桂文之助
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桂 文之助(かつら ぶんのすけ)は、落語の名跡。江戸と上方の二流あるが、いずれも空き名跡となっている。また、上方の方は大名跡である。
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[編集] 江戸各代
- 初代 桂文之助(?)は、4代目桂文治の弟子。その他の詳細不明。
- 2代目 桂文之助(?)は、詳細不明。
- 3代目 桂文之助(?)は、詳細不明。
- 4代目 桂文之助(1854年-1922年10月1日)は、本名: 桂仙之助。享年68。4代目桂文治の三男で、6代目桂文治の実弟に当たり、その弟子となる。桂文仙、文吉を経て、4代目文之助を襲名。晩年は三遊派の書記を務めていた。『古今落語系圖一覽表(文之助系図)』の著者。
[編集] 上方初代
初代 桂文之助(1842年10月15日 - 1923年7月2日)は、本名: 猪里重次郎。享年81。
初代笑福亭松鶴門に入り、その後、初代桂文枝門に移り、初代文之助を経て、1886年頃、2世曽呂利新左衛門を名乗る。桂文三、桂文都、桂文團治と共に、当時の「四天王」と呼ばれる。68歳で引退。
弟子には2代目桂文之助、川上音二郎らがいる。
[編集] 上方2代目
2代目 桂文之助(1858年 - 1930年4月16日)は、本名: 山田萬太郎。享年72。
初め、初代桂文團治門下で桂小團治。次に初代桂米團治門下で桂粉團治。後、初代文之助門下に移り、桂桂馬、艶文亭かしく(または「文の家かしく」「桂かしく」)を経て、1900年6月14日、2代目桂文之助を襲名(「文の家文之助」の名も用いている)。引退後の1910年、京都東山に茶店「文の助茶屋」を創業(現在も残る)、悠々自適の余生を送る。
性格は謹厳実直で、酒・賭博の類いには手を染めなかったという。金光教の信徒。
今もしばしば演じられる『動物園』や、『指南書』『象の足跡』『電話の散財』(2代目林家染丸の十八番となる)などは、この2代目文之助の作と言われる。
なお、初代森乃福郎が3代目桂文之助を継承する予定があったが、これは福郎の師匠が、2代目文之助の実子に当たる3代目笑福亭福松(2代目文の家かしく)であったことに由来する。
[編集] 出典
- 『古今落語系図一覧表(文之助系図)』(日本芸術文化振興会、2004年)
- 『落語系圖』(月亭春松編) - 2代目文之助の記述に関してはひどく混乱しており、各項によって襲名順はばらばらである。
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
- 『桂春団治』(富士正晴著)「上方落語年表」
- 東西落語家系図 - 桂七福公式サイト内の系図
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 文の助茶屋 - 京甘味 文の助茶屋