王子 (東京都)
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王子(おうじ)は、東京都北区の地名。中世から明治時代まで、現在の北区王子本町の一帯に存在した王子村に由来し、住所表示では王子本町1丁目から3丁目と王子1丁目から6丁目にその名が用いられている。王子本町1丁目には北区役所、王子1丁目にはJR京浜東北線と東京メトロ南北線の王子駅があり、北区の中心的な市街地のひとつである。
王子の地名の発祥の地である王子本町は武蔵野台地が荒川(現在の隅田川)の氾濫原に向かってせり出した部分の東の縁、南に向かって上中里、田端を経て上野の山に至る台地の一角に位置し、王子神社と南の飛鳥山の間に石神井川(音無川)の穿つ深い谷がある。江戸時代以前には、王子村は石神井川谷より北の台地上にあたり、石神井川を挟んで南の低地は滝野川村の一部であった。
[編集] 歴史
伝承によれば、王子村は荒川の上流から見て氾濫原の右岸にある台地であったことから古くは岸村と呼ばれた。しかし鎌倉時代後期、元亨2年、この地に若一王子宮(現在の王子神社)が建立されたことから王子村と改称したのだという。岸村の地名は王子村の台地東縁に岸という字名になって明治以降まで残り、現在は岸町1丁目、2丁目になっている。
確実な史料からは、鎌倉時代頃に、荒川の渡河地点として王子という地名が確認される。平安時代後期から室町時代には上中里にあった平塚城(現上中里駅南の平塚神社)を本拠地とする豊島氏が支配する豊島庄の一部であった。
北区指定無形民俗文化財「王子田楽」は王子宮勧請の際に創生された魔除けの田楽芸能とされる。
江戸時代になると村の中心には日光御成街道(岩槻街道)が通って江戸の市街と直結され、18世紀には徳川吉宗によって飛鳥山に桜が植えられたことをきっかけに江戸市民が頻繁に足を運ぶようになった。飛鳥山の花見人気とともに、王子村の北部にある王子稲荷神社がもともと東国33ケ国(東海道の15国、東山道の11国、北陸道の7国)の稲荷社の棟梁だったこともあって参拝客が増え、村内には料理屋や茶屋が立ち並んで、江戸郊外の手軽な行楽地として人気を集めた。
明治時代に入ると王子村と周辺の村々が合併して王子村(のち王子町)となり、旧王子村が町の中心となった。1875年になると、台地東の低地(現王子駅の東側)に日本で最初の洋紙工場(旧王子製紙、現在の日本製紙)が操業を開始した。翌年には印刷局がその隣接地に印刷所を設立され、石神井川に沿った一帯の低地(現北区王子、北区豊島)に工場が建設され始める。
1883年には、東北本線の上野・熊谷間が開通すると王子町には王子駅が設けられた。その後工場進出が進み、大正の頃までに薬品、肥料の民間工場や火薬の軍需工場が次々に生まれて東京市北部で屈指の工業の町に成長する。
1911年には王子電気軌道の路面電車(現在の都電荒川線)が王子駅をターミナルとして営業を開始し、住宅の建設が進み始めた。1932年には東京市に合併され、北の旧岩淵町とともに王子区となる。その後、1947年に南の滝野川区(旧滝野川町)と合併して東京都北区を構成した。
戦後になると軍需工場の消滅から始まって工場が次々に撤退していった。かわってその跡地に団地や住宅が建設され、京浜東北線沿線の大住宅地となって現在に至っている。