甲斐常葉駅
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甲斐常葉駅(かいときわえき)は、山梨県南巨摩郡身延町常葉にある東海旅客鉄道(JR東海)身延線の駅である。特急「ふじかわ」は通過し、普通列車のみが停車する。
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[編集] 駅構造
島式ホーム1面2線と側線2本とをもつ地上駅である。島式ホームの両側に接して普段列車の使用する線路が1本ずつ敷設されており、そのさらに外側に側線が1本ずつ敷かれている。線路はほぼ南北に走り駅舎はその東側に設けられている。のりばは駅舎側から1番のりば、2番のりばである。
- のりば
- 1番線 - 下り 富士方面
- 2番線 - 上り 甲府方面
ホームの市ノ瀬方の端は緩やかな坂になっており、これを下ったところから、1番線と側線1本をこえて駅舎へ構内踏切(遮断機・警報機つき)がのびている。駅舎は平成12年(2000年)の改築で内部には倉庫と小さな待合所がある。無人駅で自動券売機の設置は無く、当駅で切符を購入することはできない。
[編集] 駅周辺
旧下部町役場への最寄り駅は下部温泉駅ではなく当駅であった。現在は身延町役場下部支所となっているが当駅から常葉川の対岸、北東へおよそ300メートルと大変近い。常葉の町並みは駅からみると常葉川の対岸に開けており、橋で結ばれている。
常葉の集落は、もとは常葉村という独立した村で、1875年(明治8年)に市之瀬、下部、波高島など常葉もあわせて12の村が合併して富里村になった。富里はただ単に「富んでいる里」でありたいというだけの意味を持つ、いわゆる瑞祥地名である。
富里村の中心は常葉で、役場も常葉におかれたが、1954年(昭和29年)富里村が町制を施行するにあたって、村内の名湯下部温泉から名前を取って、町名が下部町とされたため、前述のように下部町の中心部が常葉にあるということになったのである。
下部町はその後1956年(昭和31年)、久那土、古関、共和の3ヶ村と合併するも下部町の名前は残った。しかし、2004年(平成16年)には身延町、中富町との合併によって新設された身延町の一部となって下部町の名は消滅する。
駅のある常葉の集落は常葉川に栃代川が合流する地点にあたり古くから開けていた場所であるが、大正になってから駅とは常葉川の対岸を走る県道が開通し、そして富士身延鉄道(のちの身延線)が1927年(昭和2年)にこのあたりの線路を開通させて当駅を設置すると、駅周辺の道路沿いには、商売などを目的として、人家が集まるようになった。いまでも駅の対岸には県道沿いに商店街がある。
常葉の集落にはその他、富里村の名を今に残す富里郵便局や、身延町立下部中学校、身延町立下部小学校などがある。駅前に国道300号がのびており、その国道300号を東に10キロメートルほど、曲がりくねった道を登って中の倉峠をトンネルで越すと富士五湖の一つ、本栖湖に出ることができる。
- 常葉諏訪神社 - 北東およそ300メートル、境内の大ケヤキ等は町の天然記念物。
- 妙法鉱山(常葉鉱山) - 北東およそ1キロメートル、かつては採掘が行われていたが落盤により入ることが出来ない。
- 常葉温泉 - 北東およそ500メートル、徒歩10分ほど。
- その他駅から交通の便のある主要な観光スポットとして神名温泉、永寿庵、方外院がある。
[編集] 利用状況
昭和25年(1950年)の乗車客数は329,257名であった。これを一日平均にするとおよそ900名になる。また昭和55年(1980年)の乗車客数は220,441名であった。これを一日平均にするとおよそ600名になる。
[編集] 歴史
- 1927年(昭和2年)12月17日 - 富士身延鉄道により開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1941年(昭和16年)5月1日 - 国有化され国鉄身延線の駅となる。
- 1972年(昭和47年)9月20日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
- 2000年(平成11年)2月 - 駅舎改築。