松平正升
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松平 正升(まつだいら まさのり)は、江戸時代の大名。上総大多喜藩の第4代藩主。
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時代 | 江戸時代中期から後期 | |||
生誕 | 寛保2年(1742年)10月? | |||
死没 | 享和3年11月30日(1804年1月12日) | |||
別名 | 元吉(幼名) | |||
官位 | 従五位下、織部正、備前守、弾正忠 | |||
藩 | 上総大多喜藩主 | |||
氏族 | 松平氏(大河内氏) | |||
父母 | 父:松平正温 | |||
兄弟 | 松平正升、本庄道信、松平資承、 松平信譲、松平正恒 |
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妻 | 正室:本庄資訓の娘 | |||
子 | 松平正路、娘(永井直旧室)、 娘(井上正定室) |
寛保2年(1742年)10月、第3代藩主・正温の長男として生まれる。『寛政重修諸家譜』は元文5年(1740年)生まれとしている。宝暦7年(1757年)12月18日、従五位下・織部正に叙任する。明和4年(1767年)9月25日、父の隠居により家督を継いで藩主となる。この日、備前守に改めた。 大坂加番もつとめた。享和3年(1803年)5月23日、病気を理由に長男の正路に家督を譲って隠居し、同年11月晦日に死去した。
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