石破茂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石破 茂(いしば しげる、昭和32年(1957年)2月4日 - )は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員。
生年月日 | 昭和32年(1957年)2月4日 |
---|---|
出生地 | 鳥取県八頭郡郡家町(現・八頭町) |
出身校 | 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 |
学位・資格 | 法学士 |
前職・院外役職(現在) | 三井銀行 木曜クラブ(田中派)事務局 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
日本国憲法に関する調査特別委員会委員 安全保障委員会委員 |
世襲の有無 | 二世議員 父・石破二朗 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
鳥取1区 |
当選回数 | 7回 |
所属党派(現在) | (自民党→) (新生党→) (新進党→) (無所属→) 自由民主党(津島派) |
党役職(現在) | 鳥取県支部連合会々長 鳥取県第一選挙区支部長 |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館525号室 |
ウェブサイト | 石破しげる OFFICIAL SITE |
目次 |
[編集] 略歴
- 1957年2月4日:建設官僚・石破二朗 和子の長男として生まれる。鳥取県八頭郡郡家町大字殿(現・八頭町)出身。父・二朗は建設事務次官を務めていた
- 1969年3月:鳥取大学教育学部付属小学校卒業。
- 1972年3月:鳥取大学教育学部付属中学校卒業。
- 1975年3月:慶應義塾高等学校卒業。
- 1976年12月:昭和51年度全日本学生法律討論会第1位。
- 1979年3月:慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
- 1979年4月:株式会社三井銀行(現・三井住友銀行)入社。
- 1983年1月:同行退社。
- 1983年2月:木曜クラブ(田中派)事務局勤務。
- 1984年9月:同事務局退職。
- 1986年7月:鳥取全県区より衆議院議員初当選(全国最年少)。政策科学研究所(中曽根派→渡辺派)に所属。
- 1992年12月:農林水産政務次官に就任(~1993年6月)。
- 1993年:自由民主党離党。
- 1994年4月:新生党入党。
- 1994年12月:新進党入党。
- 1997年3月:自由民主党復党。小渕派に所属。
- 2000年7月:防衛総括政務次官に就任(~2000年12月)。
- 2001年1月:防衛庁副長官に就任(~2001年4月)
- 2002年3月:拉致議連会長に就任。
- 2002年9月:防衛庁長官に就任(~2004年9月)。
- 2004年4月:第2次小泉内閣の閣僚の中で麻生太郎・中川昭一とともに国民年金保険料が未払いだったことが発覚。石破の未納は3期間計2年2ヶ月分で、そのうち遡及納付は1年7か月分。
[編集] 政策
[編集] 外務
- 防衛問題の論客の一人であるが、保守系の対外強硬派とは一線を画しており、朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対し疑問を呈している。総理大臣の靖国神社参拝にも反対を表明している。また、満州事変以降の戦争を「侵略戦争」と認識している。
- 北朝鮮については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強く、1992年には”見ないで批判するのはいかんだろう”という理由で議員団に加わり金日成生誕80周年祝賀式典へ参加したことがある。
[編集] 防衛
- 防衛庁長官在任中にイラク戦争が勃発し、当時の小泉政権が自衛隊の海外派兵を決定すると、防衛庁長官として彼らの門出を見送った。
- 自由民主党きっての防衛政策通として知られ、徴兵制度の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。また、戦闘機等のプラモデルが大好きな軍事マニア*としても知られ、少年時代は自動車、タクシー、SLが大好きな車マニア、鉄道マニアでもあった。
- 著書『国防』では、難解と思われがちな防衛問題を分かりやすく著し、保守論壇から高い評価を得ている。
- 自民党の憲法改正草案で当初「徴兵制の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることが出来ないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した(ただし、石破は徴兵制への反対を主張している[1]。理由として、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいと考えているからである)。
- 日本テレビの「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」に度々出演し、「総理大臣」役の爆笑問題・太田光と激しい論争を繰り広げている。国防政策では親米保守派の代表的論客であるため反米派の太田によく噛み付かれており、番組内では山本一太と共に「天敵」と称されたこともある。[2]
- 『丸』(潮書房)を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『週刊アサ秘ジャーナル』で『丸』から引用した問題を出題されると次々正解し、その豊富な知識を示した。ちなみに、唯一一問だけ回答できない問題があった。その問題とは、災害派遣時に自衛隊が実弾を発射した相手とは何かを答える問題(正解は海獣[3])だったが、石破は知らなかったため不正解となった。当初、石破は初耳だったため出題文に衝撃を受け、何度も「災(害)派(遣)で(自衛隊が実弾を)撃った!?」と確認し、回答を聞くと驚いていた。
[編集] 教育
朝日新聞社刊「論座」において、教育基本法に愛国心を明文化することに反対の姿勢を示した。理由は「愛国心は国が政策面で強制するものではない」という意味のものであった。同様のスタンスをとる議員は自民党内では稀であった。
[編集] 待望論
- 津島派(平成研究会)に属する。スキャンダルなどで派内の人望が不足している額賀福志郎に代わり、船田元・茂木敏充らと並ぶ、次代の総裁候補として浮上している。2006年の自民党総裁選挙で額賀が出馬を検討した際、額賀に対し若手などが「今回出馬しなければあなたに次はない。次は石破を担ぐ。」と告げた。
[編集] 発言
- 防衛庁長官在任中に、自衛隊のことを「自閉症の子供と書いて自閉隊だ」などと発言し、世間から顰蹙を買う。
[編集] 人物像
[編集] 家族 親族
[編集] 系譜
- 石破氏
石破常七━━市造━━二朗 ┃━━茂 金森通倫━━太郎━━和子
[編集] 著作
- 『国防』(新潮社、2005年、ISBN 4104737011)
- 本書を原案としたコミックとして 『国防入門』(原望作画、あおば出版、2007年、ISBN 9784873177885)がある
- 『軍事を知らずして平和を語るな』(KKベストセラーズ、2006年、ISBN 4584189676)
[編集] 参考文献
[編集] 脚注
- ^ 『CIRCUS』KKベストセラーズ。
- ^ 同番組では、国家の安全保障について考える際はあらゆる非常事態を想定せねばならないと明言しつつ、仮に日本と米国が戦争状態に突入したらどうするかと太田に質問された際、「それは有り得ない」と回答し、未想定たる旨を表明した。
- ^ 海獣(正確にはトド類)の被害に悩む地元漁協からの要請を受け、海棲哺乳類である動物からの被害のため自然災害であるとの論理で、自衛隊が災害派遣名目で実弾を発射しこれを駆除した。詳細はトド#有害鳥獣を参照されたい。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|
|