの双対性を説明可能なモデルとして登場した。この理論では、長さ10-15mオーダーの一次元の弦が回転、振動しており、モード、エネルギーの異なる弦の運動が、それぞれ異なるハドロン粒子として観察される。また、上記のsチャンネルとtチャンネルはトポロジー的に同一のものと見なす事ができる。1964年にゲルマンとツワイクによって提唱されたクォークは弦の端部に相当すると考えることが可能で、単一のクォークが分離できないクォークの閉じ込めも、この理論で定性的に説明可能である。
しかし、ハドロンの弦理論は様々な欠陥を含んでいた。まず、弦の運動が安定して維持可能な時空は26次元に限られていた。また、弦のスピンは整数であり、ハドロンの理論にもかかわらずボソン的な性質を有していた。この他に閉じた弦は重力子であり、更にタキオンの存在が要請された。
これらの欠陥が判明し出した頃に、グルーオンをゲージ場の粒子とする量子色力学の発展が始まり、強い相互作用の特性を正確に記述できることがわかってきた。このため、ほとんどの研究者が弦理論から撤退していった。現在ではハドロンの弦理論は、クォーク間のゲージ場の力線を半定量的に表現した現象論的模型と考えられている。
[編集] 超弦理論へ
ハドロンの弦理論が失敗に終わった後も、ごく一部の研究者は重力を含んだ系を記述できる弦理論に魅力を感じ、研究を継続していた。1970年代前半、シュワルツとヌボーは、整数スピンのボソン的弦に半整数スピンのフェルミオンの性質をつけ加えた、超対称性の弦理論を作った。しかし同時期にゲージ理論による大統一の研究が盛んになっており、弦理論は忘れられた存在となった。
この間にもシュワルツとグリーンは粘り強く研究を継続し、1984年には相対論と整合性があり、量子化された超対称の弦理論を打ち立てた。彼らは弦の長さを10-35mオーダーの微小なものとし、弦の運動する時空を11次元とした。また、特殊な内部対称性を用いることで、数学的矛盾の無い物質の最小単位の理論とすることに成功した。
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