生きる
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『生きる』(いきる)は、
- 黒澤明監督による、1952年の日本映画。以下に記述。
- セミョン・ティモシェンコ監督による、1933年のソ連映画。
- 新実徳英作曲、谷川俊太郎作詩、1995年NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲となった、アカペラ合唱曲。
生きる |
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監督 | 黒澤明 |
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製作 | 本木莊二郎 |
脚本 | 黒澤明 橋本忍 小国英雄 |
出演者 | 志村喬 金子信雄 関京子 |
音楽 | 早坂文雄 |
撮影 | 中井朝一 |
編集 | 岩下広一 |
公開 | 1952年10月9日 ![]() |
上映時間 | 143分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
allcinema | |
IMDb | |
生きる(いきる)は、1952年の日本映画。黒澤明監督によるヒューマンドラマ映画。黒澤映画の中でもそのヒューマニズムが頂点に達したといえる名作。志村喬がブランコをこぐシーンは、日本映画史上に残る屈指の名シーン。
黒澤明はもともと東宝の監督だったが、戦後に東宝争議の影響で黒澤は独立プロ「映画芸術協会」を設立して他社で、『野良犬』『羅生門』などを撮り、1951年(昭和26年)には松竹で『白痴』を製作した。労働争議が収束すると昭和27年に黒沢は東宝へ戻り、20周年企画の映画として『生きる』を製作。
黒澤は作中で積極的に流行歌を取り入れているが、「生きる」では作中に絶望した初老の主人公が口ずさむ歌として「ゴンドラの唄」が選ばれた。「ゴンドラの唄」は、吉井勇の作詞、中山晋平の作曲で、1915年(大正4年)に芸術座の第五回公演ツルゲーネフ「その前夜」の劇中歌として用いられ、のちに流行歌となった。
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
市役所に勤める渡辺勘治(志村喬)は日々無気力に過ごしていたが、ある日自分が胃ガンで余命が少ないことを知る。絶望の果てに、自分の無意味な人生に愕然としていた時、奔放に生きる部下のとよ(小田切みき)と出会い、力強く生きる姿に心を動かされる。そして無意味に感じていた自分の職場で意味を見つけ、「生きる」ことの意味を取り戻す。
[編集] キャスト
- 志村喬(渡邊勘治)-市役所市民課長
- 金子信雄(渡邊光男)-勘治の長男
- 関京子(渡邊一枝)-光男の妻
- 小堀誠(渡邊喜一)-勘治の兄
- 浦辺粂子(渡邊たつ)-勘治の兄嫁
- 南美江(家政婦)
- 小田切みき(小田切とよ)-市役所臨時職員
- 藤原釜足(大野)-市民課係長
- 山田巳之助(齋藤)‐市民課主任
- 田中春(坂井)‐市民課職員
- 左卜全(小原)‐市民課職員
- 千秋実(野口)‐市民課職員
- 日守新一(木村)‐市民課職員
- 中村伸郎(助役)
- 阿部九洲男(市会議員)
- 清水将夫(医師)
- 木村功(医師の助手)
- 渡辺篤(患者)
- 丹阿弥谷津子(バーのマダム)
- 伊藤雄之助(小説家)
- 宮口精二(やくざの親分)
- 加東大介(やくざ)
- 菅井きん(主婦)
- 谷晃(飲み屋の親父)
- 村上冬樹(市役所職員)