懸賞 (相撲)
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懸賞(けんしょう)は大相撲の取組で勝利した側の力士に授与される金銭の意。
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[編集] 概説
2005年(平成17年)現在、幕内力士の場合1回の取組で1本につき6万円が協賛する企業・団体から提供される。1本が6万円になったのは1991年(平成3年)5月場所からである。申し込みは原則として取組4日前まで、取組指定は取り組み前日(千秋楽除く)の14時までを期限とする。
懸賞金6万円のうち、5千円は日本相撲協会の事務経費(取り組み表への掲載費、会場内の懸賞提供アナウンス費及びその際の企業・団体名含め15字以内のキャッチコピー費)として、2万5千円は納税充当金(幕内力士の所得税は30%~40%、この納税充当金は引退時に本人に還付される)として獲得者本人名義の預り金として天引きされるので、勝利力士は勝ち名乗りに際し懸賞1本当たり手取りで現金3万円を受け取る。
場内アナウンス例「この取り組みにはフリー百科辞典のウィキペディア、誰でも記者になれるウィキニュースより懸賞があります」
仕切中に土俵の回りを呼出が旗のような懸賞幕(縦120cm、横70cm)を持って回る場合があるが、これは取組に懸賞金がかけられた時に見られるもので、スポンサーの企業名や商品名が書いてある。公共放送であるNHKのテレビ中継では、広告になるという判断から、この場面になると遠景からの土俵の撮影に切り替えてスーパーを被せ、懸賞を掛けたスポンサー名が読み上げられるため場内音声を絞った上から解説のコメントを被せる(ただし懸賞の本数を放送で言う時はある)。
横綱・大関クラスの取組ともなると、かなりの数(多い場合には40本以上)の懸賞がかけられる。2005年(平成17年)9月場所千秋楽結びの一番、朝青龍vs栃東では史上最多の49本の懸賞がついた。さすがにこれだけの数になると、制限時間の間懸賞の垂れ幕が土俵を回り続けることになり、仕切りの緊張感を殺ぐとして批判意見も出た。そのため、2006年(平成18年)1月場所からは1つの取組につき50本までという制限が設けられることになった。2006年(平成18年)9月場所千秋楽結びの一番、朝青龍vs白鵬において初の制限いっぱいの50本の懸賞がかけられた(森永賞=※を含めると51本)。
懸賞金は原則中入後の取組に懸けられ、十両力士同士の取組には懸けられない(唯一の例外として昭和45年の輪島vs長浜(豊山)。原則として一場所15日間、毎日懸賞を出すことが求められていたが、2000年からは5本以上であれば1日だけでも懸賞を出す事ができ、また同じ取組に複数本懸賞を出せるようになった。その形式は、後援する力士の取組すべてにかけたり、出場力士にかかわらず結びの一番には必ずかけるなど、さまざまである。
- ※森永賞 森永製菓協賛の懸賞金。国技館での1・5・9月場所に限り、観客が森永キャラメルの空き箱にその日の注目取り組みを1番選んで投票する。投票は十両の取り組みが行われる15時半ごろまで。中入り時に森永賞の対象取り組みが発表され、その取り組みで勝った力士に森永製菓からの懸賞金が、またそれを投票した観客にも抽選で記念品(主に森永賞品の詰め合わせ)が贈賞される。
[編集] 作法
懸賞のかかった一番では、行司は勝ち名乗りの後で、軍配の上に懸賞袋を乗せ、勝ち力士に差し出す。
勝ち力士はこれを右手で、みっつ手刀を切ってから受け取るのが、現在では普通になっているが、これは昭和の大関・名寄岩からはじまったもの。彼以前にはもっと無造作に受け取るのが普通だったが、名寄岩がこれを無作法で見た目にも良くないとして始めたものを、他の力士も次第に真似るようになった。
名寄岩によれば、みっつ手刀を切るその意味は、〝心〟という字を描くということで、手刀の切りかたも(右利きの場合で)左→中央→右の順だった。「勝負をつかさどる三柱の神への感謝の意で、左→右 →中央の順で手刀を切る」という、現在の解釈とはやや異なっている。もっとも懸賞を受け取ったあと右に払い心の字を切る力士も多い。
手刀を切るのは利き腕に関係なく右手とされているが、左利きである横綱朝青龍が左手で手刀を切って懸賞金を受け取ったときに、このことが話題となった。もちろん、絶対に右手で切らなければ懸賞金を獲得できない、といったようなことはないものの、伝統と仕来たりを重んじる角界では、右手で切らなかったことが大きく問題視された。ただし、朝青龍以前にも同じく左利きの逆鉾なども左手で手刀を切っており、そもそも懸賞金の制度自体古来の伝統に基づいているものではないので、横綱審議委員会のある特定の委員による難癖ではないのかという批判もある。
[編集] 懸賞本数の記録
1つの取組にかけられた懸賞の本数は、長らく 1964年(昭和39年)一月場所の栃ノ海 -大鵬(14日目)、栃ノ海 - 豊山(千秋楽)の26本が最多であったが、2004年(平成16年)一月場所の朝青龍 - 千代大海(14日目)に27本の懸賞がかけられて以降、その本数が急増した。
- 1位:51本 朝青龍明徳 - 白鵬翔(平成18年九月場所千秋楽)
- 2位:49本 朝青龍明徳 - 栃東大裕(平成17年九月場所千秋楽)
- 3位:47本 朝青龍明徳 - 栃東大裕(平成17年七月場所千秋楽)
- 3位:47本 朝青龍明徳 - 栃東大裕(平成17年五月場所千秋楽)
- 3位:47本 千代大海龍二 - 琴欧州勝紀(平成18年五月場所千秋楽)
[編集] 場所記録
- 1位:1021本 平成18年九月場所
- 2位:978本 平成18年五月場所
- 3位:968本 平成18年一月場所
- 4位:925本 平成17年九月場所
- 5位:883本 平成17年一月場所
個人では平成17年一月場所朝青龍明徳が記録した290本
(記録は1991年五月場所以降、2006年九月場所現在)
[編集] 過去の時代の懸賞
江戸時代には、感動した取組に対しては、見物客は自分の着物を土俵に投げてその意をあらわした。その着物はあとあと、力士自身やその付け人の手で持ち主に返され、持ち主はそれと引き換えに何らかの報償を手渡した。現在でも、大金星や番狂わせがあった時など記憶に残る一番で、会場に座布団が舞う光景が見られるのはこの習わしに由来するのだが、本来の意味はほぼ失われている。
天覧相撲や上覧相撲での勝者には特に、羽織、刀、弓などが下賜された。弓取り式は、寛政3年(1791年)の上覧相撲で将軍徳川家斉から弓を賜った谷風梶之助が、これを手に舞ってみせたのがはじまりとされている。また現在でも本場所の千秋楽結び3番「これより三役」では、勝者に弓矢が贈られる。
戦後期の昭和20年代には、米・味噌などの食料品が懸賞に出されることも多かった。現在の様に一律の懸賞金になったのは昭和35年(1960年)9月場所から。
[編集] 外部リンク
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